人の不幸

第434話 通夜のような

「西園寺さん……」 


 青白い顔をして誠はハンガーの前で泣きそうな顔でかなめを見つめていた。かなめ、カウラ、アイシャとの昨日の飲み会。いつものようにおもちゃにされた誠は泥酔して全裸になっているところをアイシャに写真に撮られて、いつも通勤に使っているカウラの車の中で見せびらかされていた。


「何のことかねえ」 


 とぼけるかなめに賛同するようにアイシャはうなづく。カウラは諦めたように視線をハンガーの中に向けた。


「スミス大尉」 


 気がついたようにカウラが叫んだ。ハンガーで呆然と中に並ぶ05式とM10を見上げている大柄の男、ロナルド・スミスJr特務大尉がぼんやりと立っている。振り向いた彼は少し弱ったような顔で笑いかけてくる。


「やあ、いつも仲がいいんだね……」 


 何か言いたげなロナルドの瞳に誠達は複雑な気持ちになる。


「今回のことは……」 


 カウラの言葉にロナルドは力無く笑う。誠はそのまま近づこうとするが思い切りかなめに引っ張られてよろける。


「何するんですか!」 


 誠は思わずそう言い掛けて口をかなめにふさがれた。その耳にアイシャが口を寄せる。


「下手に励まそうなんて考えない方がいいわよ!地雷を踏むのは面倒でしょ!」 


 そこまで聞いて誠はロナルドの休暇を切り上げての原隊復帰が婚約を破棄されたことがきっかけだったことを思い出した。誠はそのことを思い出すと二日酔いでぼんやりした意識が次第に回復して背筋に寒いものが走るのを感じた。


「いいねえ、君らは……」 


 冷めた笑いを浮かべた後、ロナルドは大きくため息をつく。誠はそのままかなめに引きずられて事務所に向かう階段へと連れて行かれる。何か声をかけようとしていたカウラだが、そちらもアイシャに耳打ちされてロナルドとの会話を諦めて誠達のところに連れてこられた。


「きっついわ。マジで。どうするの?」 


 アイシャはそう言うと呆然と勤務服姿で整備の邪魔になっていることにも気づかずにアサルト・モジュールを見上げているロナルドを指差した。


「知るかよ!それよりシャムやかえでが怖いな。あいつら空気を読む気はねえからな。絶対地雷踏むぜ」 


「ひどいな!地雷なんか踏まないよ!」 


「わあ!」 


 かなめの後ろからシャムの大声が響いて驚いた誠がのけぞる。猫耳が揺れる、黒いショートカットがその下で冷たい風になびく。


「声をかけるなら先に知らせろ!」 


 さすがにいきなり声をかけられて驚いたようにかなめがシャムを怒鳴りつけた。


「え?だって私ずっとここにいたよ」 


 すでに勤務服に着替えているシャムの頭には猫耳があるのはいつものことだった。それを見ていた誠の足元で何かが動く。それは小山のようなシャムの愛亀の亀吉だった。魚屋の二階に下宿しているシャムの説明では床が抜けると言われて隊に運んできたと言うことらしい。


 亀吉は潤んだ瞳で誠を見上げる。誠はその甲羅に手を伸ばすが何か気に入らないのかゴツンと誠の弁慶の泣き所に体当たりをしてきた。


「うっ!」 


 そのまま誠は打撃を受けた足を押さえてかがみこむ。


「ざまあ」 


 かなめの無情な言葉に誠は痛みを抑えながらタレ目を見つめた。


「じゃあ私は……」 


 アイシャの言葉にかなめが手を伸ばす。


「逃げるなよ!」 


 階段を登ろうとするアイシャをかなめが羽交い絞めにした。そんなかなめの気持ちは誠にも予想が出来た。


 アイシャは運行部の所属、司法局実働部隊の運用艦『高雄』の副長である。このまま階段を登り、更衣室で勤務服に着替えて一階の運行部の部屋に入れば憂鬱を体現しているロナルドの顔を一日見なくても仕事になる。


 だが、かなめにカウラ、誠はロナルドと同じ機動部隊である。端末を見ながら時折ため息をついたり、三人で資料の交換のために声をかけるところをじっとうらやむような目で一日中見られるのはたまったものではなかった。


