第342話 珍客

「アイシャ!飯!」 


 ようやくかなめが革ジャンを着て現れる。その後ろからはいつもどおり司法局実働部隊の勤務服姿のカウラがついてきていた。


「私はいつからかなめちゃんの奥さんになったのかしら?」


 そのまま二人の喧嘩に巻き込まれるのもつまらないと思って誠はそのまま食堂の隅にトレーを運んで行った。


「それじゃあちょっと休むからここ座るぞ」 


 そう言ってかなめ達ににらみをきかせるように、小さなランがちょこんと誠の前の椅子に座る。それを見て菰田が彼女を見つめている警備部の禿頭にハンドサインで茶を出すように合図した。


「菰田、気を使いすぎると老けるぞ。なー」 


 ランの言葉はそう言うが、一見幼女の彼女が老獪なのは知れ渡っていて指示された隊員が厨房に走る。


「まったく、つまらねー気ばっかり使ってるなら書類の書式くれー覚えて欲しいもんだな」 


 そう言って足が届かないのでランは椅子から足を投げ出してぷらんぷらん揺らす。


「やはり器がでかいねえ、中佐殿は。じゃあ……」 


「図書館の件も許してくれるのよね!」 


 隣に座ろうとするかなめを押しのけてアイシャが顔を出した。


 図書館。本来は島田が部下に許してビデオやゲームなどを集めた一室を作っていたのが始まりだった。本来なら女性に見せたくないその部屋だが、アイシャが誠の護衛の名目でこの寮に居座ると彼女がさらに大量のエロゲーを持ち込んだ。その圧倒的な量でついには壁をぶちぬいて拡張工事を行い、現在図書館はちょっとした秘密基地と呼べるようになっていた。


「ああ、その件ならサラから聞いてるぜ。勝手にしろよ。ただし……」 


 ランはそのまま菰田に目を向けた。


「そこでアタシの写真を加工してみろ。どうなるか分かるだろ?」 


 遼南内戦末期の共和軍の切り札と呼ばれた彼女の鋭い眼光に、菰田が周りのシンパを見回す。


 ランの司法局実働部隊副長就任以来、菰田率いる貧乳女性『ぺったん娘』を信仰する秘密結社『ヒンヌー教』は以前からのネ申であるカウラ・ベルガーをあがめる主流派とロリータなクバルカ・ラン中佐を愛好する反主流派の派閥争いが続いていた。


 菰田が周りを見回すと同意する主流派と目をそらす反主流派の隊員の様子が誠からも見て取れた。


「おう、分かれば良いんだ。なんだ、神前。食えよ。遠慮するな」 


 そのテーブルのメンバーを覚えたと言うように一瞥したランの一言で菰田達が乾いた笑顔を浮かべてるのを気にしながら誠はソーセージに食いつく。


「でも中佐殿が来てここの寮の名前がかなり看板に偽りありになってきちまったな。『男子下士官寮』って言うが男子でも下士官でもないのが増えすぎだろ」 


 アイシャが厨房に去るのを見送るとかなめはそう言ってすぐに味噌汁を啜り始めた。


「別に名前など問題じゃないだろ?」 


「そう言うわけにもなー」 


 カウラをさえぎってランが頭を掻く。


「この寮には隊の厚生費が使われてるからな。高梨からも西園寺と同じこと言われたよ。今度の予算の要求でここの費用をどう言う名目で乗せれば良いかってな。頭いてーや」 


 そう言うランの前に菰田のシンパの隊員がお茶を運んでくる。


「ご苦労だな」 


 ランはそれをのんびりと飲み始めた。


「将校だけこの辺のアパートの相場の費用を取れば良いんですよ」 


 経理を担当しているだけにそう言う時の菰田の頭の回りは速い。だが、厨房から顔を出してものすごい形相で威圧しているアイシャを見て、菰田はそのままテーブルの上の番茶に手を伸ばして目をそらした。


「それは高梨に言ったんだが……手続き上無理なんだと。それと……アイシャ。少しは自重しろよ。オメーが一番階級が上なんだからな」 


 そう言って悠然とランはお茶を飲む。


「上は今度の魚住の旦那の同盟軍教導部隊のことで頭がいっぱいで、うちには余計な予算はつけたくないのが本音だろうからな」 


 そう言いながらかなめが白米を口に運ぶ。誠も言いたいことは理解できた。


 胡州帝国海軍第三艦隊のエース。司法局本局づき将校明石清海中佐と並んで『播州四天王』と呼ばれる魚住雅吉うおずみまさよし大佐を隊長とする『遼州同盟機構軍教導部隊』。同盟機構の軍事機関の正式発足に伴い西モスレムで編成される部隊には前司法局実働部隊管理部部長アブドゥール・シャー・シン大尉も引き抜かれていた。


