第20話 文化祭の準備②
ある程度離れた場所まで来たところで俺は内村先生を解放した。
多目的室がある棟の二階にある音楽室の前。他の先生はおろか、生徒の姿もなく、ここだけシーンと静まり返っている。
そんな中で自由の身となった内村先生はすかさず俺のみぞおちに一発拳を叩き込んだ。
全体重が乗った鋭いパンチをまともに喰らってしまった俺は、その場で膝をついてうずくまってしまう。
「二十代の独身女性に対して、よくも陵辱を働かせてくれたな」
「りょ、陵辱って……そこまで酷いことはしてないじゃないですか!」
なんとか少し痛みが引いたところで俺はみぞおちを抱えながら、立ち上がる。
内村先生の瞳は今にも殺さんとばかりに血走っており、ものすごくお怒りであることがひと目で窺える。
うーん……どう弁明しようか。
「最後に言い残したことはないか?」
内村先生はこめかみに青すぎを立て、眉間にはこれでもかというくらいにしわを作っている。その形相はまさしく鬼。鬼瓦みたいにも見えるのは俺の目がおかしいだけなのだろうか?
「ちょ、ちょっと待ってください! そ、そもそも内村先生が悪いんじゃないんですか!」
俺は無意識的に後ずさる。内村先生から放出される殺気のせいだろう。
「私が悪い? 私が何をしたと言うんだ?」
「まさかの無意識だったんですか……」
「いいから言え。私が何をした?」
内村先生が詰め寄ってくる。
「そ、それは……公共の場で口に出してはいけない言葉、かと……」
「公共の場? 大丈夫だ。幸いなことに君が連れてきた音楽室前には今誰もいない。遠慮なく口にするがいい」
「いや、そう言われても、そういう問題じゃ……」
「なら、私が悪いとは言えないな。口にできないということはすなわち私に過ちがなかったということなんだろ? つまり君の出任せということになるが……」
内村先生は顔の前に力強く作られた拳を持ってくる。
たぶん殴るぞ? という合図なのだろう。
「で、出任せなんかじゃないですよ! それに生徒に暴力を振るってもいいんですか? 体罰に当たりますよ! 最悪の場合、先生という職を失うことにもなるんですよ!」
「それ、私を脅しているつもりなのか?」
「そ、そういうわけでは……」
「残念だが、私は結婚する。いつかな」
「いつかって、見通したってないじゃないですか?!」
一瞬、寿退社ならぬ寿辞職でもするのかと思ったが、まさかの未来予想図だった。
ダメだ。完全にこの人のペースに飲み込まれてる。
もうこのまま理不尽にも殴られるしか道はないのか……。
と、そう覚悟したのだが、内村先生は深いため息とともに顔の表情を緩め、拳を下ろした。
「まぁ、今回だけは多めに見てあげよう。私の何が悪かったのかはもう聞かないがな」
「そ、そうしていただけると非常にありがたいです……」
九死に一生とはこのことを言うのだろうと改めて実感した。
内心ホッとしつつ、俺はある気になっていたことを思い出す。
「内村先生、一つ聞きたいことがあるんですけどいいですか?」
「なんだ? 君と戯れていたせいで時間があまりないのだが?」
その原因を作ったのはあんただよ! というツッコミは心の中でしとこう。
「その、なんで俺なんですか? 委員会の手伝いなら他にもたくさんいたでしょ?」
俺はずっと気になっていた。
委員会の手伝い自体は何もおかしなところはないし、ただ単に人員不足なだけだと思うが、よりにもよって俺が選出されるのはちょっと不審なところがある。
最初は適当に選んだ結果が俺だったのかなと思ったりもしたが、委員会の仕事という重大な役目に対し、適当に選ぶだろうかという疑問が浮上してきた。
そうなってくると、誰かの推薦とかにもなってくるだろうが……実際に俺はそこまで優れているわけでもないし、クラスには他にもめちゃくちゃ優れたやつはいる。
「君の妹だよ。君の妹が直々に私へ推薦してきたのだよ」
「優樹菜が、ですか……」
「そうだ。話を聞くにはどうやら君は委員会の仕事に興味を持っていたそうだな?」
「いや、興味とかはまったくですけど……?」
「そうなのか? でも、私が聞いた内容はそういったものだったけどな」
そう言われ、俺はしばし考える。
委員会に興味がある的なことを優樹菜に話しただろうか………………あ。
もしかしたら、あの時かもしれない。リスと明久を図書館で巡り合わせるあの作戦当日の下校時。俺は優樹菜が文化委員会の委員長になったことを明かされ、これから忙しくなるかもしれないという話を聞かされた。その時にできることがあれば、遠慮なく俺を頼って欲しいみたいなことを口走っていたような気がするけど……違う! 優樹菜そういう意味じゃないんだ! あくまで委員会全体の仕事を手伝うんじゃなくて、優樹菜に振り分けられた仕事の一部を手伝うという意味で言ったんだ!
たぶん……というか、ほぼ百パーセントの確率でこの部分の誤解が今に至っているわけなんだろう。
俺は深いため息を漏らす。
「ダメ元で聞いてもいいですか?」
「ん?」
「委員会の仕事を――」
「ダメだ」
「ですよねー」
辞退してもいいですかと最後まで言うことなく、即却下された。
内村先生の目には「もし途中放棄などでもしたら、マジで殺す」と語っている。
「もう話は済んだか? 君のせいで五限目がもうすぐで終わってしまうじゃないか。六限目はサボった分を取り返すつもりで頑張ってくれよ? じゃあ、戻るぞ」
そう言うと、内村先生は先に行ってしまった。
――サボった分ね……。
別にサボったつもりはないにしろ……今頃俺のデスク横にはどれだけの資料が山積みにされているのだろうか。
想像しただけでも一気にやる気が失せ、全てを放り出して帰りたくなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます