蕎麦

第389話 蕎麦

「ずいぶんとまー……そのなんだ。いつ来ても思うけど……ここ、広すぎじゃねーのか?」 


 同盟司法局ビルの最上階。司法局渉外部本部長室に足を踏み入れたランがそう言うのに合わせて、誠やカウラは嵯峨の司法局実働部隊隊長室とその広さを比べて辺りを見渡す。司法局実働部隊本部の事務スペースすらこの部屋ですべてまかなえる広さに彼等は圧倒される。


「これはクラウゼ中佐!」 


 応接セットに腰掛けていたこの部屋の主、ラン達を呼び出した本人、明石清海中佐が立ち上がって敬礼する。テーブルの上には山盛りのもり蕎麦が置いてある。先に到着していた茜の班のうちサラと島田以外がうまそうにそれを啜っていた。特にアイシャはかなめに見せ付けるようにして蕎麦を啜って見せている。


「叔父貴が来たのか?」 


 茜に声をかけたかなめが静かにうなづくラーナを見つけると、そのままずかずかとランを追い越してどっかりとソファーに腰掛ける。


「そういうこと。かなりたくさんいただいたからもうすぐ新しいのを島田君達が持ってくるわよ」 


 そう言ってアイシャは蕎麦をめんつゆにたっぷりとつける。


「おめえは蕎麦の食い方知らねえな?」 


「いいでしょ、好きに食べたいんだから」 


 いつものようにアイシャに突っかかるかなめに苦笑いを浮かべながらランは明石に上座を譲られて腰を下ろした。


 気を利かせたラーナがめんつゆを用意して、あわせるように茜が箸を配り始める。


「で、明石。隊長が来た理由はなんだ?」 


 麺つゆにたっぷりとねぎを入れながらランが明石の大きな禿頭を見上げる。


「ええとまあ……何からいうたらええのんかよう分からんのやけどなあ」 


「とりあえず東都警察とのこれからの情報交換の窓口はわたくしが勤めることになりましたわ」 


 麺つゆを置いた茜の言葉にランはうなづく。隣では明らかに多すぎる量のわさびを麺つゆに入れるかなめの姿が見える。


「おい、西園寺」 


「いいだろ?アタシがどう食おうが……」 


 そう言ってめんつゆに蕎麦を軽くつけたかなめだが、そこにわさびの塊がついていたらしく一気に顔をしかめて咳を始めた。


「あせらんでもええんやで。今、島田が茹でとるさかいそないな食い方せんで……」 


「うるせえタコ!」 


 一言明石を怒鳴りつけるがまだ口の中にわさびが残っていたようでかなめは目をつぶって下を向いていた。


「捜査の人手が足りない問題はこれで解決したと。で、もう一度聞くけどあのおっさんはなんか言って無かったか?」 


 一口嵯峨が打った手打ち蕎麦を味わった後、麺つゆをテーブルに置いたランは一気に蕎麦を口に流し込むようにして食べる明石を見上げた。


 口についた汁を拭った後、明石は静かに口を開いた。


「クバルカ先任。ワシはようやっとわかったとこなんやけどな。意外と隊長は情報を握っとらんような感じがすんねん」 


 そう言って明石は再びテーブルの上のそばに手を伸ばす。さすがに客が増えて蕎麦の量はすでに七割がた減っていた。


「馬鹿にすんなよ。アタシも外から司法局実働部隊に入った口だ。吉田やリアナみたいにあのおっさんが万能だなんて思っちゃいねーよ。点々と得ることが出来た情報を的確につなぎ合わせ推理してみせる妙であたかもすべてを知っているように見せる。隊長のお家芸には感心させられるがな……って!西園寺!」 


「お子ちゃまですかー。わさび食べられないのはー」 


 まじめに話をしていたランの麺つゆにかなめはわさびを入れようとしてランに怒鳴られる。


「ああ!クバルカ中佐達も到着したんですか!」 


「これが最後ですよ」 


 島田とサラが二つの大きなざるに蕎麦を入れたのを持って現れる。にんまりと笑いながらかなめは場所を空けた。それなりに大きな応接用のテーブルだが、あっという間に蕎麦で一杯になった。


「しかしあのおっさん何をしているんだ?上の情報はさっき明石がよこしたのですべてだろ?厚生局が動いていて横槍を入れる機会を狙っているって話だが……今の段階でアタシ等に手を出せば自首してみせるようなもんだと言うことぐらい分かっているみたいだし……」 


 島田が並べるあまりの蕎麦の量にランは呆れていた。それを無視してかなめは蕎麦に箸を伸ばす。


「つまりあの志村と言うあんちゃんの携帯端末の情報が生命線なわけか……同盟本部南下の林立するところで暴れた少女の行方がつながればすぐにでも厚生局にがさ入れに入れる」 


 話を戻そうとランが麺つゆを机に置いて明石に話を向ける。誠はひたすら蕎麦を食べながら二人の会話に集中していた。カウラも同じようで、若干緑色になるほどわさびを入れためんつゆをかき混ぜながら明石の禿頭を見つめていた。


「まあな。今回の同盟本部ビルの襲撃。あの肉の塊にされた餓鬼を刻んで見せた三人の法術師……ワシ等の目をつけてるどの陣営の手のものか……東和陸軍、遼南の民族主義勢力、ゲルパルトのネオナチ連中……そっちの容疑者を上げたら大変な数になるなあ」 


「そーか?成果は挙げたら即時解散して証拠隠滅を図る。闇研究は引き際が肝心だからな。ど派手に動いて捜査の目をそちらに向けたあとで研究の資料を処分して同時に成果の売込み。一連の動きだと思うぞ」 


 明石の言葉に首をひねるランが再び麺つゆを手にして新しい方の蕎麦に手を伸ばす。


「どうしたの?正人」 


 蕎麦を啜りながら二人の話を聞いている隊員達の中、一人島田の箸が止まっているのに気づいたサラが声をかける。


「売り込みに動くにしてもしばらく地下にもぐるとしてもこの数日間で組織の尻尾を掴まないと……」 


「綺麗に闇に消えて終わり。実際、隊長の所にも政治的な圧力がかかり始めたって吉田のヤローからも聞いてるからな。どんなお題目を掲げた馬鹿の仕業かはアタシにゃー分からねーがフェイドアウトについてはこの一連の事件を仕掛けた人間の筋書きだろーな。妨害かデモンストレーションか知らねーがあの三人の法術師の飼い主もそれを見込んでるだろうな。事実あの事件以来法術師がらみの事件は東和じゃあ一件も起きてねーし」 


 そんなランの言葉。茜は苦い顔をしながら箸を休めている。


「いいんですか?それで」 


 島田がそう言うとランはきつい視線を彼に投げる。


「今、証拠の分析を行っているのは東都警察で……」 


「なんですぐ重要な資料を渡したんですか!もし内通している人間が東都警察内部にいたら!」 


 立ち上がった島田の肩をかなめが叩いた。


「落ち着けよ」 


 島田はそれに従うようにしてゆっくりとソファーに腰掛けて一度伸びをする。


「なあに、動く時がくればどこよりも早く動いて見せるさ。なー!」 


「そう言うことですわね。しばらくはその時の為に英気を養うべきときですわよ」 


 ランと茜の含みのある笑みにようやく安心したのか、島田はめんつゆを手にすると次々と蕎麦をたいらげはじめた。

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