第二話 大切なもの

 セリーは荷物をまとめるとグランテ家の使用人の迎えの馬車に乗り、グランテ家の屋敷へ向かった。しばらくここに住んでいたからか私物も多く、特にメッテが調子に乗って買い込んだ服が大量に馬車に積まれていた。


 盗賊道具や武器なども記念として持っていくことにしたようだ。モーニングスター、こん棒、弓など、今まで訓練のためにセリーに渡していた様々な武器を馬車の中へ搬入すると、使用人の目が点になっていた。こんな物騒なものを扱える貴族はこの世で多くはないし、その驚きには同情せざるを得ない。


 俺は選別として俺が愛用していたナイフ、メッテは盗賊服を渡した。セリーが正式に貴族になってこれら道具を使う機会がどれだけあるか分からないが、俺のナイフはリンゴの皮をむくのにでも使ってもらえればいいと思っている。


「あーあ、ちょっと寂しくなっちゃったね」


 俺たちは食卓の机を向かい合わせに座りながら、語り合う。

 普段、俺かメッテの隣に座っていたセリーはもういない。


「……そうだな」


 セリーを送別の際、自分でも驚くほど俺の感情は落ち着いていた。

 セリーに会おうと思えばいつでも会いに行ける。事前に連絡を入れていれば、裏口から侵入することなく、表口からあの屋敷に入ることが出来るのだ。そのため、割かしすんなりと別れの言葉を伝えられたと思う。


 それと対局なのがメッテだ。

 顔がぐしゃぐしゃになりながら、セリーを抱きしめて離さなかった。呂律も回っておらず、何を言っているのかすら聞き取れなかった。セリーは嬉しくも困った顔を見せていたが、最終的には使用人に離されるようにして、何とか別れの言葉を伝えたのだった。


「なーんか、セリーちゃんがいたのが日常になっちゃってたからね、私の部屋も物が随分なくなっちゃったし」


 セリーと一緒に使っていたメッテの部屋は今は既にガラガラだ。部屋中に飾ってあったセリーの服も、馬車に詰め込まれ、グランテ家に移された。寂しさは残るが、元々父さんと母さんの部屋だったことを考えると、メッテが使ってくれるだけ、俺にとっては気が楽だった。


 メッテはもう自分の家に帰っていない。ほとんどの自分の荷物を既にこの家に運びこんだから、と彼女は言っているが、俺についてきて下半身が不自由になったということを、親に見られたくないのが本音だろう。


 最近は松葉づえを使わなくても、ゆっくりとであれば歩くことが出来るようになった。膝を深く曲げるとまだ痛むので、しゃがむことはできないし、まだ走ることもできない。階段も手すりに捕まりながらゆっくり歩くしかない


「まあ、これからはお前のもので埋めていけばいい……セリーもたまには遊びに来ると言っていたしな」


 セリーは全ての服を持っていくことはなく、少しだけ箪笥に残した。

 いつでも遊びに行けるように、とセリーは言っていた。


「そうね、また遊びに来る時が楽しみ! その時はセリー様って呼ばないのいけないのかしらね?」


「……いつも通りでいいだろう。セリーもお前にいつも通り呼んでほしいに決まってる」


「そうね! えへへ……!」


 送別のときに泣きじゃくっていたメッテは、今ではセリーとの再会を楽しみにしていた。

 まるで子供が独り立ちした親のようだ。


「でも、残念ねえ。セリーちゃん、結構盗賊の顔つきになってきてたのに。このまま盗賊やっちゃえばいいんじゃないかと思ってたのよ、本当に。適当に年頃の盗賊の男とか探してたし」


「お前はおせっかいおばさんか……」


 女性は結婚さえすればステータスは変わる。貴族の女性も盗賊と結婚すれば盗賊になる。


 ただし、地位が高い家庭であればあるほど、親が厳正にパートナーを選別する傾向にある。

 娘の幸せを祈ってなのだろうが、下から上への玉の輿を狙いつつも、最低限同じ地位の男性との結婚を強要することが多い。とはいえ、上の地位の人々も下の人々を受け入れることは滅多にしないので、結果的には同じ地位の人々で結婚することが多い。


 もちろん今のセリーは親がいないので自由恋愛をしたところで、誰もとやかく言う人はいない。

 セリーは傍から見たら、まぎれもなく童顔幼女ではあるが、年齢は大人である。結婚しようとすれば出来るし、そのような容姿が好みの男性も探せばいるに違いない。しかも盗賊の基礎訓練は受けているので、仕事のパートナーとしても申し分ないスペックだ。


「彼女は貴族として生きることを選んだ、当分俺たちはその応援するのが役目だ」


「ふふっ、そうね」


「まあ、確かに盗賊としてかなり仕込んだし、器用さは武器だと思う……全く惜しい損失ではあるがな」


 もし貴族や盗賊の隔たりがない、または貴族が盗賊と一緒に行動しても世間に何も文句を言われない世の中なのであれば、俺はセリーと盗賊業を続けることに何の抵抗もないだろう。ましてや今まで時間を訓練という形で投資してきた分、利益を取り返したいぐらいである。


