ごちそう

第478話 タンドリーチキン

 地下鉄から降りて階段を上る。誠達は再び浅間界隈の地上の風に吹かれた。とりあえず上りきったところで誠は疑問を口にした


「でもシン大尉。イスラム教徒だったんじゃないですか?」 


 プレゼントの話を思い出してそう言った誠に、呆れ果てたという顔をしたのはかなめだった。アブドゥル・シャー・シン大尉。前の司法局実働部隊管理部部長。現在は母国の西モスレムで新設される同盟軍事機構教導部隊の編成作業にあたっているところだった。


「キリストさんも一応イスラム教の聖人なのも知らねえのかよ。それにこいつの誕生日を祝いたいっていう話になれば、気風きっぷのいいあの旦那のことだ。レシピと材料を送って本格的なタンドリーチキンを食わせてやろうって考えるのもわかるだろ?」 


 かなめは本当にシンのタンドリーチキンが大好きだった。誠もあのやわらかくも香ばしい不思議な食感にはいつも感心させられていたのを思い出した。アイシャもカウラも堅物の癖に妙な食へのこだわりを見せた主計将校のひげ面を思い出していた。


「それはいいけど、なんでカウラちゃんはさっきからにやけてるの?」 


 アイシャの言葉で誠も一人遅れて歩いているカウラに目を向けた。全員の視線が集中すると、恥ずかしそうにカウラはうつむく。


「あんまり苛めるなよな。なんと言っても今日の主役はこいつなんだから」 


 機嫌良くかなめはそう言うとカウラの背中を叩く。それにカウラは我を取り戻して苦笑いを浮かべる。東都浅間界隈の入り組んだ路地を進み、再び誠の実家の剣道場の門構えが目に入る。誠達は張り切っていると言う薫の顔を見るために急いで玄関の扉を開いた。


「お帰りなさい!」 


 引き戸の音が聞こえたのか、薫のはきはきとした声が家中に響いた。


「ただいま」 


 ばつが悪そうに誠が言うのを、かなめは薄ら笑いを浮かべながら見つめている。先日の蟹を入れてあった箱がまだ玄関に置き去りにされている。それを見て苦笑いを浮かべながら誠は台所を目指して歩いた。


 なにやら香ばしい匂いが漂ってくる。いつもの醤油や味噌の香りではなく独特のエスニックな香辛料の香りに誠はひきつけられた。


「まあ、皆さん一緒で。誠、昼はどうしたの?」 


 薫はエプロン姿の笑顔を浮かべている。誠は頭を掻きながら渋々口を開いた。


「子供じゃないんだから。食べたよ、蕎麦」 


 誠の照れた表情に笑顔で返す薫はそのままオーブンの中からこんがりと焼けた鶏肉を取り出した。


「おーう」 


 そう唸ったのは予想通りかなめだった。


「ちょっと実験してみたのよ。ヨーグルトベースの汁につける時間が短かったからそんなにやわらかくなってないと思うけど……」 


「薫さん!食べていいですか?」 


 かなめはそう言うと薫が頷くのも待たずに一切れを手に持った。香りを味わい、そしてゆっくりと口に運ぼうとする。


「西園寺。手は洗ったほうがいいぞ」 


 カウラはそう言ってそのまま立ち去る。かなめはしばらくそちらを見つめた後、後ろ髪引かれながら肉を置いてそのまま台所の流し台に向かう。


「かなめちゃん。そのままうがいを……」 


「うるせえ!」 


 アイシャの言葉に怒鳴りつけたかなめは再び鶏肉を手に持ってそれにかぶりついた。


「旨い!」 


 そう一言叫んだ後、かなめはひたすら肉に集中して食べ続ける。


「あのー、どう?」 


 薫はあまりに見事なかなめの食べっぷりに呆れながらそう尋ねた。


「お母様無駄ですわよ。西園寺様はもうお肉のとりこに成られて……」 


 ふざけて気取ったときにかなめが口にするような丁寧な言葉を発したアイシャを、かなめは口に肉をくわえたまま蹴飛ばす。


「ふざけているんじゃない!神前。手を洗ったほうがいいぞ」 


 そう言うカウラの視線も肉の塊に向いていることに誠は気づいていた。彼女もやはり食べてみたいのかそう思うと自然に誠の表情も驚きから喜びに変わる。


「私は要らないからさっさと手を洗ってくれば?」 


 アイシャにまで気を使われたら誠も断るわけには行かなかった。そのまま廊下をひとたび玄関のほうに向かうと手前のドアを開いて洗面所に入る。


『うめー!』 


『それはよかったわ!今他の肉は仕込みの最中だから。手伝ってもらうときは声をかけるわね』 


 かなめの叫び声と、母のたしなめるような言葉が響いてくる中誠は手を洗っていた。


「まーこーとちゃん!」 


 そう言ってアイシャが後頭部にチョップしてきた。誠は驚いて振り向いた。。


「何するんですか?」 


「失礼ね!私も手を洗いに来たのよ」 


「食べないんじゃなかったんですか?」 


 誠は態度を変えて見せたアイシャに声をかける。


「うるさいわね!いいでしょ?別に」 


 そう言うと手ぬぐいを手に取っている誠を押しのけるようにしてアイシャは手を洗う。そんないつものように気まぐれな彼女に気づかないうちに笑顔が浮かんで来ているのがわかる。