 人的損失もくらった司法局実働部隊である。予算が削られることも当然想定できた。


「まーな。だからオメー等にはきっちり仕事をして……神前。食い終わったらすぐに出る支度をしろ!」 


 ランにそう言われて誠は我に返って立ち上がった。ランが何も考えずにここにいるわけではないことは誠も分かっていた。そのままトレーをカウンターに返すとそのまま食堂を出て階段に向かう。


「あら、神前さん。お食事は済ませましたの?」 


 階段では隣に従者のように西を引き連れて寮を案内させている様子の茜とラーナがいた。


「すいません、支度をしてきます」


 そう言って誠はそのまま廊下にでる。暖房の効かない廊下の寒さに転がるようにして階段を駆け上がり部屋に飛び込む。ひっかけてあったジャケットを羽織ると万年床に転がって誠は思わず天を仰ぐ。引っ掛けたジャケットのぬくもりで二度寝に入るような感覚にとらわれながらうとうとする。


「おい!」 


 気が付くと目の前にかなめの顔があってびっくりして起き上がり、彼女の額に頭をぶつける。


「起こしてやってこの仕打ちか!」 


 かなめに怒鳴られようやく自分が寝落ちしていたことに気がついた。


「行くぞ!」 


 カウラは素早く扉から身を翻す。誠は立ち上がってかなめ達に続いた。


「おう!それじゃあ行くぞ!」 


 ラーナに靴の準備をさせてランが待っていた。いつものようにその隣ではほんわかとした笑顔の茜が紫小紋の着物姿で待っていた。


「車はこれ以上乗れねえぞ!」 


 かなめはそう言うが、誠はたぶんラン達は茜の車で出勤するだろうと思って生暖かい視線で機嫌の悪いかなめを見つめていた。いつも隣の砂利の敷き詰められた駐車場に停められているカウラの黒いスポーツカーの隣に見慣れない白いセダンが停まっていた。


「じゃあ行くぞ」 


 すでにランは茜のセダンの助手席から顔を出していた。


「ったく餓鬼が」 


 そう言いながらかなめもいつもどおり後部座席へ体を滑り込ませた。そしてそのまま伸びた力強い腕が誠を車の中に引き込んだ。


「はい!行きましょう」 


 助手席に乗り込んだアイシャの声で車が走り出す。狭い後部座席。かなめが密着してくるのを何とかごまかそうとするが、目の前のアイシャは時々痛い視線を送ってくる。


「そう言えば島田はどうした?それとサラも。いつの間にか消えやがって」 


 かなめの声にアイシャが振り返る。


「ああ、スミスさんが車買ってそれをいじるんですって。ニヤけてサラと出かけたわよ」 


「好きだねえ、あいつも」 


 実働部隊第四小隊隊長ロナルド・スミスJr特務大尉は車好きとして知られている。特にガソリン車の使用が認められている東和の勤務は天国のようだと誠に話す姿はまるで子供だった。


 特に彼は20世紀末の日本車。しかも小型で大出力エンジンを積んだタイプの車を探していた。先日誠も借り出されてネットオークションに常駐してなんとか落札した車が近々隊に送られてくると言う話も聞いていた。


「島田の奴、今日の仕事分かってるのか?」 


 かなめのその言葉に誠は不思議そうな顔を向けた。


「ああ、お前は知らないのか?今回の発見された死体と昨日の怪物の捜査は昨日の面子で追うことになったんだと」 


 その言葉にアイシャも振り向く。誠は一人車窓から流れていく豊川の町を見つめていた。


「なによそれ。初耳よ!」 


「だろうな。アイツが叔父貴に打ったメールを覗いてさっきアタシも知ったところだ」 


 かなめは軍用のサイボーグの体を持っている。当然ネットへの接続や介入などはお手の物だった。


「でも、誠ちゃんは大丈夫なの?」 


 今度はアイシャは誠に向かって話す。


「いやあ、どうなんでしょうね」 


 頭を掻く誠に昨日その手にかけた、かつて人間だったものの姿が思いつく。


「今度の事件じゃ茜やラン、そしてコイツが切り札なんだからしっかりしてもらわねえとな」 


 かなめの言葉にうなづきながら、カウラはハンドルを切って司法局実働部隊の隊舎のある菱川重工豊川工場の敷地へと車を進めた。


「でも、あんなのと遭遇したらどうするわけ?茜さんの話では銃で撃っても死なないのよ」 


 アイシャの言うとおりだと誠も頷いてかなめを見る。


「アタシに聞くなよ。なんでもキムがいろいろ持っているらしいや。アタシも銃を叔父貴に渡してて今は丸腰なんだ」 


「貴様が丸腰とは……珍しいこともあるものだな」 


 皮肉めいた調子でカウラはそのまま司法局実働部隊の前の警備班のゲートに車を乗り入れた。

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