第522話 飲み

 急に開いた引き戸。暖簾の下で一瞬、男女の影が映った。


「待て!」


 そのまま踵を返して走り去ろうとした二人をかなめは飛び出して追っていく。


「まったく何がしたいんだ、あいつは」 


 そう言いながらカウラは自分の空の烏龍茶のコップにラム酒を注ぐ。明らかに間違えている彼女の行動を注意しようとする誠だが、入り口付近で騒ぐ声に気を引かれて黙り込んでしまった。


「ごめんなさい!ごめんなさい!」 


 気の小さい技術部の技師、レベッカ・シンプソン中尉が謝っている姿が誠達の目に飛び込んでくる。


「良いじゃないですか!僕達がどこで食事しようが!」 


 同じく技術部整備班の最年少である西高志兵長が口を尖らせて襟をつかんでいるかなめに抗議していた。


「色気付きやがってこの熟女マニア!何か?19で酒飲んでいいのか?ここは胡州じゃないぞ、東和だぞ。お酒は20になってからだぞ!」 


 かなめの声にそれまで反抗的だった西はしゅんとなる。眼鏡をいじりながら身なりを整えたレベッカは一瞬だけ勇気を出してかなめをにらみつけようとするが、威圧感では隊でも屈指のかなめの眼光に押されておずおずと視線を落とす。


「そんな……僕達はまじめにお付き合いを……」 


「西。オメエ19だろ?で、レベッカが28……そんなに胸がでかい女が好きなのか?」 


 意味ありげな瞳を向けるかなめの後頭部をシャムが蹴飛ばした。


「だめだよ!かなめちゃん。愛に決まりなんて無いの!それにかなめちゃんも29で誠ちゃんが24でしょ?大して変わらないじゃないの!」 


 シャムのまっとうな言葉に頭をさすりながらかなめが視線を上げた。かなめのその目は明らかに泳いでいた。


「な、何馬鹿なこと言ってるんだ?アタシがあのオタクが好き?そ、そんなわけ無いだろうが!」 


 あまりにも空々しい否定。声がひっくり返っての弁明。その姿に一同はただ生暖かい視線を向けた。


「はい、はい、はい。ご馳走様ですねえ、外道。お母さん!お客さんだよ!」 


 シャムとそろいの猫耳セーラー服にエプロンをつけた姿の小夏が厨房に消えていく。レベッカと西も愛想笑いを浮かべながらシャムに引っ張られて誠達の隣のテーブルに向かい合って座った。


「酒は……やめておけよ」 


 カウラが一語一語確かめるようにして口にするのを見た誠とかなめは、空だったはずの烏龍茶のコップになみなみと琥珀色の液体が満たされているのに気づいた。


「おい!お前、勝手に人の酒飲むんじゃねえよ!」 


 そう叫ぶかなめをカウラはとろんとした目で見つめる。その様子に気づいてレベッカと西もカウラに目を向ける。


「大丈夫なんですか?アイシャさんもそうですけど『ラストバタリオン』の人ってあんまり飲めないんじゃ……」 


 そう言う西をカウラは完全に据わった眼でじっと見つめる。だが、すぐにその瞳はレベッカの豊満な胸へと集中していった。


「……なんで私は……」 


 うつむくカウラ。誠もかなめもどう彼女が動くのかを戦慄しながら見つめていた。


「あら、西君。また来たの……ってかなめさん!」 


 春子が明らかにおかしいカウラを見るとすぐに威圧するようにかなめに目を向けた。


「アタシじゃねえよ!こいつが勝手に飲んだんだよ!」 


 そこまでかなめが言ったところでカウラは急に立ち上がった。


 全員の視線を受けてカウラはよたよたと歩き出す。彼女はそのまま春子が持っていた盆を引っ張って取り上げるとそのまままっすぐにレベッカと西のテーブルにやってくる。


「おきゃくひゃん。つきだしですよ?」 


 そう言ってカウラは震える手で二人の前につきだしを置く。


「……どうも……」 


 そう言ったレベッカを今度は急に涙目で見つめるカウラがいた。


「どうも……ですか。すいましぇんねー。わたひは……」 


 そのまま数歩奥の座敷に向かう通路を歩いた後、そこに置かれていたスリッパに躓いて転んだ。思わず立ち上がった誠はカウラのところに駆け寄っていた。


「大丈夫ですか!」 


「誠……このまま……」 


 そこまでカウラが言ったところでかなめが立ち上がる。誠は殺気を感じてそのままカウラを二階へあがる階段のところに座らせる。


「おい!神前、帰るぞ」 


 そう言うとかなめは携帯端末をいじり始めた。


「でも運転は……」 


「だから今こうして代行を頼んでるんだろ?……はい、運転代行を頼みたいんですが……」 


 あっさりと帰ろうと言い出したかなめのおかげで惨事にならずに済んだということで女将の春子は胸をなでおろしている。


「じゃあ……たこ焼き二皿!それに烏龍茶二つ!」


 とりあえず大ごとにならなかったことに安心してか、元気よく西が注文する。


 誠はただ呆然と彼等を眺めた後、カウラに目を向けた。彼女の目はじっと誠に向けられている。エメラルドグリーンの瞳。そして流れるライトグリーンのポニーテールの髪に包まれた端正な顔立ちが静かな笑みを浮かべていた。


「おい!もうすぐ到着するらしいから行くぞ!それとカウラはアタシが背負うからな」 


 有無を言わせぬ勢いで近づいてきたかなめはカウラを介抱している誠を引き剥がすと、無理やりカウラを背負った。


「なにするのら!はなすのら!」 


 カウラが子供のように暴れる。女性としては大柄なカウラだが、サイボーグであるかなめの腕力に逆らえずに抱え上げられる。


「じゃあ、女将さん!勘定はアイシャの奴につけといてくれよ!」 


 そう言うと、突き出しをつつきながら談笑しているレベッカと西を一瞥してそのまま店を出て行くかなめ。誠は一瞬何が起きたのか分からないと言うように立ち尽くしていたがすぐにかなめのあとを追った。


「別に急がなくても良いじゃないですか。それにカウラさんかなり飲んでるみたいですよ。すぐに動かして大丈夫なんですか?」 


 抗議するように話す誠を無視するようにかなめはカウラのスポーツカーが止まっている駐車場を目指す。


「こいつなら大丈夫だろ?生身とはいえ戦闘用の人造人間だ。頑丈にできてるはずだな」 


「うるはいのら!はなすのら!」 


 ばたばたと暴れてかなめの腕から降りたカウラはそのままよたよたと駐車場の中を歩き回る。


「まったく酔っ払いが……」 


 かなめはそう言うと頭を掻きながらカウラを見ていた。


「こいつもな、もう少しアタシのことを気にせずにいてくれると良いんだけどな」 


 ポツリとかなめがつぶやく。


「え?」


「何でもねえよ!」


 誠を一瞥するとかなめは静かに夜寒の空を見上げた。

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