第690話 邪魔者
「お困りのようね!」
「げ……」
突然のハスキーな女性の声にかなめはうんざりしたような顔をする。彼女がおそるおそる振り向くとそこには紺色の長い髪をなびかせた少佐の階級章の長身の女性隊員が満面の笑みで立っていた。
アイシャ・クラウゼはにんまりと笑いながら近づいてくるとそのままかなめを蹴飛ばした。
「なにしやがる!」
「いきなり『げ!』ってなによ!」
さすがの軍用の強化義体の持ち主のかなめも、遺伝子的に強化されて作られているアイシャの鋭い蹴りは効果があるようで、蹴られた肘をさすりながらアイシャを見上げる。
「それより……面白いことしてるんでしょ?私も混ぜてよ」
興味津々、やる気満々のアイシャのうれしそうな視線に誠達は頭を掻いた。アイシャは運用艦『高雄』の艦長代理。階級も少佐と言うことで手に入る情報の権限は大尉のカウラやかなめより上に当たる。ただし、本人に本当にやる気があればの話で、こう言う場合アイシャはただ興味だけで付いてくる可能性もあるのでどうにも信用できない。
「アイシャ、止めなよ。ただでさえうちはお姉さんからの業務の引き継ぎとかで忙しいんだから……」
同じブリッジクルーと言うことでサラはなんとかアイシャを止めにかかろうとする。
「それならほとんど終わってるわよ。それに面白そうじゃない、謎の司法局の改造人間の知られざる過去に迫るなんて……」
「吉田はいつから改造人間になったんだ?変身でもするのか?」
吐き捨てるようにそう言ったかなめだが、すでにアイシャはいつものようにあさっての方向にやる気でいる。
「とりあえず吉田さんの行方といえば……こういうときはお金の流れから見るべきね!行きましょう!」
早速ぼんやりとしていた誠の手を取るとそのままハンガーの05式のコックピットの前に付けられた通路を執務室のある棟に向けて歩き出す。カウラとかなめは慌ててそれを追いかけた。
「金の流れ?そんなもんうちでどうにかなるのか?」
かなめの慌てた声に振り向いたアイシャはにんまりと笑う。
「うちの金の管理はどこが担当?管理部でしょ?経理担当は菰田君。カウラが頼めば多少の無理は……」
アイシャの言葉に今度はカウラが思い切り嫌な顔をした。
経理担当主任菰田邦宏曹長。誠も大の苦手な粘着質を絵に描いた顔の古参下士官は、カウラのファンクラブ『ヒンヌー教』の教祖としてその手の趣味の隊員の絶大な支持を集めていた。よく言えばスレンダー、悪く言えば胸が無いカウラの自覚している欠点を崇拝するその奇妙なカルト宗教は部隊での影響力は絶大で、誠達が生活している司法局実部隊男子下士官寮の中では一大勢力をなしていた。
当然のことながら勝手にそんなインチキ宗教の崇拝対象になったカウラにとっては迷惑以外の何物でもない。そんなカウラの思いとは裏腹にしつこい菰田達の布教活動で、入れ替わりが激しくなった最近の司法局内部でも大きな勢力を維持していた。そんなカウラが顔を上げると管理室の前の廊下で満面の笑みを浮かべているアイシャがいた。
「ほら、わびしそうな顔して……カップ麺なんて食べてるわよ」
アイシャが指さすのは管理部のガラス張りの執務室。和気藹々と笑いあっている女子事務職員達からぽつんと離れて一人カップ麺を啜る菰田の哀れな姿が見える。
偶然顔を上げた菰田が誠達に視線を向けた。最初にカウラを見つけて笑顔が浮かんだものの、その中に誠の姿があるのを見つけて菰田は笑顔を訂正するような不機嫌そうな表情を浮かべている。
アイシャは気にするわけでもなくそのままぐんぐんと近づいていくとそのまま管理部の部室に飛び込んだ。
「菰田君」
最初に話しかけてきたのがアイシャだったことで菰田の機嫌はさらに損なわれた。アイシャの詮索癖と騒動好きは周りを巻き込むだけ巻き込んでおいて自分は逃げ去るという要領の良さは菰田も知っている。そんなドタバタに巻き込まれる可能性があると悟っただけで菰田も十分すぎるほど不機嫌になる。
手にしたカップ麺を静かに机に置き。大きく深呼吸をして何ともしれない騒動を巻き起こそうとしている紺色の髪の闖入者を忌々しげに見つめる。
