第468話 蟹

「おい、アイシャ」 


「なに?」 


 かなめが身を乗り出して目の前のレンタカーとわかるナンバーのマイクロバスを指差した。


「ああ、あれは……」 


 アイシャがそういった瞬間、道場から駆け出してきた白髪のロングヘアーの女性の姿が目に入った。


「カウラちゃん!」 


 運行部部長で運用艦『高雄』艦長、鈴木リアナ中佐が手を振っている。その後ろではサラ・グリファン少尉、パーラ・ラビロフ中尉のコンビがリアナがはしゃぎすぎないよう監視していた。そして彼女等に続いてブリッジクルーの女性隊員達がマイクロバスから降りている。オフなので当然全員私服。中でも紺絣にどてらを着たリアナの白い髪が夕暮れの中で浮き上がって見える。


「降りろ、神前」 


 そう言ってかなめが足を蹴り上げるので誠は状況がつかめないままカウラに続いて車から降りる。


「人の車だと思って……」 


 かなめの態度に呆れながらカウラは狭い後部座席から降り立った。


 三人はなぜ彼女達がここにいるのか不思議に思いながらニヤニヤしながら自分達を見つめているアイシャに視線を移す。


「ああ、カウラちゃんの誕生日でしょ?たくさんで祝ったほうがいいってお姉さんに言ったら……」 


 アイシャの隣に並んだどてらを羽織っているリアナが満面の笑みでカウラを見つめている。


「多いほうがうれしいですものね。みんなでお祝いしましょうよ」 


「あの、お姉さん。仕事は……」 


 さすがのかなめも心配そうな表情を浮かべる。


「ああ、例の三体のアサルト・モジュールの起動実験でしょ?ともかくしばらくは『高雄』での運用は無いだろうと言うことで私達暇だったのよ。でも……」 


 パーラはそう言うと隣のサラを見つめる。整備班班長の島田と付き合っているサラの表情はさすがに冴えない。


「まあ島田先輩は休めないでしょうね」 


 誠の言葉を聞くとサラはそのまま静かにうなづく。


「こんなに来て……それに明日じゃねえのか?こいつの誕生日」 


「だって……明日だと私が出れないでしょ?それにいいものが手に入ったんだから」 


 うれしそうなリアナ。確かに司法局実働部隊での数少ない既婚者である彼女は夫の健一とクリスマスの一夜を過ごす予定でもあるだろうと察して誠は苦笑いを浮かべた。


「なんですか?」 


「蟹よ!」 


 アイシャがうれしそうに叫ぶ。かなめとカウラはなんとなく納得したような表情でアイシャのうれしそうな顔を眺めていた。


 道場の入り口で手を振る母、薫。誠は苦笑いを浮かべた。カウラとアイシャが冷やかすような視線を彼に向けてくるのがわかる。


「本当に仲がいいのね。かなめちゃん、うらやましいでしょ?」 


 そう言って見つめてくるリアナにかなめは思わず顔を赤らめる。そしてそのまま足を玄関に向ける。


「そう言えば西園寺さんのお母さんて有名な剣術家で……」 


「お姉さんお袋の話ははしないでくださいよ」 


 かなめはリアナにそう言うと足を速めた。


「ええ、かなりしごかれたらしいわよ。すっかりトラウマになったみたいで」 


「アイシャ!聞こえてんぞ!」 


 怒鳴るかなめにアイシャは思わず首をすくめる。誠も仕方なくかなめやカウラと玄関へと向かった。引き戸を開いて入った玄関には大量の大きな白い断熱素材の容器が積み上げられている。


「これ……全部蟹?」 


「そうよ!」 


 呆れたようにつぶやくかなめにアイシャは元気良く答える。誠も空の容器を見つめながらその量の多さにただ圧倒されていた。


「北海ズワイ……本物か?最近のこう言う表示の紛らわしいのは何とかならないのか?」 


 カウラのつぶやきに誠も苦笑する。当然遼州にはズワイガニはいない。哺乳類が生物学上の同様の進化をたどったとされている遼州だが、甲殻類の進化は地球のそれとは違った。この『北海ズワイ』と呼ばれている『リョウシュウクモガニ』は見かけは確かに蟹と思えるが、足の数が二本多いのが地球の蟹とは違う点だった。美食家の嵯峨に言わせると味はあっさりしすぎていて地球のズワイガニより劣るという話だった。


「でもまあこれは誰が……」 


 呆れながら誠は靴を脱ぐ。かなめは誠を待たずに奥の洗面所に走っていく。


「隊長に決まっているじゃない」 


 背中からいきなりリアナに声をかけられて誠はバランスを崩す。ブーツを脱ぎ終えたカウラが手を出さなければそのまま顔面から玄関のコンクリートにキスをするところだった。


「脅かさないでくださいよ」 


 リアナは満面の笑みを浮かべながら体勢を立て直す誠に手を貸す。


「ごめんなさい。でもこれで今日は蟹鍋ができるのよ。みんな楽しくって……」 


 そう言うとリアナはサンダルを脱いでそのまま道場へ向かう廊下を小走りで消えていく。


「楽しそうだな」 


 誠を待ってくれているカウラに笑顔を向けながら誠はようやく靴を脱いで立ち上がった。


「でもこんなに食べるんですか?」 


 明らかに伊達では無い量に誠はただ圧倒されていた。


「ちゃんと手を洗って!」 


 道場の方からの母の叫びに苦笑いを浮かべながら誠はそのまま廊下を奥に進んだ。


「良いわね、お母さんて」 


「そうですか?面倒なだけですよ」 


 リアナの言葉につい出た言葉に誠は頭を掻いた。そんな誠をカウラは静かに見守る。


「なんだよ、早くしないと全部食っちまうぞ」 


 洗面所に向かう廊下から顔を出したかなめがそう言って笑う。誠は仕方がないと言う表情でそのまま洗面台に向かう。


「お前もちゃんと手ぐらい洗えよ」 


「余計なお世話だ」 


 いつものように一言多いかなめにカウラがやり返す。


「本当に二人は仲良しなのねえ」 


 リアナの言葉にかなめとカウラが見つめあう。次第にその表情が複雑なものになり、そしてリアナに向き直る。


『どこがですか!』 


 声をそろえて二人が言うのを見て手を洗っていた誠が噴出す。それを見るとすぐさまかなめの手がその襟首を捕まえて引き倒した。


「おい、どういうつもりだ?あ?」 


 かなめはそのまま誠の利き手の左手をつかむと後ろにぎりぎりと締め上げ始める。


「どういうつもりも何も……」 


「西園寺、ちゃんと躾をしておけ」 


 カウラは引き倒されてじたばたしている誠を横目に見ながら、優雅に手を洗っている。そしてその水音と暴れる誠の音ににまぎれて玄関の引き戸を開く音が聞こえた。

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