第7話  名残りの桜


 直売所の入り口は閉じられたままになってしまった。満開の桜を見た後からだ。いつもなら出ているはずのボードも出ていない。門に鍵がかけられた直売所は人気もなくひっそりとしている。

 驚きはなかった。事前に話を聞いていたこともあり、今の世の中の状況を考えると、身体のことを考えて休みにしたのだろうとすんなり腑に落ちたからだ。ただ、ひとつだけ気になるとしたら、律儀な二人が何も書かないでいることだけだけれど、それもボードを何日も出しっぱなしにするのを避けただけと思えば納得はいく。多分、元気なはずだと自分に言い聞かせながら、たまに覗きに来ることだけは怠らないようにしていた。


 あれは何回目の偵察だったろう。門が開いているのを遠目に認めた時、思わず走り出したくなった。実際は走りこそしなかったけれど、かなりな早歩きになった。飛び込むように門を抜け、おかあさんがいつも座っている作業場を覗き込む。立っていたおかあさんが、ちょうどくるりとこちらを向いた。そのままピタッと合ったおかあさんの目が、大きく笑った。

 あれから三週間が経っていた。

 

「そうなのよ。危ないからってことで、やっぱり休みにしたのよ」

 想像していた通りのおかあさんの答えだった。正直、ホッとした。ただし、そこから先は想定外の話だった。

「でね、実はあのひと入院しちゃったの」

「は!?どういうコトですか??」

「ホントについこの前なんだけど。胸が苦しくてガマンできないって言い出してね。仕方ないから昨日、手術した病院で診てもらったら、即、入院しなさい、ってことになっちゃって」

「えっ?それってマズくないんですか??まさかコロナとか?!」

「違うわよ。大丈夫。それにもう全然、痛くないみたい。でも、色々とダメなところがあるから一ヶ月は外に出してあげません、って医者に言われちゃってねぇ」

 そう話すおかあさんはやけに嬉しげだ。不思議に思って尋ねると

「だって、安心じゃない。病院にいるのよ?今、何かあっても、すぐに助けてもらえるんだから」

 思ってもいなかった言葉に横っ面を叩かれた気がした。

 おかあさんは会う度、笑っていたけれど、実はこの間ずっと、怖かったのだろう。この災厄の下、病み上がり、手術したばかりの人間と暮らすというのは、しかも自分自身も病気持ちというのは、きっとそういうことなのだ。入院していたら大変で、退院できたらおめでとう、とは一概に言い切れないことにすぐに気付かなかった、我が身の不明さを恥じた。

「だから一ヶ月も安心してのびのびと暮らせるってわけ」

 コロナのせいで面会できない分、逆にしょっちゅう電話がかかってくるのは鬱陶しいんだけどね、と口を尖らせるおかあさん。おじさんは相変わらず甘ったれのようだ。

「面会できないんですか?」

「そうなのよ。誰でもみーんな、ダメなんだって」

「わぁ、そうなんですか。それはタイヘン。でも、こういう時、スマホってほんとに便利ですよね」

「それなのに、昨日、早速『スマホの充電ケーブル忘れた』って電話してくるんだから、まったく」

 呆れ口調のおかあさんは、だからこの後、病院にケーブルを持って行かなきゃいけないのよ、と目元に笑いジワを刻みながら肩をすくめた。


 そんな訳でこれは、開いたと思った直売所は実は開いていなかった、という話でもあるのだった。これでおじさんの野菜がさらにお預けになると思うと、ダメ元でもなんでも聞かないわけにはいかない。

「今日、何か買える野菜、ありますか?」

「スナップとキヌサヤなら」

 どちらも大好きだから、迷うことなく両方買った。

「明日はほら、例のお手伝いさんたちが来てタケノコ掘りするから、昼前に来れば筍もあるはずだけど」

 ああ、ノラガールたちのことだ。早朝からここまで来てタケノコ掘りするなんて、彼女は相変わらず元気だなあ、と感心した。久しぶりだから会いたかったけれど、予定があったので残念ながらタケノコは遠慮する。

「お医者さんが言ったんだったら、次に会えるのはほんとに一ヶ月後ですね」

 渡された手元の袋の中、きらきらした緑を見ていたらつい、ため息のようなグチのような言葉が口をついて出てしまった。

「でも、その頃にはコロナ騒動も収まってますよね、きっと」

 慌てて付け足した言葉に、

「ほんとよ。そうでないと、困る」

 おかあさんはいつになく真面目な顔で頷いた。


 おかあさんによると、面会できない代わりに病棟の看護師さんが下まで降りてきて、患者の荷物を受け取るのと引き換えに本人の様子を説明してくれるのだそうだ。

「とは言っても、昨日入ったばかりだし、携帯で話もしてるし」

 安心感からだろう、おかあさんの口はとても軽やかだ。きっと足取りも軽くおじさんがいる病院に向かうに違いない。

 その姿をおじさんが見たらなんと思うのだろう。

 想像するだけでおじさんの顔が目に浮かぶような気がした。



 それからしばらく他愛もない話を楽しんだ後、

「じゃあ、一ヶ月後に、また」

 そう言って私たちはお互いに笑顔で手を振った。頭上から、わずかに残った桜がこぼれるようにゆっくりと降り落ちてきた。今年の桜はこれが見納めとなった。













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