第175話 二人の思い
「あの!アイシャさ……?」
声をかけようとして誠はかなめに足元の青い物体を見つけた。誠はよくよくそれを観察してみる。髪の毛のようなもの、それは首から下を埋められたアイシャだった。さらにその口にはかなめのハンカチがねじ込まれて言葉も出ない状態でもがいている。
「あーあ!つまんねえな」
そう言いながらかなめはパラソルの下に寝そべる。自分のバッグからまたタバコと灰皿を取り出す。
「そんなこと言わないでくださいよ」
「なんだよ、オメエも埋めるぞ」
かなめの言葉を聞いて誠が下を見る。黙ってアイシャが助けを求めるように見上げてくる。掘り出そうかと思ったがまた何をするのかわからないのでとりあえず掘り出さないで置く。かなめは静かにタバコに火をつけた。
「あのー……」
誠はそう言いながらそのままかなめの手を取っている自分を見た。驚いた表情をかなめは浮かべた。そして誠自身もそのことに驚いていた。
「少し散歩でもしましょうよ」
自分でも十分恥ずかしい台詞だと思いながら誠は立ち上がろうとするかなめに声をかけていた。
「散歩?散歩ねえ……まあ、オメエが言うなら仕方ねえな。付き合ってやるよ」
そう言うとかなめはしばらく誠を見つめた。彼女はタバコをもみ消して携帯灰皿を荷物の隣に置いた。そしてその時ようやく誠の言い出したことに意味がわかったとでも言うようにうなだれてしまう。
「カウラさん!レベッカさん!すいません。ちょっと歩いてきます」
そう言うと誠はかなめの手を握った。
「え?」
かなめはそう言うと引っ張る誠について歩き出す。少し不思議そうな、それでいて不愉快ではないと言うことをあらわすようにかなめは微妙な笑みを浮かべる。
「良い風ですね」
誠は相変わらず驚いた顔をしているかなめに話しかけた。
「まあな」
うわのそらと言った感じでかなめは視線を泳がせている。砂浜が途切れて下から並みに削られたようにのっぺりとした岩が現れる。はだしの誠にはその適度に熱せられた岩の表面の温度が心地よく感じられていた。
「あそこの岩場ですか?ナンバルゲニア中尉達がいるのは」
「そうなんじゃねえの」
状況がわかってくると次第に機嫌の悪いいつものかなめに戻る。とりあえず誠についていてやることがサービスのすべてだとでも言うように、誠の視線に決してその視線は交わらない。誠も変に刺激しないようにと、ただ海岸線を二人して歩く。
海を臨めば、波は穏やかでその色は夏の終わりとは思えない青さである。かなめは誠が海を見れば山を、山を見れば海を見つめている。次第に磯が近くなり、海の中に飛び出す岩礁の上に白い波頭が見えた。
「オメエ。つまんねえだろ。カウラ達のところか、シャムのところへでも行ってこいよ」
そう吐き捨てるように言うと、かなめは砂浜から大きく飛び出した岩に腰を下ろした。
「別につまらなくは無いですよ。僕はここにいたいからここにいます」
そう言い切った誠にかなめは諦めきったような大きなため息をつく。
「ったく、勝手にしろ」
そう言うとかなめはいつもの癖で普段の制服ならそこにあるはずのタバコを探すように右胸の辺りに手を泳がせた。
「何だよ」
かなめが誠をにらんでくる。
「別に何でもないですよ」
「嘘つけ」
かなめは一度誠の視線から逃れるように下を向くと顔を上げた。作り笑いがそこにあった。時々かなめが見せるいきがって見せるような儚(はかな)い笑い。
「どうせオメエも怖いからここまで付いてきただけだろ?アタシに近づく奴は大概そうだ。とりあえず敵にしたくないから一緒にいるだけ。まあそれも良いけどな。親父のことを考えて近づいてくる馬鹿野郎に比べればかなりマシさ」
そう言って皮肉めいた笑みを口元に浮かべた。いつもこう言う場面になるとかなめは自分でそんな言葉を吐いて壁を作ってしまう。そこにあるのはどこと無くさびしげで人を寄せ付けない乾いた笑顔が誠の目に焼き付く。
「そんなつもりはないですけど」
真剣な顔を作って誠はかなめを正面から見つめた。そうするとかなめはすぐに目を逸らしてしまう。
「自覚がないだけじゃねえの?アタシはカウラみたいに真っ直ぐじゃない。アイシャみたいに器用には生きられない。誰からも煙たがられて一人で生きるのが向いてるんだ」
そう言うと立ち上がって、吹っ切れたように岩場に打ち付ける穏やかな波に視線を移すかなめ。誠は思わず彼女の両肩に手を置いた。驚いたようにかなめが誠の顔を見つめる。
「確かに僕は西園寺さんのことわかりませんでした」
ほら見ろとでも言うようにほくそ笑んだ後、かなめは再び目を逸らす。
「そんな一月くらいでわかられてたまるかよ」
そのまま山の方でも見ようかというように安易に向けた視線だったが、誠のまじめな顔を見てかなめの浮ついた笑顔が消えた。
「そうですよね。わかりませんよね。でもいつかはわかろうと思っています」
「そいつはご苦労なこった。何の得にもならねえけどな」
さすがに誠の真剣な態度に負けてかなめは誠に視線を向けた。かなめの表情は相変わらずふてくされたように見える。
「そうかもしれません、でもわかりたいんです」
そう言う誠の真剣な誠の視線。かなめにとってそんな目で彼女を見る人物というものは初めてだった。何か心の奥に塊が出来たような感覚が走り、自然と視線を落としていた。
「そうか……勝手にしろ」
搾り出すようにかなめが言葉を吐き出す。自分の肩に置かれた誠の手を振り払うとそのまま海を眺めるように身を翻す。
「ええ、勝手にします」
誠はそう言うとかなめの座っていた岩に腰掛けた。
「ろくなことにはならねえぞ」
「でも、僕はそうしたいんです」
風は穏やかに流れる。二人の目はいつの間にか同じように真っ直ぐに水平線を眺めていた。
「ラブラブ!!」
背後で聞きなれた甲高い声がして、二人は飛び上がって後ろを見た。手に袋を持ってシャムと小夏が突っ立っている。
「外道が神前の兄貴に色仕掛けを仕掛けていますよ!どうします、師匠」
「アイシャちゃんとカウラちゃんに教えてあげなきゃ!」
二人が走り出そうとしたが、二人の頭を押さえつけた春子の手がそれを邪魔した。
「余計なことするんじゃないよ!野暮天が!」
いつもの女将さんといった風情からかつての極道の世界を生きてきた女の顔に変わっているように見える。シャムと小夏はその一にらみで静かに座り込んでいた。だがそれも一瞬のことで次の瞬間には女将の姿に戻っていた。
「私達は戻るけど、かなめさん達は……」
いつもの優しい春子の声。かなめはいつものかなめに戻って右肩をぐるぐると回して気分を変える。
「戻るぞ、神前」
そう言って立ち上がったかなめはずんずん一人で先に浜辺に向かう。シャムと小夏はかなめにまとわりついては拳骨を食らいながら笑っている。
「邪魔しちゃったかしら」
そう言いながら春子は誠を見上げる。一児の母とは思えないプロポーションに誠は思わず頬を朱に染めている自分に気づいた。
「いえ……そんなに簡単にわかることが出来る人じゃないですから」
そう言うと誠も春子を置いて砂浜に向かう。
「実働部隊の人はみんな……本当に不器用で」
そう言いながらシャムが置いていったバケツを拾うと春子も誠の後に続いた。
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