第633話 モフモフ熊とのひと時

「これなら今日で終わるかな」 


 そう言うとそのままバイクを押して駐車場へと向かうシャム。そして彼女の接近を知ると熊のほえる声が響いていた。


「あ、グレゴリウスの料理……」 


 シャムは荷台に目をやる。そこには発泡スチロールの箱があった。


「そうだ、急がないと」 


 彼女はそのまま走ってバイクを押していく。駐車場には夜間訓練の関係で警備部員の車が並んでいた。そしてその向こうには見慣れたバンが止まっていて隣には見慣れた人影が見えた。


「遅いな」 


 吉田俊平はそう言うと端の駐輪所にバイクを止めるシャムに声をかけた。


「別に始業前なんだから時間は自由でいいじゃん」 


 そう言いながらシャムは荷台から箱を下ろす。吉田はにやりと笑うと彼女から箱を受け取った。


「あの馬鹿熊。いいもの食ってるんだな。うらやましいよ」 


「だって俊平は特に味とか気にしないんでしょ?」 


「それはそうなんだけどな……もったいないような食べたいような……」 


 ヘルメットを脱ぐシャムをちらちらと見ながら吉田はただ箱を抱えているだけだった。


「ご飯作んなきゃね」 


 そのまま手のヘルメットを座席の下の開いたところに入れて鍵を閉めるとそのままシャムは奥の隊の所有する車両置き場の隣の大きな檻に向かって歩いた。


「わうー」 


 大きな熊の声が響く。シャムは笑顔で檻に手を入れると巨大なヒグマ、グレゴリウス16世はうれしそうに彼女の手をなめていた。ちょうど柔らかな冬毛が生えそろってる時期なのでシャムがあごの下に手を伸ばすとモフモフの毛皮が手に障った。


「俊平!開けてあげて!」 


 シャムの言葉に街灯の下で吉田は渋い顔をした。


「こいつ俺のこと嫌いだからな……」 


「そんなことないよ!ねえ!」 


「わう!」 


 大好きなシャムの言葉にうなづいているように見えるグレゴリウス16世。それを見ながら苦笑いを浮かべつつ吉田は電子ロックを解除した。


 グレゴリウス16世はしばらく周りを見渡す。全長五メートルの巨体だが、コンロンオオヒグマとしては子供のグレゴリウス16世はただびっくりしたように慎重に歩き始めた。


「じゃあアタシはグレゴリウスのご飯を作ってくるから!」 


「おい!待て!」 


 シャムがそのまま裏手の倉庫に向かったときにすぐにグレゴリウス16世は吉田に襲い掛かった。


「馬鹿!糞熊!」 


 サイボーグらしく間一髪でかわす吉田。だがグレゴリウス16世はうれしそうに右腕を振り上げる。


「こいつ!俺を殺す気か!」 


「こんなもんじゃ死なないからやってるんだろ?」 


「うわ!」 


 突然背中から声をかけられて吉田はバランスを崩した。その顔面に突き立てられそうになったグレゴリウス16世の右腕だが寸前で止まり、そのままおとなしく地面についた。


「隊長……見てたなら止めてくださいよ」 


 じりじりと後ろに下がっていくグレゴリウス16世を警戒しながら吉田は声の主のほうに目を向けた。


 着流しにどてらを羽織った姿の司法局実働部隊隊長、嵯峨惟基特務大佐の姿がそこにあった。


「だってさあ……楽しんでいるように見えたから」 


「俺のどこが楽しんでたんですか!」 


「いや、お前じゃなくてグレゴリウス君がだよ」 


「わう!」 


 自分の名付け親である嵯峨の言葉をまるで理解しているようにグレゴリウス16世がうなづいた。


 吉田は真剣な表情で襲いかかろうとする熊をにらみ付けた。グレゴリウス16世は近くに仲良しと思っている嵯峨がいることもあって殊勝な表情で腰を下ろして座った。


「なに?何かあったの?」 


 シャムが手にボールを持ちながら現れる。ボールの中にはりんごや先ほどさばいた鮭の切り身が入っていた。うれしそうにそれを見るグレゴリウス16世。


「はい、朝ごはん」 


 そう言うとシャムはグレゴリウス16世の前にボールを置いた。


「キウ……」 


「食べて良いよ」 


 シャムの一言を聞くとうれしそうにボールに頭を突っ込む。その無邪気な姿にさすがの吉田も牙を抜かれたように肩の力を抜いた。

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