五章 大吉は 凶に還ると 言うけれど 人が還るは 気抜けた躯(むくろ) その2
まもるの専属運転手らしい男と二人で俺はリムジンに乗っていた。
こんな高級車で毎日送迎されているってことは、まもるもかなりのお嬢様なのだろう。しかし呼称は「お嬢様」ではなく、「お嬢」だった。
運転席の男をルームミラーで見やる。
サングラスをつけていても分かる人相の悪さ。顔つきはごつく、歯は黄色い。右目の辺りに大きな傷跡がある。
服装はフォーマルなスーツだが、ネクタイは締められておらずワイシャツは第二ボタンまで開けられている。その胸元には火傷でもしたのか赤黒いシミができている。
明らかに堅気の人間ではない。おそらくヤのつく組織の一員だ。
彼は乗車前に挨拶したっきり、一言も口をきいてこなかった。最初はそれでよかったが次第に逆に居心地が悪くなってきた。本当に博女に向かってるのかとか余計な心配も頭に浮かんできた。
後部座席を選んでよかった、もしも助手席にいたら緊張で心臓が麻痺していたかもしれない。
後部座席と言っても高級車だけあって作りが普通の乗用車と違い、家具と相違ない座り心地だ。Uの字を半分に切ったようなソファ系の椅子。その先端に俺は座っている。
だが居心地マイナス座り心地イコール正の数である。
一刻も早く、博女に着いてくれ。
普段は無神論者の俺が都合のいい時だけ呼び出す神に願った途端、男が沈黙を破った。
「……嬢さんは、お嬢のご友人で?」
一瞬発言の意味を汲み取れなかったが、一拍遅れて俺がまもるの友人なのか聞いているのだと気付く。所作は真似られても、いまだに自分が女性の格好をしていることを意識できていないのだ。
「……はい。通っている学校は違いますが、仲良くさせていただいています」
「そうですかい」
沈黙。もう話は終わったかと思った時、再び男は口を開いた。
「お嬢はあの通り、あまり社交的じゃないんで昔はダチがいなくて。今は委員会に入って少しマシにはなったんですが」
「はあ……そうだったんですか」
ちょっと意外だった。確かにまもるは口数は少ないが、久遠先輩とは違っておどおどすることなく普通にコミュニケーションを取ることができている。クラスの中心核であるグループには所属できていなかったとしても、親しい友人を何人か作ることができていたと思ってた。
……いや、よく考えればこんな車で送迎されてたら友人なんてできるはずないか。それでも気にせず一緒にいられるマインとクジャクが特別なのだ。まあ、あの二人も二人でかなりの変人だしな。
「嬢さんも委員に入ってらっしゃるんですかい? あの……治安どうたらっていう」
「ええ、そうです。わたくしも治安維持委員会に所属しています」
「こう言っちゃ時代錯誤だって思われるかもしれやせんが、荒事を女の子が担当するってのはその、危なくないですかい?」
質問の流れから、男がまもるを心配しているのだと俺は思った。見かけによらず根は優しい人なのかもしれない。
「確かに危ないこともありますわ。ですが仲間と協力し、チームワークを意識して事件に臨んでいるので、大怪我することもなく済んでいます。きっとまもるさま達、ドリーム高校の方も同じだと思いますよ」
「そうですかい……。嬢さん、名前は?」
普通に答えようとして、はたと思い留まった。
まず入木なんて名前はこの近辺ではうちしかない。それに祖父の入木仙道の名はかなり有名で、書に興味ない人であっても知っていることが多い。
つまり苗字の時点で怪しまれる可能性が高い。
「どうしやした?」
ヤバい、怪しまれているかもしれない。こんなことなら最初から正直に打ち明けておけばよかった。今からではさすがに手遅れ感がある。
俺は口元を袖で隠し、俯き加減で言った。
「……すみません。殿方にあまり名を名乗る機会がなくて、ちょっと恥ずかしくて」
「そうでしたか……。気が利かずにすいやせん」
「いえ、お気になさらず。わたくしは桐井燈子(きりいとうこ)と申します。木偏に同じで桐、いは井戸の井、灯すに子供の子で燈子ですわ」
咄嗟に思いついた偽名にしては現実味のあるもので、我ながらなかなかの出来だと心中で自画自賛した。
「桐井燈子さんですかい。いい名前ですね」
「ありがとう存じます」
「あっしは多田津駒志(ただつくし)っていいやす。お嬢の運転手とか、他にも色々やっていやす」
その色々ってのは触れない方がいいのだろう。きっと裏の世界を垣間見ることになる。
「燈子さんは普段は何していやすか?」
「わたくしはまだ、一介の学生ですが」
「いや、そういうんじゃなくて……」
今までルームミラー越しに話しかけていた津駒志が、急に目を逸らした。
「その、趣味とか……」
趣味? ……もしかしたら彼は、お嬢様学校に通っている生徒が普段、どんな生活をしているのか興味があるのかもしれない。