「あの子だったら、確実にいい盗賊になれたね!」


「……そうかもな。俺が彼女を世界一の盗賊にしてやったに違いない」


 過大評価に聞こえるかもしれないが、俺のこの言葉は決して冗談ではなかった。

 もしセリーがそのまま盗賊の道を歩んでいたら、俺は俺が持ちうる全ての技術を伝授していたに違いない。得意不得意があるだろうし、全ての分野において俺を超えることは困難かもしれないが、逆に特定の分野においては俺をはるかにしのぐ才能を見せていたに違いない。


 今の立場上は俺とセリーは盗む側と捕まえる側という対極にいる。

 しかも、恐ろしいことに俺は盗賊としての手の内をセリーに明かし続けたので、彼女が本気で盗賊対策をしようとしたら、敵う相手はいないだろう。


「ゼルも変わったね……私、嬉しいな」


「変わった……のか?」


 俺がメッテの言葉に反応すると、メッテは話を続ける。


「昔のゼルは、社会で自分の居場所を探すためにお金持ちの家に入ってたでしょ? いつも苦しそうだった……盗賊であることを恨みながら、盗賊の自分を認めてもらいたいって、もっとみんなに見てほしいって、ずっとずっともがいてた……そんな気がしたの」


 そう重く語るメッテだったが、心なしか幸せそうに見えた。


「でもね、今のゼルは違うよ! セリーちゃんが来てからなのかな? なんていうか……言葉にしづらいんだけど……いつもよりかっこいいなって! 盗賊であることを誇らしく思ってるんだって、そう感じるの」


「……そうか」


 いつも傍にいるメッテがそういうのであれば、そうなのだろう。

 彼女の気づきを否定するほど野暮ではないし、ここ数カ月間は目にも止まらない早さで様々なことが起きていた。これからの人生でも、忘れることはないだろうと確信できるほどに。


「メッテ、少し話があるんだが、いいか?」


「別にいいけど……何、かしこまっちゃって?」


 メッテと面と向かって話すのがこんなに緊張すると感じたのはいつぶりだろう。

 どんな演技をしている時よりも、今この瞬間のほうがぎこちなく感じる。

 今戻るのであれば、全てをうやむやに出来るのかもしれない。だが、それではダメだ。セリーが貴族に戻ると決めたように、俺にも決めなければならないものがあるのだ


「……お前がローゼンで意識を失っていた時、お前がそのままいなくなってしまうんじゃないかって、すごく怖かった。父さんや母さんがこの家から去った時も悲しかったが、それ以上にお前がいなくなってしまうことを想像したら、胸が張り裂けそうなって、苦しくなって……たまらなかった」


 メッテは黙って俺の言葉の続きをうかがっている。

 上手く話せているだろうか、上手く伝わっているだろうが、そんな不安を感じながら俺は一言一言紡いでいく。


「その時に気づいたんだ。今まで俺の背中を押してくれるお前がいたからこそ、俺はここまで頑張れたんだって……どんなにつらくても、足が動かなくなっても、笑顔を絶やさないお前がいるからこそ、俺は理想を追うことが出来た。本当に感謝している」


 足が自由に動かなくなって以来も、メッテは笑顔を絶やさなかった。「大丈夫、大丈夫、何とかなる」といいながら、苦い顔をしながら訓練に励んでいることを、俺は知っている。俺たちがいないところでは泣いていることも、俺は知っている。


 メッテが俺のことをどのように思っているのかは知る由もない。

 だけど、俺はメッテにもう泣いてほしくないのだ。俺が大切にしている女性が、大切にしたい女性が泣くのは二度とごめんだ。


 自分の腕足、命に代えてでも守りたいものがある。

 俺は優しい盗賊になるのだ。――自分の回りすら幸せにできなくて、何が出来る。


 俺はポケットから淡い水色の小さな箱を取り出す。

 その箱を開くと、銀色のネックレスが顔を覗かせた。


「メッテ……俺と、結婚してくれないか」


 これが俺の精いっぱいの決心だった。

 誰でもない、メッテに、これからの俺の人生を付き添ってほしかった。


 メッテは口を押えながら、涙した。


「いいの……? 私の足、思うように動かないよ? いっぱいいっぱい迷惑かけるかもしれないよ?」


「……俺は気にしない。お前が俺のそばにいてくれれば、どんなに迷惑をかけられてもいい。俺がお前を一生守って見せる。それぐらい出来るほど、俺は強くなったつもりだ」


 盗賊として強くなっても、今まで誰のためにこの技術を使えばいいのか分からなかった。

 社会も、結局俺を中々認めてくれなかった。


 だが、今は分かる。

 メッテやセリーを守るために、――身近で大切な人を守るためにこの力をつけたのだ。


「……へ、返事をもらってもいいか?」


 伝えたいことを全て伝えきった俺の心臓は今にでも破裂するのではないかと思うほど、鼓動していた。

 これ以上耐えられなかった俺は、メッテに返事を迫る。


「も、もう、答えなんて、分かってるでしょ!」


 メッテは涙で赤く染まった顔を隠すように強がる。

 そして、メッテは笑顔を見せる。それはいつもの笑顔だったが、いつも以上に輝いて見えた。


「……はい、よろこんで!」


 そう叫ぶとメッテは不自由な足に出来る限りの力を入れ、向かい側の俺に抱き着いた。

 俺はそっと腰に手をやる。


 俺の大事なものが、もっと大事になった。――そういう瞬間だった。

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