警察署

第568話 警察署

「豊川警察署か……島田君がいたら逃げ出すわね」 


 自分のピンク色の髪をなでながらパーラは後部座席に乗り込む誠達を見ていたがその目は笑ってはいなかった。バイク乗りで何度か免許停止を食らっている島田。そんな他人のことでも口に出さなければ、

疲れて帰ってきたところにいきなり呼び出されてこんなところまで車を走らされたことに怒りが爆発しそうなんだろう。明らかに人造人間と分かるその髪の色の持ち主のいつものさわやかな笑顔が誠にはどうにもそんな感情を押し殺したもののように見えた。


 そんなパーラの思いなど関係ない。そう言いきる様にアイシャは澄ました顔で助手席に乗り込んだ。運転席の後ろには茜、付き合うようにランとカウラが乗り込んだ。誠はかなめに三列目のシートの奥に押し込まれる。


「別に交通課に私達はお話がある訳ではないですもの。これもお仕事。割り切ってもらわないといけないですわね」


 パーラの言葉の意味も知らずに運転席の後ろのシートで茜がつぶやくのにアイシャが大きくうなづく。しかしそんな茜のパーラや隊の日常を知らない一言のおかげで、誠達はこれが尋常ではない何かが起きているのではないかという事実に気づいた。


「お仕事……?私達が豊川警察署に向かうってことは例の他人の法術能力を使って悪さをする暇人が何かこの近辺でやらかしたとか?」 


 アイシャの問いに答えずに茜はそのまま前を向いてしまう。そしてカウラがシートベルトを締めるのを確認するとパーラはゆっくりと車を出した。


「ちゃんとベルトはしてくださいね」 


 そう言った相手がかなめなのは誠もすぐに分かった。いそいそとかなめがシートベルトを締める。


「何をしたんですか?……いいえ、何が起きたんですか」 


 カウラの問いに一度ためらった後、茜は口を開いた。


「今度は時空間制御系の操作ですわ。能力者は70代の女性。自転車で走っていたところで急に自転車が加速しているように感じられて下りてみたら時間がずれていて転倒って話よ」


 聞いてみればあまりに小さな事件だった。確かに東都警察にとっては『こんな程度』の事件なのだろう。誠が横を見ればかなめは明らかに事件の小ささに不満げな表情を浮かべている。しかしそれが法術を使ったものだと言うことで自分も法術師である誠の酔いはすでに醒めていた。 


「なんだよ婆さんが転んで怪我でもしたのか?それでも事件かよ」 


 我慢できなかったと言うようにかなめがそうはき捨てるように口走った。一瞬その言葉に茜は身を翻してかなめをにらみつけた。それは先ほどあれほどウォッカを飲み続けていた人物と同じものとは思えない。誠は横で見ていてその視線に背筋が凍るのを感じた。


 そんな茜の恫喝にかなめは平然の嘲笑で答える。茜はそれを見てあきれ果てたと言うように前を向いてしまう。パーラはそんな車内のごたごたに関係したくないというように警察署に続く大通りへと大型の四輪駆動車を進めた。


「一応法術の発動に許可が必要になったのは皆さんもご存知ですわよね。神前曹長!」 


「はい!」 


 一方は司法局のエリート。誠は士官候補生崩れの新米下士官。呼ばれたら答えるしかなかった。


「法術の発動は市街地では自衛的措置以外は原則として全面禁止。違反した場合には30万円以下の罰金か6ヶ月以下の懲役が科せられます!」 


「……ということですわね。もし演操術系の法術師の介入が認められなかったら罪も無い哀れなお婆さんが無実の罪に服することになるわけだけど……。どうやらかなめさんはそんなことはご自分には関係ないとおっしゃりたいわけね?」 


