第501話 ヒンヌー教団

 ランの怒鳴り声にカウラも責任を感じたように誠を呼びつける。誠も走り出す彼女にしたがって実働部隊の詰め所に飛び込んだ。そして目の前にある黒い塊を仁王立ちしている小さなランが睨みつけている様が二人の目に飛び込んできた。


「オメー等!馬鹿だろ!ここは幼稚園でも遊園地でもねーんだってのがわかんねーのか?追いかけっこが好きなら東都警察の警邏隊に行け!すぐ転属願いの書類を作れ!作り方教えてやるから!」

 

 グレゴリウス16世の首輪をマウントポジションで締め上げているかなめ、それを振りほどこうとかなめの背中にしがみついているシャムの二人がランを悲しげな瞳で見つめる。元々睨んでいるような目が特徴のランが明らかに怒気を放つ気配を撒き散らしながら怒鳴りつける様を見ると、彼女の見た目が年端も行かない少女であっても圧倒されるような迫力があった。


「なんじゃ?ワレ等もおったんかい」 


 その様子を眺めているだけの、明石清海中佐が大判焼きを頬張っている。彼は気楽そうにニヤニヤと笑っている。


「クバルカ中佐。こいつ等に学習能力が無いのはわかってることじゃないですか?」 


 そう言いながらこれも司法局実働部隊のあるこの豊川八幡宮前のちょっと知られた大判焼きの店『松や』の袋を抱えながら吉田が言った。傍観を決め込む隊員達の姿を見て立ち上がる姿もあった。


「かなめお姉さま!やめた方が良いですよ」 


 そう言いながらこちらも大判焼きを飲み込んだのは嵯峨かえで少佐だった。かえでの部下の渡辺要大尉はあまりのランの剣幕に口をつぐんでかえでの袖を引いている。


「あーあ。何やってんの」 


 のんびりと歩いてきたアイシャがこの惨状を見てつぶやいた。


「モノが壊れてないだけましじゃないですか?こいつ等の起こすことでいちいち目くじら立ててたら身が持ちませんよ」 


 他人事のようにそう言った吉田にランがつかつかと歩み寄る。誠はどう見ても小柄というよりも幼く見えるランの怒った姿に萌えていた。


「おー、言うじゃねーか!だいたいだな、オメーがこいつを甘やかしているからこんなことになるんだろ?違うか?おい」 


 椅子に座っている吉田はそれほど身長は高くは無いが、それでも110センチ強と言う小柄なランである。どうしてもその姿は見上げるような格好になった。


「あ!僕の大判焼きが!」 


 突然の叫び声に一同はギリギリとグレゴリウス16世の首を締め上げているかなめの向こうの小柄な少年兵に目をやった。司法局の十代の隊員の二人目、アン・ナン・パク軍曹。そしてそこにはいつの間にかかなめとグレゴリウス16世とのレスリングから抜け出していたシャムがムシャムシャと大判焼きを食べている。アンは涙目でかなめ達を見つめる。さすがにそれを見てかなめはグレゴリウス16世の首輪から手を離して何もしていないと言うように両手を広げておどけて見せる。


「お……お……オメー……!」 


 ランは下を向いて怒りを抑えている。その姿を見て後ずさる誠の袖を引くものがいた。


「今のうちに隣の管理部に配ってきちゃいましょうよ」 


 こう言う馬鹿騒ぎに慣れているアイシャの手には嵯峨の作ったアンケート用紙が握られていた。


「じゃあ後できますね」 


「おう、その方がええやろ」 


 二人に手を振る明石を置いて、誠とアイシャは廊下に出てすばやく隣の管理部の扉を開けた。


 カオスに犯された実働部隊の詰め所から、秩序の支配する管理部の部屋へと移って誠は大きくため息をついた。


「ああ、神前か。隣は相変わらずみたいだな」 


 そう言って笑うのは管理部部長アブドゥール・シャー・シン大尉だった。目の前の書類に次々とサインをしていく彼の前には、明らかに敵意を持って誠を見つめる菰田邦弘主計曹長が立っていた。


 誠はこの菰田と言う先輩が苦手だった。第二小隊隊長カウラ・ベルガー大尉には、菰田達信者曰くすばらしい萌え属性があった。


 胸が無い。ペッタン娘。洗濯板。


 かなめはほぼ一日にこの三つの言葉をカウラに浴びせかけるのを日常としていた。だが、そんなカウラに萌える貧乳属性の男性部隊員を纏め上げた宗教を拓いた開祖がいた。


 それが菰田邦弘主計曹長である。彼と彼の宗教『ヒンヌー教』の信者達はひそかに隠し撮りしたカウラの着替え写真や、夏服の明らかにふくらみの不足したワイシャツ姿などの写真を交流すると言うほとんど犯罪と言える行動さえ厭わない勇者の集う集団で、誠から見て明らかに危ない存在だった。


