第276話 墓場にて
「本当に……かなめお姉さまもご苦労されるはずだ」
部屋を出て颯爽と廊下を歩くかえでの後ろで、間抜けな下駄の音が響く。ちゃらんぽらん、そう言う風にかえでに聞こえてきたので思わずかえでは振り向いてみせる。懐手でちゃんとかえでの後ろに叔父は立っていた。
「その足元何とかなりませんか?」
「ああ、もう少し人の足に優しい素材を使うべきだな。床には」
「違います!下駄の音……うるさいですよ」
「そんなに怒鳴るなよ……」
そんな嵯峨の言葉にかえでは頭を抱えながらエレベータへ向かった。
「そういえば殿上会の前に父上……いや、西園寺首相には会われるつもりは無いのですか?」
「無いな。どうせあそこで会うんだ」
そう言う嵯峨の言葉に力が無いのをかえでは聞き漏らさなかった。
「母上が怖いんですか?」
かえでは自分の母、西園寺康子のことを口にした。
西園寺康子。胡州帝国のファーストレディーである彼女は嵯峨惟基の剣の師匠に当たる。ひ弱な亡命遼州王族、ムジャンタ・ラスコー少年は国を追われてこの胡州にたどり着いた。その時、彼が手に入れようと望んだのは力だった。その彼を徹底的にしごき、後に『人斬り』と呼ばれる基礎を作ったのは彼女の修行だった。
そして法術が公になったこの時代。彼女が干渉空間に時間差を設定して光速に近い速度で動けると言う情報さえ流れている今では銀河で最強に近い存在として彼女の名は広まり続けていた。その空間乖離術と呼ばれる能力はこれまでの彼女のさまざまな人間離れした武勇伝が事実であることを人々に示し、その名はさらに上がっていた。自分の腕前に自信を持っているかえでも母の薙刀の前に何度竹刀を叩き折られたことかわからなかった。
「おい、置いていくぞ」
そんなことを考えて立ち止まっていたかえでを置いて、いつの間にか開いていたエレベータのドアの中にはすでに嵯峨がいた。あきれ果て頭を抱えながらかえではそれに続く。
「車はいつも通り運転手つきだよな」
嵯峨の言葉にかえでは静かに頷いた。
「いつもの場所に行きたいんだ。どうせいつもの渡辺だろ?まあ、あいつなら大丈夫か」
『いつもの場所』そんな言葉を嵯峨が言うとかえではしんみりとした表情を浮かべて一階に到着して開いたドアの間を潜り抜けた。
「お姉さま!」
決して大声ではなく、それでいて通る声の女性仕官が手を振っていた。こちらはかえでのようにスラックスではなくスカートである。すけるようなうなじで切りそろえられた青色の髪と、童顔な割りに均整のとれたスタイルが見る人に印象を残した。
彼女、
「世話になるな、いつも」
そう言って駐車場に出た嵯峨は胡州の赤い空を見上げた。胡州の首都、摂都のある遼州星系第四惑星はテラフォーミングが行われた星である。人工の大気と紫外線を防止する分子単位のナノマシンのせいで空はいつも赤みを帯びて輝いていた。
駐車場にとめられた車、かえでの私有の四輪駆動車がたたずんでいる。いつもその運転手はかえでの部下であり、領邦領主としての西園寺公爵家の執政でもある渡辺要が担当していた。
「何度言ったのかわからねえけどさあ、『かなめ』って言うのは紛らわしいよな」
そう言って嵯峨は後部座席に乗り込む。運転席で渡辺が苦笑いをする。
「私は姉姫様の代わりですから……いつまでたってもお姉さまの心は奪えません」
渡辺は嵯峨の部下のアイシャ・クラウゼ少佐達と同じ人造人間、第五惑星からアステロイドベルトを領有するゲルパルトの『ラストバタリオン』計画の産物だった。その中でも彼女はゲルパルト敗戦後、地球と遼州有志の連合軍の製造プラント確保時には育成ポッドで製造途中の存在であり、ナンバーで呼ばれる世代だった。そんな彼女に目をかけたかえでは、彼女の面差しに愛する姉のかなめを思いそして『
ほかの有力領邦領主家と同じように西園寺家の被官達にも先の大戦で断絶する家が多く、当時跡取りを求めていた渡辺家の養女として渡辺要は人間の生き方を学んだ。
いつも彼女を見守っているのは恩義のあるかえでである。渡辺がかえでに惹かれた当然かもしれない。嵯峨は苦笑いで時々助手席と運転席で視線を交わす彼等を見守っていた。
「まあいいか。それより加茂川墓苑に頼む」
その言葉にかえでは少し緊張した面持ちとなった。
「叔父上、やはり後添えを迎えるつもりは無いのですか?そう言えば同盟司法局の……機動隊の安城少佐とかは……」
「野暮なこと言うもんじゃねえぞ。それに順番から行けば相手を見つけるのは茜だろ?まったく。あいつも仕事が楽しいのは分かったけどねえ」
嵯峨はそう言うと禁煙パイプを口にくわえる。
「それと、法律上はお前等二人が結婚してもかまわないんだぜ。女同士なら家名存続のためにお互いの遺伝子を共有して跡取りを作ることが許されるって法律もあるんだからな」
ハンドルを握りながら渡辺がうつむく。かえではちらりと彼女の朱に染まった頬を見て微笑んだ。
「しかし、あれだなあ。遼南や東和に長くいると、どうもこの国にいると窮屈でたまらねえよ」
道の両脇に並ぶ屋敷はふんだんに遼州から取り寄せた木をふんだんに使った古風な塗り壁で囲まれている。立体交差では見渡す限りの低い町並み、嵯峨はそれをぼんやりと眺めていた。
「それでも僕はこの町並みが好きなんですが……守るべきふるさとですから」
そう言うかえではただ正面を見つめていた。そんな彼女に嵯峨は皮肉めいた笑みを浮かべる。車の両脇の塗り壁が消え、いつの間にか木々に覆われていた。すれ違う車も少なくなり、かなめは車のスピードを上げる。
「しかし、電気駆動の自動車もたまにはいいもんだな」
そう言いながらタバコをふかしているように嵯峨は右手で禁煙パイプをもてあそぶ。なにも言わずにそんな彼を一瞥するとかえでは車の窓を開けた。かすかに線香の香りがする。車のスピードが落ち、高級車のならぶ墓所の車止めでブレーキがかかった。
静かに近づいてくる黒い背広の職員。加茂川墓所は胡州貴族でも公爵、侯爵、伯爵と言った殿上貴族のための墓地であった。多くの貴族達は領邦の菩提寺や神社とこの摂都の加茂川墓所に墓を作るのが一般的だった。嵯峨家もまた例外ではなかった。
「公、お待ちしておりました」
職員の言葉にかえでは叔父の手際のよさに感心した。
「例の奴は?」
「お待ちになられています」
「ああ、そう」
かえでは嵯峨にこの地での来訪者があることを察した。時に大胆に、それでいて用心深い。数多くの矛盾した特性を持つ叔父を理解することができるようになったのは、彼女も佐官に昇進してからのことだった。おそらく嵯峨にとって面倒な相手らしく、嵯峨はむっつりと黙り込んだままだった。事前に連絡をしておいたのだろう、待っていた管理職員から花と水の入った桶を受け取って嵯峨は歩き出した。
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