四章 無謀なる 愚人の鼻は 高々と 天を向けども 雲は穿(うが)たず   エピローグ

 所変わって治安維持委員会室。

 ドリーム高校は部室棟だった場所を、今は委員会ごとの部屋に割り当てている。進学校だけあって、生徒会がちゃんと機能しているようだ。羨ましい。

 室内は通常の教室一つ分の広さがある。マイン達はそこを自室のように好き勝手に使っていた。テレビにゲーム機、デスクトップパソコン、フィギュアと娯楽アイテムでいっぱいだ。マットレスにソファまであり、空調設備は最新のものだ。夏場もとても快適だそうだ。


「……畳はないか」


 俺の呟きにクッキーを咥えていたマインが尋ねてくる。歌舞伎顔にクッキーというのはなかなか奇抜で珍しい組み合わせだ。


「灯の字は畳派か」

「まあ、ずっと畳の上で暮らしてたから、そっちの方が落ち着くな」


 ぱりっと煎餅をかじる。醤油と海苔の主張の強い香りが口の中に広がる。まあ、市販品にしてはまずまずの出来か。


「なるほど。では今度、置き畳を購入するか」

「別に俺、ここの委員じゃないんだが……」

「急な来客があった時、その者が畳派だったら有効に活用できよう。もちろん、灯の字も使って構わんぞ」

「ああ……」

「……って、ちょっと灯字ちゃん達!」


 そろそろかなと思った時、案の定美甘がぷんすかし始めた。


「なんで話の途中でまったりしてるんですか!」

「安心しろ。俺はそもそも最初から話を聞いていない」

「そんなこと自信満々に言わないでください!」

「ほれ、灯字っち。今までの話の記録だ」

「ありがとな、久遠先輩。助かる」

「チョー感謝しろよ」

「……まったく、もう」


 美甘のジトっとした視線を受けつつ記録を読む。

 簡潔にまとめると、ドリーム高校は博女とゾンビ症の関連を調べるのに協力してくれるとのことだった。


「マジか。マイン達もいろいろ忙しいだろうに」

「うむ、すごく忙しいのだぞ。文化祭の後にはテストもあるし、その後は体育祭だ」

「イベント盛り沢山。じゃ」


 忙しいと言う割にはマインもまもるも楽しそうだった。

 ただ一人、クジャクだけは儚い笑みを浮かべていた。


「大丈夫か、クジャク。今にも灰になりそうだが」

「……楽しみというのはいかなる時も、誰かの犠牲のもとに成り立っているものさ。気にしないでくれたまえ」


 気にするなと発された時、決まって誰かが気に病んでいる。今俺は一つ賢くなった気がした。


「ところでアマミーよ」

「美甘ですっ。島じゃないですよ」

「細かいことは気にするでない」

「わたしにとっては全然細かくないんですけど……」

「博女を調べるのはいいが、その具体的な方法は考えているのか?」

「それは……まだ」


 目を逸らした美甘の声が小さくなる。


「毎日委員会で忙しいからな。考えてる暇なんてないんだよな」

「はい……。勉強もしなくちゃですし……」

「それはしてない」

「してください! また赤点なんて取ったら、承知しませんからね!」

「……今時言うヤツがいたのだな、承知しないなどと」

「美甘の家は和菓子屋で、古き良きものが色々残ってるんだ」


 無駄話で脱線していく中、ふとまもるが手の平に拳を打って言った。


「いいこと思いついた。のじゃ」

「その閃きポーズも、今時やってるヤツはいないけどな……」

「で、同士よ。そのいいこととは何だ?」

「……まずは陛下にだけ、お伝えを」


 まもるはマインの耳元に筒状にした手を当て、小声で何か話し始めた。時折マインは頷きつつ「ほうほう」や「ふむふむ」と相槌を打っていた。

 最後に彼女はにやっと笑って言った。歌舞伎顔のせいか、いささか滑稽な表情だった。


「なるほど、面白いではないか」

「……何で第一声が面白いなんですか」


 不安と疑心を湛えた瞳を向ける美甘に、マインは悪代官顔で言った。


「アマミーよ」

「美甘です」

「作戦において一番重要なのは何か分かるか?」


 美甘は持ち前の生真面目さを発揮し、しばし黙考した後に言った。


「確実性じゃないですか?」


 マインはオーバーに溜息を吐いて肩を竦めた。


「ダメだな、そなたは。何も分かっていない」

「へー、そうですか……」


 美甘の額に青筋が浮かぶ。マインは地雷一歩手前ということに気付かず、話を進める。


「作戦で最も重要視されるべき点、それは意外性である!」


 迷いない断言に美甘は席を立ちあがり絶叫。


「絶対に違いますからね!?」

「まあまあ、美甘っち。判断すんのは一度聞いてからでもいいっしょ」

「さすがクオンだ。頭の中が饅頭な長よりも賢明だな」

「誰が頭の中饅頭ですか……。パンチ一回でユーフォーは壊せませんよ」

「そう考えるとアイツ、ハリウッドに出てもおかしくないな」


 面白おかしく話に花を咲かせている中、マインはやおらペンを持ち、深く呼吸した後。手が残像を残し、分身したかのように猛スピードでタブレットに何かを描き始めた。

 一分と経たない内に、机上にペンが音を立てて置かれる。

 タブレットを両手で持ったマインは自信たっぷりの顔で画面を俺達に見せつけてきた。


「見よ、これを!」

「……上下反対だぞ」

「むっ、す、すまぬ」


 マインはタブレットを一度横にして、再度立て直した。今度はちゃんと正位置になっているはずだ。

 しかしそれでも俺には、画面上に何が描いてあるのか分からなかった。あらゆる色が混じり合い、まるで嵐でも起きているようだ。物心つく前の子供にクレヨンを持たせたら画用紙にあんな感じのが出来上がるだろう。