ちょっと考えた末、正直に答えることにした。
ここで嘘をついてボロを出すのはイヤだったのだ。
「そうですわね……書道の方を少々」
「書道ですかい。いいご趣味ですね」
さっきからイヤに持ち上げてくるな、この人と思いつつ「いえ、それほどでも」と謙遜の返事をしておく。
またも津駒志がルームミラー越しに話しかけてくる。急におしゃべりになったな。
「可愛らしい制服ですね。……和服ですか?」
「和服をモデルにデザインされたワンピースなんです」
「へえ。日本国文化保持計画の賜物ですな」
「日本国文化保持……確か十年前に国が立てたものでしたかしら?」
「さすが博女の生徒さんだ、よくご存じで。その中に学校制服を和装に近づけようというものがありやしてね。国内の学校、特に私立校はこぞって和服をモチーフにした制服に変えたんですよ」
「……多額の補助金がでるから、ですわね」
「ええ。他にも建物を木造に変えたりとかいろいろな動きがありやしたが、最近は少し落ち着いてきやした。計画初動時に建築や改築なんかが盛んだった時には、うちにも結構仕事が……あ、いえ、何でもありやせん」
慌てて津駒志は口をつぐんだ。
おそらくフロント企業なんかに土木・建設業関係の会社があるんだろう。下手に資産家相手に社名がバレたら、そこから辿って調べられ、まもるの実家のことも露見する。そのことを危惧して黙したのかもしれない。
ごまかすように彼は話題を変えた。
「嬢さんはお嬢と、どんな会話をされるんですか?」
質問を受けて、まもるとの時間を振り返ってみる。だが治安維持委員会関係でしか会わないので、あまり友人らしい会話をしたことがない。
適当に返すしかない、と思い言った。
「……やっぱり、恋愛関係とか……」
「れっ、恋愛関係ッ!?」
ヴォオオオオオッ!
「うぉおッ!?」
「ひゃっ!」
いきなりリムジンが猛スピードまで加速し、慣性の法則で俺は横にぶっ倒れる。
キキッキィイイイイイッ!!
急ブレーキがかかる頃には、俺は座席の座面にGの力で押し付けられていた。
ふいのアクシデントのせいで心臓が高鳴り、全身が汗だらけになっていた。
「すっ、すいやせん! ケガぁありやせんか?」
慌てて振り返った津駒志が後部座席を覗き込んでくる。
「はっ、はい……大丈夫ですわ」
俺は横になったまま、首を僅かに持ち上げて答えた。
制服の素材が柔らかくてソファもふかふかで、意外と寝心地は悪くない。
ふと津駒志の顔を見やると、なぜか仄かに赤くなっていた。口が開きっぱなしになり、放心しているようだ。
「……どうかなさいましたか?」
「あっ、いや、その……」
大の男に似つかわしくない、もじもじした態度。
まさかスカートがめくれているかと見やったが、そんなことはない。……というか俺はなぜ真っ先にスカートの心配をしているんだ。
軽く溜息を吐き、乱れた髪を整えてハンカチで額の汗を拭いた。
「……その、嬢さん」
「何でしょうか?」
「こっ、恋人とかいらっしゃいやすか?」
「……えっ?」
頭の中が新品の半紙のように真っ白になる。思考内の俺が毛筆で『何を言ってるんだこの人』と行書体でサラサラと書いていった。
「……えっと、質問の意図がよく分からないのですが……」
「あっ、その、さっき恋愛関係と言ってたんで、きっ、気になって……」
どうにか津駒志の思考を読み取ろうと努力してみる。
「……まもるさまに恋人がいらっしゃるかどうか、ということでしょうか?」
「いえっ、あなたのです!」
俺の顔が引きつっていく。
頭の中が信じ難い、というか信じたくない結論を出そうとしていた。
「今は……気になる方は、特にいませんが」
「つまりっ、恋人はいないってことですかい!?」
「え、ええ」
戸惑いながらも頷く。
津駒志は何度か深呼吸した後、窓から車外を見やって、ぽつりと一言呟いた。
「……月が、綺麗でねえすか?」
つられて彼と同じ方向の空を見やる。白い昼間の月が確かに出ていた。
だが夜のものと比べるとどこかおぼろげで、きれいと称揚するには華やかさも美しさも足りないような気がした。
「わたくしには儚く見えますわ」
「えっ、……そう、ですかい」
肩を落とし、俯く津駒志。
どうしてこの人はいきなり落ち込んだのだろう?
首を傾ぐと、肩口からさらりと髪の束が零れた。
……ああ、夏目漱石か。
やはり久遠先輩の予感は正しかったようだ。まあ、車で送ってもらったところで避けることはできなかったが。
「……あっしはあなたのためなら死ねます」
「わたくしは月へ帰ります」
俺はマインから借りたハンドバッグを持ち、車を降りた。
博女はもうすぐそこだった。
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