第27話 相談

「よっ。アイネっち。研究の報告にわざわざあたしが直々に来てやったぞー」

「シャルナさん!」

「おっ?」


 この屋敷は、アイネ様は休まる暇が無いなと、ラットリンは思った。それだけ『人気者』なのだ。我が主は。

 第三王子から『招待状』を受け取った次の日である。将軍シャルナがやって来たのは。

 この数日で、余程『懐いた』らしい。やはり同じ女性である上司のシャルナは特別なのだろう。ひと目見てから、アイネは表情を花開かせて出迎えた。


「おー。そんなにあたしが好きか。よし。ベッドルームはどこだ?」

「やーっ。ちょ。ごめんなさい」


 シャルナは幼気なアイネを担ぎ上げて屋敷内に踏み入ったが、アイネが予想以上に顔を真っ赤にして暴れたのですぐに手を離した。


「……なんか悩みか」

「ぅっ……」


 つまりは、アイネは自分より『格上』の女性に壊滅的に弱かった。いつもの彼女を知るラットリンやゼフュールは驚いてしまう。


——


「……デウリアスか」

「はい」


 テラスで、ティーを用意したラットリンはまた驚いた。『言った』のだ。この、得体の知れない『毒矢のシャルナ』に、全て。

 シャルナはふむと考えながら、アイネをじっと見る。


「アイネっち、処女だよな」

「!!」


 ガタリと、カップを取り零した。その背後で、ゼフュールが驚いた拍子に後頭部を壁に打ち付けた。


「(……ゼフュール貴方は仕事に戻りなさい。もしもの護衛は私だけで充分ですから)」


 やれやれと息を吐いたラットリンが小声で指示を出した。ゼフュールは頭を下げた後、よろよろと退室した。


「……その通りです。私には凡そ『経験』は何もありません。町には『何も』ありませんでしたから」


 なんとか立て直したアイネが答える。正直でよろしい、とシャルナは頷く。


「(その癖、政治力はずば抜けてる。これは才能……ってか『賢者』か。それ故に、アイネっち本来の『女としての普通ルート』から外れちまってるってことか)」


 シャルナにとっては、アイネは格好の研究対象のままだ。さらに勝手に懐いてくれているとなれば、好都合この上ない。


「んじゃ、良い機会じゃね?」

「えっ……」

「皇族で純潔を散らすって、一体何人が経験できる『贅沢』か分かるだろ」

「…………」


 それは確かに、一般的にはそうなのだろう。だが。アイネの『感覚』では、そうではない。

 いきなり顔も素性も知らない男に求愛されて。いくら皇族とは言え。気持ち悪いに決まっている。


「ていうか、アイネっちはどう考えてんだよ」

「へっ?」

「『この先』。まあ、仮に全部上手いこと行ったとして。まさか一生独りで死ぬことはねーだろ?」

「……考えていません。今はただ、帝国を——」

「仕事人間だなあ」


 女性にとっては。『国の存亡』は勿論大事だ。軍関係者ならば尚更。だが。

 同じくらい大事なのだ。『それ』も。


「いーじゃねえか玉の輿。何か不具合不満あんのか?」

「……殿下は『遊び好き』と聞いています」

「ん? それが?」

「っ!」


 アイネは。無意識に。ここで気付いた。17年掛かって、ようやく。『ここだ』と分かった。

 無意識に、『価値観』が違っていた。『今居る世界と時代と風俗』と。『自分の生まれた時から頭の中にある常識』が。

 もっとずっと、根底から違っていると。


 知識では分かっていた。今の皇帝にも妃は3人居る。しかも、戦争の時代だ。跡継ぎを遺す為に、複数人を『持つ』など当然で当たり前。勿論、稼ぎが少なければひとりしか娶れない家庭も多いだろうが。


 自分が『第何夫人か』など。そこまで気にしないのだと。


「アイネっち、母親は」

「知りません。義父の妻は病気で死んだそうです。私が、拾われる前に」

「……ふむなあ」


 17歳は。『ガキ』と揶揄される時もあるが。

 実際は、結婚して子供が居たとしても『なんら不思議ではない』年齢なのだ。この世界では。アイネよりずっと、『大人』なのだ。この世界の女性たちは。


「化粧もお洒落も、仕事柄控えてるのかと思ったが、全然違ったらしい」

「……はい。『やり方を知らないで育った』のが正しいです」


 シャルナは。

 美しい。20歳でありながら、よく見ると色気も充分だ。言動やその笑顔が、人懐こく幼い印象をしているだけで。それすらも魅力のひとつに映るだろう。ふとした瞬間の物憂げな表情はアイネでも一瞬どきりとしてしまうかもしれない。


