第374話 チンピラの挑発
「ありがとうございます……大将。失礼ですけど、志村三郎の実家のうどん屋をご存じなんですか?」
レイチェルから受け取ったかけうどんをトレーに乗せた誠は意を決して無表情な店の親父に声を掛けた。
「あそこが俺の修業した店だ」
親父が言ったのはそれだけだった。かなめとランはわかりきっているというように黙ったままうどんをすすっている。
「あのーあそこって租界の中じゃないですか?」
島田はそう言った。誠は島田の表情を不自然に感じていた。
胡州帝国陸軍の工作員として活動していた経験のあるかなめや、遼南内線で共和政府軍のトップエースとして鳴らしたランという二人の百戦錬磨の戦士に警戒感を抱かせる程に危ない男。この店の親父がまともな経歴の持ち主でないことは誠にもわかる。
「だからどうした」
親父は黙ってそう言った。島田の顔にあざけりの笑みが浮かぶ。
「あそこは一般人は立ち入り禁止っすよ。危ないですから。俺達みたいな司法執行機関員でもない限り出入りは難しい。アンタみたいなパンピーが行くところじゃないですよ」
そう言って島田は親父をにらみつける。親父は口を真一文字に結んだまま島田の言葉を黙って聞いていた。
「正人……挑発するのやめなさいよ」
それまでうどんに夢中だったサラが止めに入った。それでも島田は不敵な笑みを浮かべて親父をにらみつける。
「茶髪のあんちゃん。喧嘩慣れしてるな。腕っぷしに自信がある。そんな餓鬼の面(つら)だ」
そう言うと親父はにらみ合いに飽きたとでもいうように島田に背を向けて壁に並んだ湯切りざるの整理を始めた。
「ふん!」
勝ちを確信した島田がどんぶりに視線を落とした。
「茶髪の兄ちゃん」
ドスの聞いた女性の声が店中に響く。誠はそれがこれまで客向けの笑みを浮かべたレイチェルから発せられたことに気づいた。さすがの島田も彼女の突然の変化に驚いたように顔を上げる。
「あんた。半グレ上がりだね……せっかく今はこうして更生して司法局実働部隊なんて言う堅気の仕事についているんだ。自重しなよ……それと隣の嬢ちゃん……」
レイチェルの目。先程まで誠達を客として見つめていた目には人間性のかけらも見えなかった。
「はっはい……」
サラがおずおずと赤い髪に隠れそうな顔を上げた。
「あんたも自分の男が間違いを犯したら止めてやりなよ。特にこの兄ちゃんの目。狂犬だ。まあ、心根まで狂犬ならとっくの昔に人の道から外れていたんだろうけど……。兄ちゃん」
「なんすか?レイチェルさん」
島田は今度はレイチェルを挑発的視線でにらみつける。
レイチェルも一歩も引く気はないと言うようににらみ返す。
「いい年なんだろ?喧嘩自慢は結構だが……相手を選びな。アンタ、そのままだと近いうちにその娘を泣かすよ。まあアタシの言葉の意味はアンタがくたばってその娘が悲しむってことだけど。
『この人、かなめさんと同類……いや、もっと上だ。人の死んでいく様をかなめさん以上に見てきた目』
誠はレイチェルの青い瞳を見てそう思った。
「島田の。レイチェルさんの言うとおりだぞ。オメーは自分より弱い奴には手を上げないが、強い奴にはまるで土佐犬みたいに無境にかみつく。悪い癖だぜ」
うどんの汁を啜りこむのを一旦止めて、ランは顔を上げてそう言った。
「ランの姉御。ひどいですよ。俺が犬っころみたいじゃないですか」
島田は笑いながらランを見つめた。
ランの表情に笑顔は無かった。
「弾は300ウィンチェスター・マグナムのサブソニック……違うか」
静かにうどんのどんぶりを置きながらかなめはそう呟いた。
「西園寺さん……なんすか?」
苦笑いを浮かべながら島田はそう言ってかなめの顔を見た。かなめの目は見開かれたまま背を向けて立っている親父を見ていた
「違うな。サブソニック弾はサイレンサーを付ければ音は小さくできるが無音になるわけじゃない。5.56ミリNATO弾だ。この店の前の路地に立ってる馬鹿を狙撃するのに距離はいらねえ。複数人を攻撃するならセミオートマチックの銃の方が使いでがある」
振り向いて親父はそう言った。彼はかなめが自分の言葉にうなづくのを見ると少し笑いを浮かべた後、再び背を向けた。
「狙撃?……なんすか……こんな街中で……」
島田は親父とかなめのやり取りを聞いて明らかにひるんだような表情を浮かべていた。
「なあに。うちの人の部下達はね街中で銃撃戦をやることのスペシャリストなんだよ。兄ちゃん。アンタのご自慢の拳の届く範囲はせいぜい数メートル。でも銃弾の届く範囲ってのは……まあ、アンタも司法局の人間だ。銃器の訓練ぐらい受けてんだろ?」
レイチェルはそう言ってほほ笑む。島田は青ざめてこの間も黙ってうどんを食べているランに目を向けた。
「だから言ったろ?喧嘩を売る相手は選べって。なあに、レイチェルさんの言うとおり、この親父さんの部下達は人込みでターゲットだけを射殺して、無関係な民間人に弾を当てないぐらいの芸当はできる猛者ばかりだ。お祈りしろよ……ここの親父さんがオメーの挑発で気分を害していないことを。もし親父さんが怒っているなら、オメーが店を出たとたんに顔面に二三発銃弾が命中すんぞ」
かなめはそう言って笑った。
「嘘……」
「嘘ついてどうすんよ」
絶句する島田をランは静かに見つめていた。
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