第168話 静と動

「いい日和ですねえ」 


 誠は空を見上げた。どこまでも空は澄み切っている。


「日ごろの行いがいい証拠だろ?」 


「お前が言える台詞ではないな」 


 かなめの満足げな言葉を聞きながら誠が振り向くと、緑の髪から海水を滴らせて立っているカウラがいた。


「お疲れ様です、カウラさん」 


 沖に浮かぶブイを眺めてもう一度カウラを見上げる。息を切らすわけでもなくカウラは平然と誠を見つめている。


「ああ、どいつも日ごろの鍛錬が甘いというところか」 


 そう言うと再び沖を振り返る。潮は引き潮。海水浴客の向こうに点々と人間の頭が浮かんでいる。その見覚えのある顔は整備班や警備部の面々のものだった。


「凄いですね、カウラさん」 


 正直な気持ちを誠は口にした。


「ただあいつ等がたるんでいるだけだ。それじゃあちょっとお姉さん達を手伝ってくる」 


 そう言うとカウラはそのままパラソルを出て行く。


「嘘付け!どうせつまみ食いにでも行くんだろ?」 


 かなめは口元をゆがめてカウラを追い出すように叫んだ。


「かなめさんは……」 


『泳げるんですか?』と誠は言いかけてやめた。


 かなめは子供の頃の祖父を狙った爆弾テロで、脊髄と脳以外はほとんどが有機機械や有機デバイスで出来たサイボーグである。当然のことながら水に浮かぶはずも無い。


「なんだ?アタシは荷物を見てるから泳いできたらどうだ」 


 海を眺めながらかなめは寝そべったままだった。誠はなんとなくその場を離れることが出来なくて、かなめの隣に座った。


「せっかく来たんだ。それにカウラの奴の提案だろ?アタシのことは気にするなよ」 


 その言葉に誠はかなめの方を見つめた。満足げに海を眺めているかなめがそこにいる。


「なんか変なこと言ってるか?」 


 すこし頬を赤らめながらかなめはサングラスをかけ直す。誠はそのまま視線をかなめが見つめている海に移した。島田達はビーチボールでバレーボールの真似事をしている。シャムと小夏は浮き輪につかまって波の間をさまよっている。


 ようやく菰田が砂浜にたどり着いた。精も根も尽き果てたと言うように波打ち際に倒れこむ。そしてそれに続いた連中も浜辺にたどり着くと同時に倒れこんでいた。


「平和だねえ」 


 かなめはそう言うとタバコを取り出した。


「ちょっとそれは……」 


 周りの目を気にする誠だが、かなめにそんなことが通じるわけも無い。


「ちゃんと携帯灰皿持ってるよ、叔父貴じゃあるまいし投げ捨てたりしねえ」 


 そう言ってタバコを吸い始めるかなめ。空をカモメが舞っている。 


「なんだかいいですねえ」 


 そう言ってかなめの顔を見た誠だが、サングラス越しにも少し目つきが鋭くなったような気がした。戦闘中のかなめの独特な気配がにじみ出ている。


「おい、誠。カウラとアイシャ呼んで来い、仕事の話だ」 


 真剣なその言葉に、誠は起き上がった。


「どうしたんです?」 


 かなめの表情で彼女の脳に直結した通信システムが起動していることがすぐにわかる。


「公安が動いた。そう言えば分かる」 


 かなめのその言葉に砂浜の切れかけたところにあるバーベキュー施設に向かい走る誠。司法局で『公安』と言えば安城秀美(あんじょうひでみ)部長貴下の遼州同盟司法機関特務公安部隊のことだ。かなめはやり口の残忍さで首都警察配属になるところを上層部の世間に対する配慮から司法局勤務となったと言う話もある。誠は人を避けながら走って水場で野菜の下ごしらえをしているリアナの姿が目に入った。


「すいません!」 


「あら、神前君。どうしたの?」 


 半分ほど切り終わったたまねぎを前に、リアナが振り返る。


「あわててるわね。水でも飲む?」 


 アイシャはそう言うとコップに水を汲んで誠の差し出した。一息にそれを飲むと誠は汗を拭った。カウラは健一とコンロの火をおこしている。


「西園寺さんが呼んでます。公安が動いたそうです」 


 その言葉に緊張が走る。


「端末は荷物置き場にあったわね。アイシャちゃん、カウラちゃん。いってらっしゃい」 


 リアナの声で木炭をダンボールで煽っていたカウラが向かってくる。アイシャも真剣な顔をして作業を見守っていたレベッカに仕事を押し付けて歩いてきた。


「因果な商売ね。こんな日でも仕事のことが頭を離れないなんて」 


 リアナはそう言うとカウラのしていた火おこしの作業を続けた。


 誠がかなめの所に戻ると、すでに携帯端末を起動させて画面を眺めているかなめがいた。


「かなめちゃん、説明を」 


 普段のぽわぽわした声でなく、緊張感のある声でアイシャが促す。


「特別捜査。令状は同盟機構法務局長から出てる。相手は東方開発公社、現在、所轄と合同で捜査員を派遣。家宅捜索をやってるところだ」 


 画面には官庁の合同庁舎のワンフロアー一杯にダンボールを抱えた捜査員が行き来している様が映されている。


「あそこは東和の国策アステロイドベルト開発会社だったわね。たしかに近藤資金との関係はない方が逆に不自然よ」 


 なぜかするめを口にくわえているアイシャが口を挟む。


「でも、いまさら何か見つかるんでしょうか?もう一ヶ月ですよあの事件から。公社の幹部だって無能じゃないでしょ。証拠を消すくらい……」 


 誠は自分でも素人考えだと思いながら口を挟むが誰一人相手にしてはくれない。


「証拠をつかんでどうするんだ?」 


 誠の言葉にかなめは冷たく言い放つ。


「それは、正式な手続きを経て裁判を……」 


 そこでかなめの目の色が鋭いリアリストの目へと変わる。


「逮捕や起訴が事実上不可能な人物がリストに名を連ねてたらどうする?」 


 厳しく見えるがその目は笑っていた。かなめは明らかに状況を楽しんでいる。かなめの言うことは正しいだろう。近藤資金が非合法の利潤だけで維持されていると考えるには、胡州で今も続いている政治家、軍人の逮捕のニュースを聞いていても無理があった。その資金の多くが稼ぎ出された東和でも同じことが起きても不思議ではない。


 帝政と非民主的といわれるほどの治安機関による情報統制と軍による統治機能を持っている胡州だからこそ出来る大粛清の嵐に比べ、東和には主要な有力者すべてを逮捕して政治的混乱を引き起こすことを許す土壌は無かった。


「まあ安城さんは東和民警の捜索の付き添いみたいな感じだからうちが介入する問題ではなさそうね」 


 アイシャは画面を見ながらそう言った。しかしかなめは画面から目を離そうとしない。 


「かなめちゃん。仕事熱心すぎるのも考え物よ」 


 軽くアイシャがかなめの肩を叩く。そしてゆっくりと立ち上がり伸びをしながら紺色の長い髪をなびかせていた。

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