第445話 終業
「機体のスペックはまだしも嵯峨大佐の能力は予定をはるかに超えている……合衆国陸軍の連中はまだ相当隠し事をしているというわけか」
ロナルドの言葉が雑然としたハンガーに響いた。それがアメリカ海軍からの出向者の言葉だけに深みを持って誠の耳に響いた。
「そういうことね。まあ隊長を締め上げてものらりくらりとかわされるだけだから。吉田でも捕まえて問い詰めてみようかしら」
明華はジュースを飲みながらつぶやく。画面にはすでにヨハンの観測したデータのグラフが映し出されている。
「大変だな」
ランの言葉に明華は大きくうなづいた。
「今夜は明華達は徹夜だろうな。実験データの整理もしばらくかかりそうだし」
冬の早い夕暮れは過ぎて、定時の時報が鳴る。ランは明華から送られたデータとにらめっこをしながら難しい顔でハンガーの隣の制御室に集まった誠達を見回した。
すでに冷やかしに来ていた第四小隊の岡部とフェデロは帰っていた。データ解析を依頼された吉田は電算室に篭りきり、シャムは亀吉を新たなテリトリーである宿直室に連れて行っているところだった。
「本当に良いんですか?僕たち休んじゃって」
カウラの心配そうな言葉。ムッとした表情でランがそれを見つめる。カウラはアイシャの策で休暇をとらされるということが今ひとつ納得できない表情を浮かべていた。
「オメー等がいなくても仕事は回るよ。ここ数日は技術部はカネミツのデータ収集で整備の連中の手が回らないだろうからな。司法局の実力行使活動も、今頼まれてもうちは動けねえよ。既存戦力の整備に回す人的余裕なんてねーからな」
ランは投げやりにそう言って冷ややかな笑みを浮かべた。とても見た目の子供っぽさとは遠く離れたランの表情に誠も愛想笑いを浮かべる。
「みなさーんこれからはお休みですよ!」
突然ドアが開く。そしていつものように突然アイシャが叫ぶ。当然のようにそれをランがにらみつける。
「えーん、怖いよう。誠ちゃん。あそこのちっこい怪物が……」
そう言ってアイシャはすばやく誠の腕にすがりつく。
「永遠にやってろ!バーカ」
アイシャが誠にまとわりつく様子をランは迷惑そうな表情で見つめる。彼女もアイシャのこういうノリには慣れてきたので無視して仕事に集中する。
「クバルカ中佐。私達の仕事は……」
そんな気を使ったカウラの言葉に画面を見つめながらランは手を振って帰れというようなそぶりを見せる。
「ほら!機動部隊隊長殿のありがたい帰還命令よ。カウラお願い」
アイシャは通勤用の車の主のカウラを見つめる。仕方がないというように端末を終了して立ち上がる。何度かランを見てみるカウラだが、ランの視線は検索している資料から離れることはない。
「早く帰れ!すぐ帰れ!」
そんなランの言葉に追い立てられるようにして誠達は詰め所を後にした。年末が近く、データを手にした管理部の隊員があちこち走り回っている。
「なんか凄く居場所が無い感じなんだけど」
忙しそうな隊員達を見てかなめは頭を掻いた。さすがに彼等がほとんど誠達に目もやらないことに気がついてため息をついたカウラはそのまま廊下を更衣室へと歩き出した。
そのまま足早に廊下を走り回る整備班員や管理部員の邪魔にならないように端を歩きながら誠は更衣室へ入った。
「あれ?神前さんは今日は……」
中でつなぎに足を通していた整備班の西高志兵長が不思議そうな顔で誠を見つめる。その視線にただため息をついた後、誠はそのまま自分のロッカーの鍵を開いた。
「ああ、アイシャさんがクリスマスと正月というものを過ごしたいということで明日から休みなんだ」
どう説明するべきか悩みながらの誠の一言に西は首をかしげる。
「それは聞いてますけど……良いんですか?第一小隊はしばらく動けませんよ。それに引継ぎ業務とかはできるだけ口頭でやるものじゃないんですか?」
西の言葉に指摘されるまでも無く誠もそれはわかっていた。
「そんなこと言ってもクバルカ隊長の指示だからな」
そう言って言い訳をする誠を西は不思議そうに見つめる。そしてすぐにその視線は羨望の色に染まっていく。
「いいなあ、僕達はたぶんクリスマスはハンガーで北風浴びながら過ごすことになりそうですよ。たぶん、ノンアルコールビールとかシャンパンとか買って」
「お前は未成年だろ?それなら島田先輩とかの方が悲惨だよ」
つなぎのファスナーをあげて、帽子をかぶっても遅番の仕事開始の時間に余裕のある西は立ち去ろうとしない。
「それにいいじゃないか。にぎやかで」
皮肉のつもりで言った誠の言葉だが、明らかに西の心をえぐるような一撃だった。瞬時に顔が赤くなる。そして大きく深呼吸をした西は視線をそらした。
「それじゃあ失礼します」
誠を恨めしそうに一瞥した後、西は肩を落として更衣室を出て行った。
さすがに西と技術部にロナルド達と同じく出向してきているレベッカ・シンプソン中尉との関係を思い出して少し後悔する誠だがどうしようも無かった。そのままジーンズを履いてダウンジャケットを羽織る。
更衣室の電源を消して廊下に出てみるが、相変わらず活気のある廊下には隊員が行きかっている。電算室から顔を出した島田がうらやましそうに誠を見るが、そのまま勢い良く飛び出すと、早足でハンガーへと向かっている。
「おう、待たせたな」
そんな様子を眺めていた誠の後頭部にかなめは軽くチョップを入れる。ハンガーから吹いている風にカウラのエメラルドグリーンの髪とアイシャの紺色の髪がなびく。
「じゃあ、行きましょうよ。どうせハンガーを経由した通路は邪魔になるだけでしょうから」
そう言うといかにもうれしそうにアイシャは玄関に向かう階段を降り始めた。
「でも良いんですか?本当に」
誠の不安そうな顔に先頭を闊歩していたアイシャが長い髪を振るようにして見つめてくる。
「大丈夫よ!まず隊員相互の信頼関係を構築すること。そして社会とのコミュニケーションを重視すること。公僕ならば当然でしょ?」
「そりゃあ理屈だ。でもそれじゃあただの税金泥棒じゃねえか」
ぼそりとつぶやいたかなめをアイシャは挑発的な視線で見つめる。
「そうでもないわよ。今回の『カネミツ』の部隊配備に関する予算はすべて嵯峨家から出てるのよ」
「でもアタシ等の給料は?」
そんなかなめの突っ込みにアイシャは首をひねってとぼけて見せる。
「その点は大丈夫だ。全員の有給にはかなり余裕がある。私もクバルカ中佐から消化しろと迫られていたからな」
そう言ってカウラは三人を置いて夕闇の中に消えようとする。三人はとりあえずは急いで彼女についていくことにした。
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