「オメエ、今日はアタシ等と一緒にいろ!な?」 


 かなめは哀願するようにアイシャを見上げる。だが、かなめはアイシャの性格を忘れていた。自分が心理的に優位に立ったとわかるとアイシャの顔が満面の笑みに満たされる。


「私だけでいいの?なんならサラやパーラも連れてきてあげましょうか?」 


 そんな得意げな口調にさすがのカウラも言葉が無かった。明らかに挑戦的なアイシャの言葉。それにかなめはまんまと乗せられていく。


「出来れば入れ替わりで来てくれれば……」 


 しかたなくカウラもそう言ってしまった。ハンガーの中央に一人で立っているロナルドが見える。技術部の兵士達は気を使って彼をわざと避けて通っている。


「でも、アイシャは仕事があるんじゃないの?それにいつもかなめちゃんはアイシャちゃんが来ると怒るじゃない」 


 シャムは状況をまるでわかっていない。かなめはその頭にチョップをした。


「痛い!」 


 その言葉がきっかけになったように今度は亀吉の甲羅がかなめを攻撃する。だが、サイボーグの人工筋肉と新素材の骨格のおかげで反応のない奇妙な敵と認識したのか、逆に亀吉が驚いて逃げ始めた。


「あれ?どうしたの?」 


 そのままハンガーを歩いていく亀吉。シャムはその後ろをついていく。その先にはぼんやりと今度はグラウンドに目を向けていたロナルドがいた。


「ヤバ!行くぞ」 


 かなめはそう言うと階段を駆け上る。誠とアイシャもシャムが天然会話でロナルドを苦笑させてさらに落ち込む光景を想像してかなめのあとに続いた。


「ああ、お姉さま」 


 階段を登りきる。わざとらしくかなめに声をかける為に待ち構えていたかえでを無視してかなめは更衣室を目指す。ガラス張りの管理部の部屋では経理や総務の女性隊員が囁きあいながらハンガーの中央に立つロナルドを眺めているのが目に入った。


「触らぬ神に祟りなしなのにねえ」 


 アイシャはそう言うと本気で廊下を走っていく。


「こらこら、廊下は走っちゃだめだよー」 


 いつもの抜けた表情の嵯峨の言葉も無視して四人は駆けていく。


「失礼します!」 


 かなめ達にそう言って誠は男子更衣室に飛び込んだ。そこには珍しい組み合わせの面々が着替えを済ませて腕組みをしながら飛び込んでくる誠を迎え入れた。


「どうだった?」 


 ロッカーに挟まれた中央の椅子に腰掛けていたのは、前管理部部長で現在は同盟軍教導部隊の設立に奔走しているはずの人物だった。アブドゥール・シャー・シン大尉。すでに来年度の新部隊開設の時には少佐に昇格するのが確定していた。


「どうって言われても……」 


 そう答える誠をシンの隣で見ているのは背広組で着替える必要の無いはずの現管理部部長高梨渉参事官だった。その隣には技術部整備班長の島田正人准尉がため息をつきながら腕組みをしている。そして彼とは仲が悪いはずの管理部経理課課長代理の菰田邦弘曹長までもが付き合うようにため息をついている。


「シャムが余計なことしなきゃ良いんだがなあ」 


 シンの言葉に誠は最後にロナルドを見た光景を思い出した。


「ああ、それなら今亀吉を追いかけてハンガーに……」 


「おいおいおい!まずいぞ」 


 誠の言葉にシンは自慢の口ひげをひねりながら焦ったような表情を浮かべる。同じように腕組みしている菰田の貧乏ゆすりが続く。


「でも大丈夫なんじゃないですか?ナンバルゲニア中尉には人を元気にする力がありますから」 


 そう言ってみて誠は後悔した。シンは誠の言葉を聞くとあきれ果てたというように首を左右に振った。誠は彼がシャムとは遼南内戦中からすでに十四年の付き合いがあることを思い出した。


「確かに荒療治としてはそれもありかも知れないがな。実は今回の休暇に入る前に電話を貰ってね。凄い自慢話とか婚約者の写真とか送られて大変だったんだぜ」 


 シンの言葉でロナルドの浮かれぶりが想像できた。めったに私的なことを口にしないロナルドがそれだけ入れ込んでいたと言うことになれば、反動での彼の落ち込み方が想像に余りある。


「岡部達はあさって東都空港に到着の予定だからな。ともかくそれまでは出来るだけ静かに接することにしよう」 


 高梨の発案に全員がうなづく。


「切れる、分かれるは禁止と言うことで」 


「ああ、結婚式、ケーキ、チャペルなんて言葉も危ないな」 


 菰田と島田の言葉に全員がうなづく。その様子を見た高梨が腕の端末を起動させた。


「やっぱり向こうでもその話題で持ちきりだな」 


 スクロールしていくテキスト画面にはリアナの司会で対ロナルド対策を立てている隣の女子更衣室の会議の模様が流れている。


「特に……」 


 シンの視線が誠に向けられる。『ベンガルタイガー』の異名のエースパイロットの視線に耐えかねて逸らした先には島田、振り返れば菰田のにらむような視線がある。


「僕ですか?」 


 誠の言葉に全員が大きくうなづいた。


「貴様はモテモテオーラが出てるからな」 


 明らかに殺意を込めた視線が菰田から投げかけられて誠は当惑した。それに同調するように島田がうなづく。反論したい誠だが、そんなことが出来る雰囲気ではなかった。

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