「なんでしょうか……クバルカ少佐。今日は鈴木中佐が出て来ているんですから引き継ぎの方を……」
「いいのよ、そんなこと。それより……聞きたいことがあるんだけど」
不機嫌を突き抜けた表情。ともかく菰田の顔を見て誠はそんな感じだと確信した。ここにカウラがいなければ菰田はその場から立ち去っていただろう。偏屈な上司がこれから災難に遭うと言うことで女子職員は興味深そうに誠達を眺めている。
カウラも菰田とは話をするのも嫌なのだが仕方なく口を開いた。
「実は吉田少佐の件なんだ」
その質問の核心がカウラの口から放たれたものでなければ答えなど期待できない。菰田の表情が急に和らぐ。そしてそれに比例してカウラの口元の引きつりが大きくなる。
「ああ、ベルガー大尉。吉田少佐が休んでいる件ですか?」
「知ってるのか?テメエ!」
今度は菰田の襟首をかなめが締め上げる。すぐにカウラと誠で間に入ったから良かったものの、放っておいたら島田と同じく窒息するところだった。しかも菰田は島田と違って首を絞めたら死ぬのだからまさに危ないところだった。
菰田は激しく咳き込み、しばらく下を向いてもだえる。
「大丈夫?」
背中をさするアイシャを菰田は恨みがましい目で見つめる。彼の予想はすでにこの時点で的中していた。カウラが少し心配そうな顔をしているのを見つけて何とか機嫌を直した菰田は自分の気を落ち着かせながら椅子に座り直した。
「知ってるも何も……休んでいるじゃないですか」
「そりゃあ見れば分かる!そう言うことじゃなくてだ。あいつがなんで休んでいるのか知らないかって聞いてるんだよ!」
さすがのかなめも同じ間違いは起こさない。机をたたき壊さないように寸止めして軽く叩くようにして腕を振り下ろす。備品の発注伝票を処理しないで済むことを確認した菰田はしばらく思いを巡らすように首をひねる。
「なんで?そりゃあ吉田少佐にも私用があるからじゃないですか?」
「知らないんだな!じゃあアイツが休んで済む理由は知って……」
かなめに任せたららちがあかない。そう悟ったアイシャがかなめを突き飛ばす。いつもなら反撃で突き飛ばし返すかなめも自分の話の持って行き方が間違っていたことに気づいたようで頭を掻きながら菰田にしなだれかかるアイシャを眺めていた。
「吉田さんの傭兵としての契約書……ここで保管しているじゃなくて?」
突然の甘えるようなアイシャの言葉。だがアイシャの本質をよく知っている菰田はただ助けを求めるように視線を誠に飛ばすだけだった。
「どうして返事をしてくれないのかしら?」
「クラウゼ少佐。守秘義務って言葉。知ってます?」
薄ら笑いを浮かべて拒否の姿勢を示してみせるのが菰田の最後の抵抗だった。
「おい、アイシャ。それはまずいだろ。重要書類の管理はおそらく菰田じゃなくて高梨参事の担当だぞ」
「西園寺さんの言うとおりですよ!俺じゃあ何もできません!」
菰田の悲鳴にも似た叫びが部屋中に響いた。暴走するアイシャをさすがのかなめも止めに入る。明らかに出せないのは知っていたがただいじめたかったと言うだけの理由で菰田を絞り上げていたのは誠が見てもよく分かった。
「まあ良いわ。それにしても……吉田さん、本当にどこにいるのかしら?」
「ここで相談されても困りますよ。とりあえず自宅とか……あの人なら音楽関係の知り合いが多いからどこかのスタジオに缶詰になってるとか……いろいろ考えられるでしょ?」
菰田の捨て鉢な意見。アイシャは手を打って菰田の肩をぽんと叩いた。
「そうね。とりあえず自宅を明日訪問。それから後のことはそれから考えましょう」
アイシャはそれだけ言うと唖然とする誠達を置いて平然と管理部の部室を出て行った。
「何がしたかったんだ?アイツは」
「私に聞くな」
かなめとカウラはただ呆然と立ち尽くしている。誠は我に返るとすべての苦痛を誠を恨むことで解消しようとしている菰田の顔があった。
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