第7部 『殺戮機会が思い出に浸る時』

失踪

第687話 朝の職場

「なんだ?あ?……吉田の旦那は今日もお休みかよ」

 

 司法局実働部隊機動部隊控え室に入って来るなり、いつも通りの辛辣な口調で西園寺かなめ大尉はそう言った。間の抜けた話だが彼女の部下である神前誠(しんぜんまこと)曹長はようやく隣の机の島の一角がここ三日間空席だった事実に気がついた。


 かなめといえば自分の目で空席の存在を再確認すると先ほどの一言を言っただけで気が済んだように、自分の机の上の端末を起動して腰かける。誠はそれを見やると再び目を主である吉田俊平少佐のいない席へと向けた。


 考えてみれば奇妙な話だった。遼州同盟司法局実働部隊。司法実力部隊の一士官が三日間部隊に顔を見せず、そのことに新米隊員として気を遣う立場の誠が気づかなかった。誠は第二小隊、吉田は第一小隊の所属で勤務が重ならないことも多い。とは言っても人一人、しかも少佐の階級の人物が顔を見せないと言うのに誰も話題にしないことが不思議に思えた。自然と誠は彼の所属する司法局実働部隊の小さな隊長の方へと目を向ける。


「クバルカ中佐、何か話は?」 


 かなめと一緒に入ってきた誠の上司でもある第二小隊小隊長カウラ・ベルガー大尉が部屋の上座の大きめの机の主に語りかけた。


 机の向こうには小さな、本当に小学校就学前のようにも見えるおさげ髪の少女の姿が見えた。


「あ?話?ねーよ」 


 小さな頭が画面の後ろから飛び出す。機動部隊隊長クバルカ・ラン中佐。その刺々しくはあるものの幼さのようなものを感じる表情には、まるで吉田がいないことが当然だというように無関心だった。めんどくさそうにランはそれだけ言うとそのままキーボードを小さな手で叩きつづけている。その冷めた口調にひとたびは無関心を装っていたかなめが伸びをして少女を睨みつけながら叫んだ。


「いいのかよ、それで。まるで敵前逃亡じゃねえか!ここが胡州だったら銃殺だぞ!」 


「だって胡州じゃなくて東和だよ。だから大丈夫」 


 いきり立つかなめに吉田の隣の席のこれも小学生程度に見える女性士官、第一小隊で吉田とコンビを組んでいるナンバルゲニア・シャムラード中尉が答えた。


 その姿を見つけたかなめはいつものタレ目でシャムを睨み付けながら立ち上がるとつかつかと歩み寄る。かなめは笑顔をたたえてキーボードを叩いていたシャムを見下ろす。それに小さなシャムは負けじとじっとかなめを睨みかえす。


「オメエ……いつも吉田と一緒だよな?知らねえのか?こいつがいねえわけ?」 


 かなめの見下すような視線。だが一枚上なシャムはかなめの攻撃的な目つきを見つけると余裕を込めた笑みを浮かべながら黙ってうなづく。


「なんだよ。ここはなんだ?鉄砲持ったり大砲持ったり、ことと次第によっちゃあアサルト・モジュールなんて言う物騒な巨大ロボットで戦争の真似事もやったりするところなんだぞ?そこの兵隊が上官の許可も無く行方不明だ?」 


「いつアタシが許可をしてねーって言った?」 


 ランがまたひょいと画面の脇から顔を出す。そのぼんやりとした表情に誠は吹き出しかける。だがすぐにそれをかなめに見つかってなんとか口を押さえて項垂れた。


「じゃあ許可したのか?」 


「してねーよ。しかもアタシの知ってる限りの連絡手段はすべてシャットアウトだ。おめーの言うようにどうやら敵前逃亡と言ってもいいかもな」 


 それだけ言うとまたランは頭を引っ込めた。かなめは表情一つ変えずにつぶやかれたランの言葉に今にも暴れだしそうに顔を赤らめながらこぶしを握り締めてランを睨みつける。


「はあ?マジで逃亡じゃねえか!」 


「逃亡じゃ無いよ。連絡がつかないだけ」 


 捲し立てるかなめにシャムがそう答えた。誠は今にもランかシャムに掴み掛りそうな様子のかなめを見ると思わず立ち上がって彼女を制することができるように心を決めた。しかし、かなめは局地戦用の軍用義体の持ち主である。そしてランもシャムも見かけによらぬ百戦錬磨の猛者として通っていた。彼女達を身を張ってかばうことが無駄なことだということは十分にわかるだけに、さらにどうするべきか迷いながら様子を伺うことしかできなかった。


「だからその状態を逃亡って言うんだよ!」


 一気に捲し立てたかなめはようやくそこで第三小隊の面々がすでに着席している事実に気がついた。


「おい、かえで!」 


 かなめはいつもは向けるはずの無いような笑顔で、第三小隊小隊長で妹の嵯峨かえで少佐に歩み寄っていく。


 シスターコンプレックスで知られるかえでである。いつもなら愛しい姉、かなめの言葉を受けて満面の笑みで応えるかえでがランを気にしながら迷惑そうに近づいてくるかなめを見つめていた。


「オメエは……知ってるだろ?」 


 かなめは妹のかえでに甘い調子で声をかける。いつもなら陶酔しきった笑顔で答えるはずのかえではただもじもじとしてうつむいてみせる。


「なんで僕が……」 


 さすがの誠もこの様子にはかえでに同情するしかなかった。かえではちらちらと部下の渡辺要大尉とアン・ナン・パク曹長に視線をやりながら迷惑な姉の言いがかりをはぐらかす方法を必死に考えているように見えた。


「なあ……教えてくれよ……ただとは言わないからさ。デートぐらいしてやるよ」


「本当ですか!」 


 今度はかなめが自分の言葉に後悔することになった。


 かえでのかなめへの憧れは誠から見ても異常だった。人造人間でかえでの被官になるまで番号で呼ばれていた渡辺の名前を「要(かなめ)」としたのも彼女の姉への愛情故である。コンプレックスに近いその愛情を誠もまた知ってはいた。喜びに潤む瞳。そんなかえでを見てじりじりとかなめが後ろに引き下がる。


「お姉様……僕……」 


「知らねえならなら……無理することは無いんだぞ……な?」 


 かなめは助けを求めるように最初は吉田の行方のことで文句を言いたそうにしていたカウラに目をやる。しかしカウラはすでに追及するのを諦めたというように自分の端末で、誠が昨日提出した報告書の添削作業を始めていた。


 逃げることはできない。じりじりとかえでが近づいてくる。


「そうだ!叔父貴なら知ってるだろ!神前!カウラ!行くぞ!」 


 急に方向転換したかなめに襟首を掴まれて、誠は立ち上がるしかなかった。


「なんで私まで……」 


 そう言いながらカウラがモニターから視線を上げる。その視線の先にはいかにも申し訳ないというように手を合わせるランの姿があった。そんなわけで仕方なくカウラも立ち上がる。


「それじゃあ!」 


 颯爽とかなめは実働部隊の詰め所を後にした。

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