第95話 伝説の幼女
「シャムちゃん」
「なあに誠ちゃん!」
いつもと変わらずシャムは元気である。
「何でコスプレしないんですか?」
誠が気にしていたのはその一点だった。駐屯地では軽く済んで猫耳。ひどい時は着ぐるみで隊内を歩き回るシャム。それが『高雄』に乗り込んでからはまったくそんなそぶりは見せない。吉田と一緒に私室に大量のそれらしい荷物を積み込んでいた割にはまったくそれを着るそぶりも無い。
シャムの表情が曇った。誠を見上げるその目はこれまで見た事がないほど鈍い光を放っている。
「それはね。誠ちゃんもこれから何が起こるか知ってるんでしょ?」
「とりあえず騒乱準備罪での近藤中佐の捕縛作戦ですが」
特にその目つき以外に何が変わったと言うわけではない。しかし、その目の色のかげり具合から誠は恐怖のようなものを感じた。彼女が歴戦のエースであることがこの瞬間に誠の脳裏にひらめく。
「それだけじゃないの。たくさんの人がまた死ぬんだよ。そしてアタシも、たぶん誠ちゃんもたくさんの人を殺すの。そんなところでふざけてなんていられないでしょ。だから、と言う事でわかってもらえるかな」
シャムの視線が痛い。実戦は殺し合いだと言う事を知り尽くした目。あえてその視線の変化を理解しようとすればそんなことだけが浮かんでは消えた。
「そうですよね。これはある意味『戦争』なんですよね」
真剣な、どこか陰のある目つきのシャムに、誠は少しばかり狼狽しながら答える。
「まあ法律的な見かたからすりゃあ『戦争』じゃないとはいえるが、どっちにしろ命のやり取りする事になるのは間違いねえけどな。まあアタシは人が食えりゃあ文句はねえ」
かなめの視線。それに狂気じみた口元の笑み。誠は以前、彼の救出作戦のおり垣間見た、殺戮マシンとしての彼女を思い出して絶句する。
「シャム。その甘さが命取りにならんように気をつけな。神前!アタシはとりあえずハンガー寄ってくがどうする?」
そう言ってかなめは誠の目を見つめる。なぜか彼女は後ろめたいことでもあるようにすぐに視線を落としてハンガーを目指す。
「素直じゃないのはかなめちゃんも一緒だね!」
シャムは記憶と言うものがあるのが不思議になるほどの急な展開で陽気になっていた。彼女の言葉にかなめが振り向いた
「そりゃなんだ?誰と一緒なんだ?」
「カウラちゃんと!」
「おい、チンチクリン!あんな、人相の悪い洗濯板堅物女と一緒にするんじゃねえ!」
「じゃあかなめちゃんはタレ眼おっぱい凶暴女だね」
「言うじゃねえか!こっち来い!折檻してやる!」
かなめはヘッドロックでシャムの頭を極めながら歩き始めた。
「痛いよう!」
あれほど冷酷な表情を持ち合わせている二人が、次の瞬間にはこんな馬鹿な遊びに興じている。実戦に慣れるということはこういうことなのか、誠はそう思っていた。
「とりあえず僕は仮眠を取るんで私室に帰ってもいいですか?」
「薄情モノは帰れ!」
じたばたと暴れるシャムをヘッドロックで極めながらかなめはそうはき捨てるように言った。
誠はとりあえずその場を離れた。エレベーターの前では金色の短めの髪が人目を引くマリアが一人でエレベーターを待っていた。
「どうした?西園寺やベルガーやクラウゼと一緒じゃないのか?」
「一人です」
「そうか」
正直、誠は間が持たなかった。きつめの美女と言う事ではカウラと似た所があるがカウラが見せるさびしそうな表情はマリアには微塵も無い。どこと無く人を寄せ付けないようなオーラ。それがマリア特有の雰囲気だと誠は思っていた。
「二日後には我々は戦場だ。思うところがあれば、するべきことはして、言うべきことは言っておくべきだな。戦場ではいつだって不可抗力と言うものが働くものだ。絶対は存在しないものだ」
「はあ」
真剣な視線を送る青い瞳が誠を射抜く。そして次の瞬間にはにこやかな笑みが広がっていた。
「神前。君には私としてはかなり期待しているんだ。事実、シン大尉が第二小隊の隊長をしていた時よりも西園寺はかなり穏やかになったし、ベルガーも角が取れてきた」
「そうなんですか」
エレベーターの扉が開き、マリアが先頭で乗り込んだ。誰もが言う二人の変化。それに誠はどうしても気づくことが出来ない自分の鈍感さに呆れていた。
「シュバーキナ大尉」
誠はとりあえず自分の中に詰まった恐怖に似たようなものを話してみる事にした。
「なんだね神前」
やわらかいようでいて、何故か岩盤のような強固な固さがあるような雰囲気に飲まれぬように注意しながら誠は話を続けた。
「人間てそれほど戦いと言う緊張状態に慣れらるものでしょうか?」
誠のその言葉にマリアは思わず口元を緩める。
「悲しいが人間の適応力は凄いものだ。私も十五年前にはこんな稼業に手を染めるなんて思ってもいなかったものだよ。だが、私はここにいて、さらに二日後には確実に人を殺めることになるのは分かっている」
マリアの顔に先ほどシャムに見た黒い影が面差しを曇らせる。
「それでもこうして今の所笑っていられる。それが人間だ」
どこかあきらめたような自嘲的な笑みが、その整った口元をゆがめているのを見て、誠は少しばかりこんな事を話した事を後悔していた。
「しかし、誰かがこんな事をしなければならない。そして他の誰でもなく私がすることになった。それが現実なら受け止めるしかない。私はそう思っている。現実はいつでも酷く残忍なものさ」
ドアが開き居住スペースの所に止まった。誠は下に行くマリアと別れてこの階で降りた。敬礼をしようとする誠に首を振りながらマリアはドアの向こうに消えた。
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