「シャルナさんは、どうなんですか?」

「あたしは無理だ」

「え?」

「『色々』あってな。まああたしこそ仕事人間過ぎたのかもなあ。もう子供は産めねえんだ」

「!?」


 物憂げに。普段のシャルナからは予想できないくらいに優しい表情で。

 諦めたような顔で。自分の腹の辺りをさすった。


「あたしは賢者じゃねえ。武力もねえ。あったのは、根性だけだ。『将軍』になるために。……力を得るために『沢山色んなこと』をやった。その結果だ。後悔はしてねえが、どっちみち長くは生きられんだろうな」

「…………!」


 彼女の身体は傷痕だらけだった。アイネは一度それを見ている。『暗部』に出入りしているのだ。髪も所々変色しているし、普段は『毒』を扱っている。それを。


「あたしはまあ、『隠す』為に化粧を学んだってところはあるなあ。色んな高官に股開いてた時期もあるんだぜ? とにかく色々無茶してた」

「…………そんな」


 ここは、ガルデニア帝国。

 アイネは『そういう世界』に居るのだ。


「ま、あたしの話はいーだろ。今はそのデウリアスからの誘いをどうするかだ。断りたいんだろ?」

「……はい」


 そして。そんな経歴をあっけらかんと、まるで他人事かのように明るく語るシャルナ。

 そんなシャルナを。

 アイネはやはり尊敬するのだ。


「ならまあ、普通に断っちまえよ。怖くてできねえなら、バルト陛下か、イエウロを通してデウリアスに言って貰うかだな」


 イエウロとは第一王子である。『影杖のイエウロ』と呼ばれる将軍のひとりでもある。


「……しかし、私を優先するとは思えませんし」

「じゃあ、先にどっかに嫁ぐとか」

「え……」

「決めた相手とかいねーのかよ。アイネっち」

「…………」


 真っ先に思い浮かんだ男性は。

 イサキ。次に、エンリオ。


「居ません」

「そっかあ」


 なんて薄弱な人間関係なんだと、心の中で嘆いた。イサキは家族で、エンリオは妻子が居る。

 そもそもふたりに対して恋愛感情がある訳でも無い。『知り合いの男性』自体が圧倒的に少ないのだ。悲しいことに。


「なら一度くらい行っとけよ。別に殺される訳でもねえし」

「…………はい。しかし」

「ん?」


 行くとなれば。まあ確かに絶対嫌というわけでもないが。それも『妻の話は忘れる』という文言がある限りだ。そして、シュクスが現れていない今だからこそだ。


「軍服で行く訳にも行きません。それに、お化粧も」

「おー。まあそうだな。アホとは言え仮にも皇族だ」

「(アホ……)」


 それに、皇族とのコネクションを築けるのはマイナスにはならないだろう。女性でまだ若いアイネがこれから軍でやっていくには、そういった後ろ楯は欲しい所であるのは事実。


「(ていうかあたしの仮説が正しかったらアイネっちはデウリアスの妹なんだが。大丈夫なのかこれ。……まあいっか。面白そうだし)」


 シャルナは楽しそうに微笑んだ。その、『女性としての余裕』のようなものを、アイネも身に付けたいと思ったのだ。


「シャルナさん。お忙しいとは思いますが」

「んー?」

「選んでいただけないでしょうか。私には恐らく、センスはありません」

「デートか! いいぞ! 研究なんかしてる場合じゃないな!」

「えっ」


 次の瞬間。シャルナは子供のように飛び上がった。


「い、いや、研究は引き続きお願いします。あ、その報告でしたよね。今日は」

「置いとけ! 今から行くぞ! いー店あんだよ!」

「えっ。えっ」


 腕を掴まれて。そのまま。

 引き摺られるように、シャルナに『連れ去られて』行ってしまった。


「……えー。行ってらっしゃいませ」


 ラットリンは呆れながら、丁寧にお辞儀をした。

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