 俺はマインに聞かれぬよう、小声で美甘に訊いた。


「……あれは何だ?」

「わたしにだって分かりませんよ……。久遠ちゃん先輩は何だと思いますか?」


 久遠先輩はほぼいつもの声量で答えた。


「……多分、女の子?」


 どんな角度から見ればあれが人間の姿になるんだと思ったが、マインは久遠先輩を見やり言った。


「惜しいな。これは女装した男児だ」

「……久遠先輩、もしかしてエスパーか?」

「そんなんじゃないけど……フィーリングで?」

「あの、マインちゃん。何でいきなり、女装した男の子の絵なんて描いたんですか?」

「これから説明する作戦をイメージ化しやすくしてやろうという、我の配慮ではないか」


 女装した男子。作戦。博愛女学園、つまり女子校。

 全てのピースが頭の中に一つの絵を作り上げる。


「……おい、マイン。もしかして俺に、女装して博女に潜入して調査してこい、なんて言わないよな?」


 俺の言葉にマインは「なぁんとッ!?」と驚愕の声を上げる。表情豊かな彼女に歌舞伎顔は結構似合うな。


「素晴らしい洞察力だ、さすが灯の字であるな」

「いやぁ、それほどでも……」

「ちょっと、灯字ちゃん! そんな呑気なこと言ってる場合じゃないですよ!」


 パニックになっている美甘をマインは不思議そうな顔で眺めながら言う。


「合理的な作戦だと思うがな」

「どこがですか!?」

「虎穴に入らずんば虎子を得ずというだろう。実際に相手の陣地に赴かねば、重要な事柄というのは得られぬものだ」

「つまり潜入作戦。じゃ」

「だからって、何で灯字ちゃんなんですか!? ここには女の子が五人もいるんだから、他の人が行けばいいですよね!?」

「ボクを女の子にカウントするのかい、子猫ちゃん?」

「クジャクちゃんは女の子ですよね!? 現に今スカート穿いてますし!」


 荒くなった呼吸を整え、茶を一気飲みする美甘。今ここに水香がいたら『はしたないお方ですこと』とか言うんだろうな。


「美甘よ。我等はすでに相手に顔が割れているのだ。普通に女子が忍び込んではすぐにバレてしまう可能性が高い」

「なら変装すればいいじゃないですか」

「女子が女子に変装したところで、その変化の差はたかが知れているであろう」

「つまり、男子の灯字っちが女子に変装すれば、そのギャップで水香っち達にマジ気付かれにくい……って、マインっち達は言いたいわけ?」

「うむ。クオンは策略家の才能があるな」

「……無理がありますって。灯字ちゃんが女装なんて」


 なぜかもじもじしだして、俺を横目でチラチラ見てくる美甘。心なしか顔が紅潮しているように見えた。


「それに灯の字はいつも書道をやっているだけあって、姿勢も正しい。この者の佇まいならば箱入り娘共に混じっても不自然ではなかろう」

「ウチは結構いい作戦だと思うけど」

「ちょっ、久遠ちゃん先輩!?」

「グハハハ、我が同士のまもるが考えた策であるからな! それでどうだ灯の字よ。この作戦を実行するかどうかは、そなたの意思にかかっているぞ」


「断固断る」


 間を置かずに俺は返答した。

 予想通りの回答だったのだろう、誰一人驚いた者はいない。


「そうですよね。普通、断りますよね」

「当たり前だ。書の時間を無駄にするようなことに労力を割く気はない」

