第31話 何気ない幸せ
あれから約三週間が経過した。
自宅の窓から外を眺めると、相変わらずの入道雲が広がり、朝だというのにもうすでに気温は高い。
連日の猛暑日で夏バテになりかけながらも、冷房が効いたリビングのソファーでくつろいでいると、二階の方から騒がしい声が聞こえてきた。
俺はなんだと気になり、リビング出入り口から覗き込むように顔だけを出す。
すると、階段を駆け足で降りてくる親父の姿があった。
頭には先日負った怪我による包帯にスーツで身を包んでいる。
そういえば、あの後優樹菜の実父は捕まった。まぁ、当たり前だよな。
一方で親父は、市内一大きい病院に搬送された。
搬送中こそ意識はなかったが、病院に到着したとほぼ同時に目を覚ます。
その時に第一声が「おはよう」だったからつい吹き出しそうになってしまったが、とりあえずはホッとした。
怪我の程度はレントゲンなどの診察の結果、頭蓋骨にヒビこそ入り、傷も深かったが、命に別状はないらしい。
念のために脳波もとったが正常。その日に自宅安静という形になり、親父は「石頭でよかった」とかのんきなことを言ってたけな。
そんなことを思い返しながらも俺は今にでも家を出ようとする親父を止めにかかる。
「どこに行くつもりなんだよ」
少し遅れて後を追ってきた母さんと優樹菜が二階から降りてきた。
親父は腰を下ろすと、革靴を履く。
「どこって会社しかないだろ?」
「いやいや、大怪我したんだから完治するまでは安静にしてろよ」
「大丈夫だ。心配するな。私は強い」
「何言ってんだよ……」
俺は呆れながらも床に置かれていた会社カバンを取り上げる。
「ちょ、何をするんだ!? それを私に返しなさい!」
「返すわけないだろ。一か月経過するまでは絶対安静だ!」
そう言うと、親父は悔しそうな表情を浮かべる。
「くっ……な、なら家計は誰が支えるんだ? 私が休んでいる間はその分お金は入ってこないんだぞ?」
「パパ、それなら問題ないんじゃないですか? 私だって普通に働いてますし、そもそも有給休暇を一週間程度取ったはずでしょ?」
「し、しかしだな、有給休暇は昨日でおわったんだぞ?」
「大丈夫よ。一ヶ月と言ってもあと一週間くらいだから」
親父は母さんに説得され、しばらくの間思案顔になる。
「わかった……。家族に心配はかけられないもんな」
「そうよ。そうと決まったら部屋着に着替えたらどう? 私は今から仕事に行くから優樹菜、歩夢くん。パパの面倒をよろしくね」
母さんはそう言うと、スーツに着替えるため再び二階へと戻って行った。
親父は革靴を脱いでいる。
そんな親父の背中を見つめながら、今まで聞けなかったことがなぜか自然と口から漏れる。
「そういや……なんで親父はあのとき俺をかばうことができたんだ?」
俺はあのとき殴られることを覚悟していた。
下手をすれば死に至るレベル。
なのに実際に殴られたのは親父だ。俺をかばう形で。
親父は手を止めると、どのくらいか沈黙が流れる。
「悪い。あのときお前たちのことが心配で迎えに行ってたんだよ。その時にお前と優樹菜ちゃんの実の父親が言い争っているところを見てしまってね。とっさに割って入るべきだったんだろうが、少しお前の成長に感動していてな……。自分より二周り以上離れたいかつい大人にあそこまで言えるようになったとは……と、思うとその後を見てみたいって思ってしまったんだよ。まぁ、その結果がこのざまなんだけどな」
親父は苦笑しながらも立ち上がる。
親父の背中は本当にいつ見ても立派で大きくて、たくましい。
俺もいつか親父みたいになれるのだろうか……ふと、そう思ってしまった。
「ごめんな。早く助けに行ってやれなくて」
「何言ってんだよ……。俺の方が悪いよ……」
俺はつい下を俯いてしまう。
――俺のせいで親父はこんな目にあってしまったんだ。俺がもっと他の手段をとっていれば……。
「何落ち込んでんだよ」
「っ……?!」
頭の上に大きな掌がポンと乗せられた。
「歩夢は何も悪くないだろ? これは親である私の責任だ。むしろ私が謝りたい。親同士の争いに巻き込んでしまってすまなかったな。本当にすまん……」
親父の言葉が胸の奥にじわぁ〜と広がっていく感覚がした。
気がつけば、目には涙が溜まっている。
――俺……泣いてるのか?
涙を流したのはいつぶりだろうか……。
そんなことを思っていると、親父が続けざまにこう言う。
「それに、あの時ほとんど聞かせてもらった。大事な妹をなんちゃらかんちゃらって言ってたか? お前シスコンだな」
親父は俺をバカにしたような笑い方をする。
「う、うるせぇ!」
せっかくいい雰囲気になっていたのに……俺の涙を返せ!
親父は階段の近くにいた優樹菜を手招きで呼び寄せる。
「まぁ、そう言われた優樹菜ちゃんもまんざらではなかったようだけどね」
そうからかわれるような感じで言われ、優樹菜の顔が急激に赤くなる。
親父は俺の頭から手を退かすと、俺と優樹菜をくっつけ、
「あんなの見せられたら反対する気も無くなってしまった。お前たちがどれだけ本気なのかっていうのもわかったし、それより優樹菜ちゃんの前であんなかっこいいことをされれば、優樹菜ちゃん自身もう離れたくないんじゃないかな?」
親父は優樹菜に視線を向ける。
視線を向けられた優樹菜はさらに赤くなり、顔を隠すように俯いてしまっている。
「パパの……バカ……」
「お? 初めて優樹菜ちゃんからパパ呼ばわりされたなぁ〜。非常に嬉しいが、バカはないだろ」
親父はケラケラと笑う。
「とりあえず私とママはお前たちの関係を認めてやる。が、節度を持った付き合いにしろよ?」
「節度って例えばどんな……?」
「学生らしい付き合いだよ。手を繋いだり、ハグや……多めに見て、キスはいいとしよう。だがな、それ以上のことはダメだ。特にセックスはな」
俺は思わずむせてしまった。
一方で優樹菜は、俺の腹をつまんでいる。
――痛い痛い! てか、なんでつまむんだよ?!
「自分の子どもの前で堂々と言うなよ……」
せめて何かしらのオブラートに包んで!
俺は呆れ口調でそう言うと、親父は不思議そうな表情を浮かべる。
「別に恥ずかしいことではないだろ。お前たちも高校生なんだから学校の保健体育でこれくらいの単語は聞いていると思うんだが?」
「た、たしかに聞いてはいるけど問題はそこじゃねーよ」
俺はため息をつく。
でも、なんかこういうところが親父らしいなと思い、どこか安心感を覚えている。
「まぁ、今後ともお前たちの仲は応援してやるから、できればそのまま結婚してくれよ? で、なければ私のこの大怪我が報われないからな」
どこまでも優しい親父。
物心がつく前に実母を亡くし、母親の愛情というものを知らずに育ってきた。
だが、その分親父からの愛情だけはどの家庭よりも強いと思う。
危うく唯一の血の繋がった家族とも言える親父まで亡くすところだったとはいえ、幸運にも今こうしていられることに感謝しかない。
やはり神様というのは存在するのだろうか?
架空の人物とはいえ、神様というのは個々それぞれの心の中にいるのではないだろうか?
そう思いながらも、俺は隣にいる優樹菜の腹つまみに耐えていた。
――だからなんで俺ばかり攻撃すんだよ!?
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