後手

第614話 後手

 水島のアパートまであと少しというところだった。信号待ちのためにカウラは車を止めた。


「おい、西園寺……何かあったのか?」 


 カウラは後ろの席のかなめに声をかけた。右足を車の後部座席に突っ込んだまま右手を耳に当ててじっと動かないかなめ。それは彼女の脳の中に埋め込まれた通信端末にアクセスしている時の彼女らしい態度だった。


「西園寺さん……」 


 心配して声を掛けた誠の顔面にかなめの右ストレートが炸裂する。そのまま誠の体はアイシャの頭のある助手席の背もたれに激突する。そしてすぐに苦々しげな笑みがかなめの顔に浮かんだ。


「どこかの馬鹿野郎が水島のアパートにカチコミをかけやがった。騒ぎを聞きつけて駆けつけた巡回の警官二名が重傷だ」


「後手を踏んだか……で?そのあとは?」 


 いつもなら車が傷つくと文句を言うカウラだが冷静に後部座席のかなめに振り向いて尋ねる。隣ではアイシャがすでに端末を取り出して検索を掛けていた。


「出てきたのはダンビラ片手の大男だそうだ。防弾ベスト越しに二太刀浴びせた後は忽然と銀色の円盤の中に消えたそうだ……そりゃあ干渉空間だな。やられたよ」


 かなめはそう言うと制服のポケットに手を伸ばしてタバコを取り出したがさすがにそれを許すほどカウラは寛容ではなかった。睨み付けられるといつもの卑屈な笑みを浮かべてかなめはタバコを仕舞った。 


「警察も非常線を張ってるみたいだけど……空間跳躍をする相手に何をやっているのやら……。それにしても先を越されたわけね……どうするの?」 


 助手席で携帯端末の検索結果から視線を離したアイシャの目がカウラに向かう。誠はただ黙って指揮官の表情のカウラを眺めていた。


「西園寺。他に死者や怪我人は出ているのか?」 


「怪我したのは警官だけ。斬り付けられた時に悲鳴を上げてそれに驚いて飛び出した近くの住人がいるそうだが……顔とかを見る余裕も無かったらしい。単独犯かどうかも定かでは無いみたいだな」 


「カウラちゃん。こうなったらいっそのことのんびりと怪我をしたおまわりさんの回復まで待ちましょうか?」 


 アイシャの笑み。明らかにカウラを挑発しているような雰囲気のその言葉がカウラに迅速な行動を強制していることだけは確かだった。誠はそんな彼女を一瞥した後あごに右手の親指を当てて考え込んでいるカウラに視線を移す。


「例の人斬りかどうかは分からないが、警官相手に冷静に刀を振えるそういうことに慣れた人物。それに大男の仕業かどうかは別として干渉空間を展開できるだけの法術師が動いている。ターゲットが留守だと言うのに行われた騒ぎだとしたらとてつもない馬鹿だったと言うことだが……そんな馬鹿が今まで東都警察の捜査網に引っかからないで闊歩していっとは考えにくいな」 


 カウラの推察にアイシャは同感というようにうなづく。


「恐らく水島とは顔を合わせたが逃げられた……斬殺魔以外にも水島さんとやらに接触している勢力があるわけね……しかも恐らくこちらも干渉空間を展開できる手練れ付き。厄介なことになりそうじゃないの」 


 そう言うとアイシャはそのまま助手席の扉を開けてカウラの赤いスポーツカーの後ろに回りこんだ。カウラはそれを見てトランクの鍵を開ける。開いたトランクに上半身を突っ込んだアイシャはそのまま鮮やかなオレンジ色に染められたショットガンを取り出した。そしてそのまま車中にショットガンを突き出してくる。夕闇の中、あまり車の通りの多くない大通りの中央で銃の受け渡しをしている姿は極めて目立つものだった。誠がなんとか銃を受け取りながら周りを見るといつの間にか何人かの通行人が珍しそうに歩道で立ち止まっているのが見える。アイシャが東都警察の制服を着ていなかったら通報されていたかもしれない。


「かなめちゃん。ラーナちゃんに連絡つく?」 


「例の警邏隊に仕掛けたアストラルセンサーか?頼りになるかねえ」 


「他に手段が無い」 


 渋るかなめを一瞥した後、アイシャから銃を受け取ってそのままダッシュボードを開けた。中にはオレンジ色の紙箱が入っている。カウラはそれを躊躇無く開け、中から取り出した低殺傷性弾薬を薬室に装填する。


「誠ちゃんも」 


 助手席に戻ったアイシャから低殺傷弾薬を受け取った誠もまねをして初弾を装填する。かなめも同じく銃を手にしてにんまりと笑いながら弾を込め始める。


「どこまで干渉空間を使っての転移ができるかはわからないが……突然の襲撃を受けてとなればそう遠くには飛べないはずだ。上手くいけば警邏隊のアストラルゲージに動きが見れるはずだ」 


「あくまで希望的な推測だと言うわけね」 


 カウラの推測を聞くとアイシャは自分の銃を手にして初弾を装填した。


「人事を尽くしたんだから後は天命を待ちましょう」 


 アイシャの言葉に誠達は大きくうなづいた。

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