「でも……カウラちゃんは幸せものよね」 


 アイシャは急にしんみりした調子でつぶやいた。誠は突然の変化に対応できずに立ち尽くしてしまう。誕生日の話。彼女達にとっては培養ポッドから出て初めて呼吸をした瞬間。


「そう言えば、アイシャさんは比較的起動時期が早かったと聞いたんですけど……」 


 気を使って話題を振ったつもりが、手を拭おうと誠の手にある手ぬぐいを手にしているアイシャの顔はどこと無くさびしげに見えた。


「そんなこと聞いてどうするつもり」 


 いつもの明るいアイシャではなかった。何かひどく暗い表情。誠はしまったと思いながらうなだれる。


「まあそんなことどうでもいいじゃないの。それよりお肉なくなっちゃうわよ」 


 そう言うとアイシャは手早く手を拭ってそのまま台所に向かった。


「ちょっと!それ!」 


 洗面所を出たとたんにアイシャの叫び声が響く。頭を掻きながら台所に顔を出した誠の前に、誠の方をタレ目でちらちら見ながら猛然と肉にかぶりつくかなめの姿があった。


「早い者勝ち……まあどうしてもと言うなら食いかけのこれを」 


 すぐにかなめの後頭部をはたいたのはカウラだった。アイシャはいつものかなめに対する突っ込みを先にカウラにやられて少しばかり驚いたような表情を浮かべていた。カウラもなぜそんなことをしたのかと言うようにきょとんと立ち尽くしている。


「まあ、やっぱり凄いのね本場の味は。皆さんには好評みたいだから。誠のはあとでね」 


 そう言うと薫は流し台の隣の大きな袋に詰められた鶏肉に向かう。母のそんな姿と肉にがっついているかなめとアイシャを苦笑いを浮かべながら見つめる誠だった。


「おい、そういえば例のプレゼントは?」 


 早くも二本目の鳥の腿を食べ終わったかなめが思い出したようにそう言った。誠はにんまりと笑みを浮かべる。自分でもそれが自信に満ちているのを感じていた。


「当然もう出来てますよ。ちゃんとプレゼント用に包装もしましたし」 


「え?事前に見せてくれないの?」 


 アイシャの好奇心むき出しの言葉に誠は照れ笑いを浮かべた。そんな彼を楽しそうに見つめながらカウラはかなめが残した最後の肉をむさぼる。


「事前に見せたらまた色々突っ込みを入れるでしょ?」 


「突っ込みじゃないわよ!アドバイス。純粋に観賞する者としての要望を述べているだけよ」 


 ワイルドに間接の軟骨を食いちぎりながらアイシャはそう言って笑う。


「まあいいか」 


 そう少しさびしそうに言うと、食べ終わったかなめが肉をタレとなじませる為に肉の入った袋を揉んでいる薫の隣の流し台で手を洗う。


「そんなところで作業の邪魔をして……」 


「いいだろ?きれいになったんだから。それと神前、アタシはこれからちょっと用があるから」 

 

 そう言ってかなめはそのまま台所を出て行った。


「まったく勝手ばかり言って……」 


 そう言いつつ、かなめの完全に骨以外残さずに食べた鳥の腿肉を参考に、アイシャは軟骨を食いちぎり続ける。カウラはそんなアイシャとただ立って笑顔を浮かべているだけの誠を見ながら、満足そうに手に握っている腿に付いた肉を食べていた。


「そう言えばアイシャさん。ケーキとかピザとかはどうしたんですか?」 


 骨を咥えているアイシャに誠は声をかけた。アイシャは静かに口から骨を出して、そのまま待ってましたというような笑みを浮かべる。


「私に抜かりがあるわけないでしょ?当然、手配済み。もうすぐ配達の人が来る手はずになっているわ」 


「じゃあ何で西園寺は……」 


 カウラは引き戸を開けて出て行ったかなめの後姿を見るように廊下に身を乗り出す。


「さあ?私は知らないわよ。それにしてもこんなにお肉があるなんて……ピザちょっと頼みすぎたかしら?」 


 そう言うとアイシャは手にした骨を、かなめがきれいに食べつくした鶏肉の骨の上に並べた。

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