鬼姫の力

 桃色髪の鬼娘が戦斧を振りかざして突っ込んできた。

 上位魔神ティリスが無表情のまま左手を前にかざすと<支配領域インペリウム>の範囲内に入った戦斧が何かに遮られ、包み込まれたように、動きを止める。


「あ……!? なんだ、これ」


 通るべきものが通らない──そんな違和感を覚えたようだ。

 だが、これまでの戦と違うのは、相手が雑魚ではない事、そして殺せない事だ。ティリスはどう出るのかと見ていると……


「知るかよ、ばーか!」


 鬼娘が片手で持っていた戦斧を両手で持ち、高く飛び上がって……全力で振り下ろす。ティリスは変わらずもう一度左手を前にかざして、<支配領域インペリウム>で受け止めた。おそらく空間を歪めて壁を作っているのだろう。

 鬼族の姫オーガ・クイーンがそこでにやりと笑うと、気合の声を上げて、両腕に力を込めた。すると……なんと斧が防壁の中にずぶずぶと食い込んできた。

 空間を自由に操れるはずのティリスの<支配領域インペリウム>に、腕力だけで挑もうというのだ。


「どんな能力なのか知らないが、そんなもんぶち壊せばいいだけだろ!?」


 気合の声を張り上げ、鬼娘が更に腕に力を込めると、そのままずぶずぶとティリスの元まで斧が食い込もうとしてくる。

 ティリスは舌打ちをして、「アレク様、すみません」とだけ早口で言い……右手で俺を吹き飛ばした。

 その直後、爆発音と共にティリスがいた場所に砂煙が立ち籠っていた。腕力だけでティリスの<支配領域インペリウム>をぶち破ったのだ。


「ティリス!?」


 幸い、俺の方はオーガの死体がクッション代わりになっていた。いや、敢えてティリスがそこに俺を吹っ飛ばしたのだろう。あのままあそこにいては貫かれるという事を彼女は察知したのだ。


「大丈夫です、ご主人様マスター


 上空からティリスの声が聞こえた。

 見上げてみると、ティリスが翼を広げて見下ろしている。その刹那、砂煙の中から空へ向かって鬼族の姫オーガ・クイーンが飛び出し、戦斧を振るった。

 ティリスはその攻撃を<支配領域インペリウム>で軌道を変えつつ、防御に徹する。


「どうした? 上位魔神グレーターデーモン! 案外大した事ないなぁ!?」


 鬼娘の挑発に、ティリスの表情が少し苛立つ。

 そして、遂に……左手で<支配領域インペリウム>の中に入ってきた攻撃の軌道をずらしつつ、右手で手刀を作り、斬った。兵士や盗賊たちを真っ二つにした見えない刃である。

 しかし、鬼娘は動物的に勘が良いのか、咄嗟に身をよじってそれを避けた。桃色の髪の毛先が何もないところで斬撃を受けたように散っていた。初見で反応されるとは思っていなかったティリスも、眼を見開いている。


「……っぶないな。今の、もしかして当たってたら即死だったか? だが──がら空きだぞ!」


 桃色髪の鬼娘は言いながら笑い、そのまま空中で身体を回転させて、ティリスの腹に蹴りを食らわせた。

 ティリスの顔が歪み、そのまま地面に叩き落されて埋まる。


(強い。強いぞ、この娘)


 あのティリスが攻撃を初めてまともに受けている。

 今までならティリスの空間に入っただけで全ての攻撃が無効化されていたのに、あの鬼族の姫オーガ・クイーンの攻撃は通っている。しかも、今は<支配領域インペリウム>を抜けて攻撃を受けていた。


「おい、ティリス! 大丈夫なのか!?」


 鬼族の姫オーガ・クイーンは先ほど拳で重装歩兵の鎧にすら穴をあけていた。

 直撃はまずいんじゃないか、と思っていたが、ティリスはケロッとした表情で地面から飛び出てきた。


「大丈夫です。心配をかけてしまってすみません」


 土埃を叩きながら落ち着いた口調で答えているが……その丁寧な口調とは裏腹に、表情には苛立ちが見えた。


「これだから馬鹿力は嫌いなんです」


 そう、ぽそりと愚痴ったのが聴こえた。

 そんな彼女から10メルトほど離れた場所に、鬼娘は降り立った。


「どういう原理かわからないけど、周囲の空間を自由に操れるといったところか? 腹を蹴った割に変な感触がしたし、地面に叩きつけた割にかすり傷すら負ってないところを見ると、そうとしか考えられねえな」

「そんなところですね」


 鬼娘の問いに、ティリスが答える。


「操られるはずの空間であたしの攻撃が届いてショックなんだろ? 上位魔神グレーターデーモンだか何だか知らないが、あたしに喧嘩売ったんだ。それなりに落とし前つけてもらわなきゃな」


 鬼娘は自信に満ちた笑みを浮かべながら、戦斧を構えた。

 ──強い。俺は素直にそう思った。

 オーガキングに加えて、こんな奴までいたのでは、勇者マルスのパーティーでも撃退できないのではないかと思う。むしろ魔王軍は町への攻撃が囮で、勇者を呼び寄せる事が目的だったのではないか、とすら考えさせられた。

 ティリスがこれほど苦戦しているのだ。おそらく、マルスや剣聖の剣技だけではこの鬼族の姫オーガ・クイーンは倒せまい。賢者の大魔法なら倒せるかもしれないが……その詠唱の時間をあの二人で作り切れるかどうか、というところだろう。


(いやいや、あいつらの事はいいんだよ。それより、ティリスは大丈夫なのか?)


 上位魔神グレーターデーモンはじりじりと近寄る鬼族の姫オーガ・クイーンに対して、冷たい視線を送りつつ、大きな溜め息を吐いた。


「そうですね……少し、甘く見ていました」

「勝てそうにないってか?」


 その鬼族の姫オーガ・クイーンの言葉にティリスは鼻で笑い、「いいえ」と首を横に振った。


「……魔力もろくにない腕力だけの鬼風情の攻撃が、私に届くとは思ってなかったんです。すみません」

「ああ!? なんだと、お前!?」

「だから……少しだけ本気を出してあげます。感謝してくださいね」


 そう言って、ティリスは妖気を解放した。

 魔力の突風が生じて、周囲の死体や炎を一気に吹き飛ばしてしまった。吹き飛ばされないようにするのだけでも大変だ。

 これまでよりも魔力の風が強い。盗賊や傭兵、警備兵とやりあった時は、本気ではなかったというのだろうか。

 ティリスは分厚い妖気を周囲に纏い、その妖気は紫色のオーラとなって彼女を包んでいる。あまりの妖気に、味方のはずなのに、胸が潰れてしまうのではないかというくらい締め付けられた。その妖気の高さは、おそらく魔物同士ならより強くわかるのだろう。

 先ほどまで余裕があった鬼族の姫オーガ・クイーンが、息を詰まらせたように眼を見開き、歯をガチガチ震わせていた。


「加減はしますけど、殺してしまったらすみません。なるべく生きていて欲しいので、頑張って生きて下さい」


 ティリスの妖気に気圧されたように、一歩二歩と後ずさる鬼娘に対して、彼女はくすっと笑みを浮かべていた。

 上位魔神グレーターデーモンの反撃が始まった。

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