 先ほどあれほど飲んでいたのが不思議に思えるくらい平然と茜はそう言って振り返った。


「……別に……アタシは……そんなことを言いたいわけじゃ」 


 かなめは口ごもる。茜は自分の理屈での勝利に満足することなく大通りの左右に目をやった。市役所を越えればそこは警察署の中庭。深夜だと言うのに機動隊が入り口を固めて、その三階建ての見慣れたビルは一瞬城砦のようにも見えないことは無かった。


「厳戒態勢だな……ことが法術がらみだとしてもやりすぎじゃ無いのか?」


 正門からパトランプを点灯させて走り出すパトカーを見ながらかなめがそうつぶやいた。誠もその意見には同感だった。そのまま二台のパトカーをやり過ごして正門を通れば早速警棒を持った警察官に止められた。仕方なくパーラは窓を開いた。


「済みませんが……どちらの……うわっ!」 


 窓に突っ込んできた警官は思わず車内のアルコールのにおいに驚いたようにのけぞった。


「ああ、私は飲んでませんから!」 


「そんなことよりも……これ、身分証」 


 厄介者を見つけたという表情の警官に茜が身分証を差し出す。その中を見るとすぐに警官は身じまいを整えて敬礼した。


「失礼しました!駐車スペースでしたらそちらの奥が空いています!」 


「有難う」 


 警官の態度の豹変に楽しそうな顔をしながら茜は着物の襟元を調える。誠が振り返れば先ほどの警官が同僚になにやら耳打ちしているのが見えた。


「法術師一人に機動隊を全員召集か?過剰反応だな」 


「うちが鈍感なだけよ。結構法術に対する誤解はあっちこっちであるものなのよ。たぶんここの署長はこの面々でも足りないと思ったから渋々茜さんの所に連絡してきたんじゃないかしら」 


 カウラの言葉をアイシャがたしなめた。誠もこの警察署の対応がある意味今の東和を象徴しているような気分になってきた。法術は意識を介して発動する力だと言うことは訓練でさんざん叩き込まれてきた。自分が力があることを意識すること。それがあって初めて法術は発動する。決して恐れるような類では無い。でも力を持たない人には力を使える可能性があること自体が脅威に感じられる。そんな力を持たない人々の数の暴力を正門の前に整列する機動隊の中に誠は見ていた。


「はい、到着」 


 署長の公用車らしい大型乗用車の隣に車を滑り込ませたパーラ。その一言に早速二番目の席のランとカウラが飛び出していく。続いて静かに反対側のドアを開いて茜も車を降りて署の建物に向かう。


「元気だねえ」 


 そう言いながらかなめはカウラが座っていた二列目の席を倒すと目の前のなかなかドアを開けようとしないアイシャの後頭部を小突いた。


「何するのよ!痛いじゃないの!」


「そりゃそうだ。痛くしてるんだからな」 


 いつものかなめとアイシャの小競り合いに苦笑いを浮かべながら誠は仕方なく茜の座っていたシートを倒して反対側のドアから外へ出た。夜だというのに警察署の明かりはかなり煌煌と夜の空を照らしていた。


「それじゃあ行きましょう」 


 着物の袖を気にしながら助手席から降りた茜の案内で誠達は署の建物に向かう。


「何度も言うけどさ、婆さんがひっくり返って軽い怪我をしただけでこの始末か?」 


「彼等にとっては法術と言うのは未知の存在だからな」 


 カウラの言葉を聞き流すようにかなめは一人入り口で立ち止まった。


「アタシはタバコを吸っているから先行ってろよ」 


「仕方ないですわね」 


 いつものことなので慣れているというように茜はそのまま入り口の戸を押して署に入る。


「法術特捜の方ですか?」 


 茜の紺色の落ち着いた風情の和服。確かにこの姿は一目見れば誰でも記憶に残るものだ。入り口でのアルコール臭吹きかけ騒動も報告済みのようで、すぐに警部の階級章をつけた初老の捜査官が声をかけてきた。かなめ以外は全員が170センチ以上の長身の女性の集団である。しかも島田が免許取り消しになった時などに顔を出していたのでアイシャやパーラあたりの顔はそれなりに知られているようで周りの署員は驚いた様子も無くこの奇妙な集団を無視してそれぞれの持ち場へと歩み去っていく。