「別に女装が嫌だったわけじゃないんですか……」


 ちょっと惑い気味な美甘に、俺は冷めた茶を啜ってから言った。


「格好なんて書道の邪魔にならないならどうでもいい」

「あ、ある意味、男らしい……んでしょうか?」


 マインが足を組みなおし、手を机上で組み、顎を載せてこちらに顔を近づけてきた。歌舞伎顔がぬっと迫ってくるのはいささか肝が冷えるな。


「灯の字よ。どうしてもイヤだというのか?」

「何度も言わせるな。俺は書道以外のことにあまり時間を費やしたくない」

「ふむ。……実は明日、博女で書道会という催しが開かれるそうだ」


 自分の耳がぴくりと動いたのが分かった。


「それは各々が作品を書き上げ、出来栄えを互いに講評するという会なのだがな。もしかしたらそこで、巧みな腕を持つ書家と巡り合えるやもしれんな」


 俺はじっと黙考する。

 お嬢様学校といえば、資産家の娘が通う場所だ。彼女達は幼い頃から多種多様な習いごとをしている。当然それには書道も含まれるだろう。ならばマインの言うように、まったく目にしたことのない新しい書と出会えるかもしれない。

 膨れ上がった期待が、俺の考えを百八十度変えていた。


「よし、行こう」

「え……? ちょ、ちょっと待って灯字ちゃん。行くって、どこに?」

「博女に決まっているだろう。多彩な芸術と触れ合っている書家などそうはいない。彼女達がどんな字を書くのか、一度見てみたい」

「書道会は明日の十五時からだ。時間的にも不都合はあるまい」


 話がまとまりかけたのを、美甘は慌てて遮り阻止しようとする。


「じょ、女子高に男子が潜入したなんてバレたら、社会的に抹殺されちゃいますって」

「バレなければ問題あるまい。それにこと変装に関しては我はプロフェッショナルだ」

「え、そうなんですか?」

「うむ。夏と冬の祭典では、フラッシュの嵐をこの身に受けているからな」


 少し考えた後、美甘は言った。


「それ、コスプレですよね?」

「コスプレも変装も大して違いはあるまい」

「大ありですよ! それ全然違いますから、牡丹餅とおはぎぐらい違いますから!」


 美甘の反論に場の全員がほぼ一斉に首を傾げる。しばしの後、クジャクが言った。


「……ほとんど一緒じゃないかい?」

「違うんですよ! もう、あなた本当に日本人ですか!?」

「ボクは日本人だけど、同時に地球人でもあるのさ」


 美甘はそれ以上問い詰めはせず、肩を落として言った。


「……もしも灯字ちゃんに何かあったら、マインちゃん達が責任取ってくださいね」

「無論。我が生涯をかけて、責任を取らせてもらおう」


 マインの発言に美甘の眉がつり上がる。


「なっ、何の責任取るつもりですか!?」

「……何って、作戦失敗の責任だが?」

「本当にそれだけですか!? 何か深い意味があるんじゃないですか!?」

「べっ、別に深い意味などないぞ!?」


 美甘の意味不明な厳しい追及に面食らうマイン。


「……何を必死になってるんだ、美甘のヤツ」

「灯字っちは書道だけじゃなくてさ、もっと色んなことに興味を持った方がいいよ……」


 呆れ混じりの久遠先輩の視線に、俺は首を傾げた

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