 しかも、現在カウラは誠の護衛と言う名目で誠の住む下士官寮に暮らしている。誠がその特殊な能力ゆえに誘拐されかかる事件が二回もあったことに彼女が責任を感じたことが原因だが、菰田はその男子寮の副寮長を勤める立場にあった。誠の日常は常にこの変態先輩の監視下に置かれていた。


「なんだ、神前か。またくだらない……」 


 誠を嘲笑するような調子で言葉を切り出そうとした菰田の頬にアイシャの平手打ちが飛んだ。


 誠の護衛は一人ではなく、アイシャとかなめも同じく下士官寮の住人となっていた。菰田達の求道という名の変態行為への制裁はいつものことなのでシンも誠も、管理部の女性隊員も別に気にすることも無くそれぞれの仕事に専念していた。そのような変態的なフェチズムをカミングアウトしている菰田達が女性隊員から忌み嫌われているのは当然と言えた。


 いくらアイシャは女性の司法局の隊員ではもっとも萌えに造詣の深いオタクとはいえ、目の前にそんな変態がいることを看過するわけも無かった。しかも菰田は自分のペットと認識している誠に敵意を持っている。戦闘用の人造兵士の本能がそんな敵に容赦するべきでないと告げているようにアイシャの攻撃は情けを知らないものと化していく。


「あんた、いい加減誠ちゃんいじめるのやめなさいよ。そんなに誠ちゃんがカウラちゃんと一緒にいるのが気に食わないの?それと……」 


 そう言うとアイシャは口を菰田の耳に近づけて何かを囁いた。菰田はその声に驚いたような表情をすると今度はアイシャに何か手で合図をする。それにアイシャが首を振ると今度は手を合わせて拝み始めた。二人の間にどんな密約が結ばれたのか定かではないがそれまで敵意をむき出しにしていた菰田がにやりと笑って恍惚の表情に変わるのを誠はただいぶかしげに見つめていた。


 そして誠と同じように二人のやり取りに呆れているこの部屋の主が口を開いた。


「おい、その紙を配りに来たんだろ?人数分俺が預かるから隣の騒ぎを止めてきてくれよ」 


 前管理部部長の肩書きのシンが誠に手を伸ばす。誠は用紙をシンに渡すと部屋を見回した。


「そう言えばスミスさん達はもう出たんですか?」 


 司法局の実働部隊。アサルト・モジュールと言う名のロボット兵器での戦闘を主任務とする部隊は第四小隊まで存在した。


 第一小隊はちっこい姐御ことクバルカ・ラン中佐と壊れた電卓と陰口を叩かれている吉田俊平少佐、そしてちっこくて馬鹿な農業コスプレ少女ことナンバルゲニア・シャムラード中尉で構成されている。


 誠が所属する第二小隊は小隊長がカウラ、そしてかなめと誠が小隊員だった。


 第三小隊はかなめに虐げられることを願って止まない嵯峨かえで少佐が隊長を勤め、その愛人と呼ばれる渡辺要大尉と、以前女性隊員がアイシャの扇動で行った部隊の美少年コンテスト一位に輝いたアン・ナン・パク軍曹がいた。


 そしてもう一つの小隊。隊内では『外様小隊』と呼ばれるロナルド・スミスJr特務大尉の部隊があった。彼らは現役のアメリカ海軍の軍人であり、『技術支援』の名目で隊に所属しているが、支援とは名ばかりであり、事実上小規模アサルト・モジュール部隊による強襲作戦を得意とする司法局実働部隊隊長嵯峨惟基特務大佐の戦術の吸収がその主任務だった。


 そんな彼らは今は長期休暇中。隊員のスケジュール管理も引き受けているシンが彼らからの定時報告の窓口になっていた。


「ああ、このままクリスマス休暇明けまで戻ってこないって話だぞ。まあおかげでお前等は正月ゆっくり休めるわけだろうけどな。新暦の正月は彼らが待機任務を引き受ける予定だからな」 


 シンはそう言って笑う。敬虔なイスラム教徒で『司法局の良心』と呼ばれる彼が来月でこの司法局を去ることを思い出して誠は複雑な思いで敬礼した。


「まあしばらく俺もまとめておきたい資料とかあるから2月半ばまでは東和にいるんだ。その間にいろいろ神前曹長には教えておきたいこともあるしな」 


 法術と言う新たな人類の可能性が公にされた今の世界で、その一つ炎熱系空間干渉のスペシャリストであるシンの言葉に誠は心強く思った。そして同時にまた何かがぶつかる音が隣の実働部隊詰め所から聞こえてきた。

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