「それにしてもお早いお着きで。しかも実働部隊の方も同行されるとは」


 明らかに下手に出てやると言う慇懃無礼な態度に、誠はかなめがこの場にいないことにほっとしていた。


「この様子はちょっと意外ですわね」 


「なあに。ようやく東都警察も法術に関するノウハウを得たのですからこれからは反転攻勢に転じます」 


 明らかにこちらを舐めているような態度にカウラが頬をひきつらせている。


「どうせ特殊法術部隊の受け売りじゃないの。当てにしていいのかしらねえ」 


 小声でアイシャが陰口をつぶやくのも誠が見ても当然の話だった。


「ウォホン!」 


 初老の警部の咳払いに陰口をやめたアイシャだが、その目は完全に東都警察には法術師関連の事件捜査はできないと決め付けるような生温かい目だった。


「じゃあわたくしにも見せていただけませんでしょうか?実地の検分等は済ませたんですわよね?」 


 茜が口を開くが猛烈なアルコール臭に警部は眉をひそめる。


「それはしらふに戻ってからのほうが……」 


「これくらいはたしなむ程度ですの。それにこういう事件は初動捜査が犯人逮捕の鍵と言うのが信念ですから」 


 そう言うと茜はそのまま捜査官達がたむろしている階段へ向かおうとする。必死になって警部が止める。


「その……酔いが醒めるまで……少し仮眠を取ってから……」 


 慌ててしがみつこうとする警部の手が袖にかかるのを嫌うように茜は身を翻した。


「そうですわね。お酒が入っているのは事実ですものね。それじゃあ明日早朝にはお伺いしたいので資料などをそろえておいていただけません?」


 明らかに茜はその言葉を口にするタイミングを狙っていた。誠はそう確信した。法術犯罪解決の手柄が欲しい東都警察がすんなり資料を渡さないのは彼女も経験で知っているのだろう。初老の警部の表情にはしてやられたという後悔の念が浮かんでいた。 


「ええ、揃えますから!ですから!」 


 土下座でもしかねない相手に軽く笑みをこぼすと茜は呆然と突っ立っている誠達の所にやってくる。


「ベルガー大尉」 


「は?」 


「お部屋に泊めていただけません?」 


 突然の茜の申し出にぽかんと立ち尽くすカウラ。そしてその横ではニヤニヤ笑っているかなめとアイシャの姿があった。


「自分はかまいませんが……寮は狭いですよ。かえでさんのお部屋はかなり……」 


「あの子は駄目。知っているでしょ?あの子の性癖」 


 茜は大きくため息をつく。そこにタバコを吸い終えたかなめが飛び込んできた。


「おい、行かないのか?おう、そこのおっちゃん捜査本部は知らねえかな?」 


 態度のでかいかなめに先ほどまで下手に出ていた警部が急に姿勢を正してかなめをにらみつけた。


「西園寺!テメー!」 


「痛え!」 


 ランが思い切りかなめの左足のつま先を踏みしめた。そのままかなめはうずくまる。


「ああ、こいつが酔っ払いです」 


「つれて帰るので、資料をよろしく」 


 アイシャとカウラがそのまま立ち上がろうとするかなめを羽交い絞めにして引きずって警察署の玄関まで連れ出した。


「何だよ!アタシが何か……」 


 二人を振りほどいて体勢を立て直そうとするかなめの顔の前には茜の顔があった。明らかに不機嫌なそれ。ようやくかなめは自分が何かへまをしたらしいことに気づいて頭を掻きながらさっさとパーラの車に向かった。


「ともかく、ベルガー大尉。よろしく」 


 今度は打って変わってのお嬢様の笑顔。カウラは仕方なく笑みを浮かべてそれに応えることしか出来なかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る