縫子が進んでいる【五番通り】一番の大通りの周囲には、縫子の部屋があったマンションと同じような、雲にさえ触れそうなほどの高層のマンションが建ち並び、その裏手やらには富豪たちの別荘や屋敷といった、広大な土地を持つ家々が軒を連ね、【五番通り】のほとんどをそれらが担っている。


 商店などは一切排され、道行く人はほとんど居なかった。金を持っている奴は、健康志向などとうそぶき散歩の一つや二つでもするものだと思っていたが、縫子がここにうつり住んでからというもの、そんなのもたまに見かける程度のもので、普段は閑散かんさんとした、どこか穏やかな雰囲気が漂っている。


 表の世界、いや、裏の世界とは大違いだ、と縫子はいつも思った。


 ここは技術の粋を施された電子的なセキュリティと、に守られている。それぞれのマンションの前には屈強なガードマンが弁慶のように直立不動で立っているし、あちこちにカメラと防衛機構が隠れている(道行く婦人を襲ったりしようものなら、何処かからレーザーやら銃弾やら飛んできてハチの巣になるらしい、と噂だった。実際に見たことはない)。こうした長閑な皮を被ってはいるものの、持つ者が持つ者のために技術をふんだんに取り入れた、いわば要塞のような裏の顔を持つのが【五番通り】の本質だった。もちろん、かくいう縫子もそれに守護されてきたというわけだ。


 とはいえ、今日からはそうもいかなくなった。


 などと思っていると、急な勾配の下り坂の先から巨大な壁の一端が見えた。


 旧時代にあったとされるベルリンの壁を、より品よく、更に大きく作ったような壁にはミサイルを発射する装置があるらしいと聞いたが、実際のところは分からない。仮にミサイルを放つことが出来たとして、何に向けて撃つつもりなのか、こんな住宅街の真ん中でそんなものを放って大丈夫なのか、それはただの女の縫子には分からないことだったが、とにかくこの【五番通り】にはそうした尾ひれがついたような謎が多く、その全貌は、そこに住んでいる縫子にすら知られていないほどの、情報隠匿ぶりだった。


 何かはある。何かはあるのだろうけど、何があるのかは分からなかった。縫子としては、何やらきな臭い雰囲気が感じ取れないでもなかったが、まあ、もう関係はなくなるから、考えても栓のないことだ、と、青い空を見上げながら、坂をゆっくりと下った。


 坂の麓を少し行った先には、壁と繋がった門が構えており、そこにはやはり屈強そうな警備員が立っている。

 彼はマイクと言った。亜米利加国から渡って来た黒人の男性で、は相当な大きさだった。正直、あそこ意外に印象はなく、影と同化しているのかと思う程の肌の黒さから、顔のパーツを判別することすら億劫で、縫子はあそこの大きさでマイクを判断していた。


「よう。マイク。元気にやってるかい」

 片手をひらひらやりながら縫子が言った。


「オウ。上々だぜ、ヌーコ。一発ヌイてくれねえカ」


「どいつもこいつも昼間っから盛りやがって。それしか頭にねえってのか」


「ナンダヨ。どうしたってんだ。ヌーコ、お前昼間からセックスするのが好きだってこの前言ってたダロ」


「ああ。そうだな、そうかもしれねえ。ただ、一つ忘れてるぜ。機嫌の悪い時にするセックスほど胸糞悪いもんもねえんだよ、ああ、わかるだろ、そういうこった。あたしがてめえのを握りつぶす前に仕事に励め、この包茎」


「わかった、わかったよ。ワルカッタヨ」

 マイクは縫子の所持品などをチェックしていく。


 本当は銃やら何やらはこの【五番通り】に持ち込むことは出来なかったが、肌を合わせたよしみで見逃して貰っていた。男は皆そうだった。一度やらせてやれば、皆が縫子に従順になった。


 そんなもんなんだと思ってから二年が経っている。

 このマイクともそれに近い付き合いの長さだ。縫子が怒ると怖いという事は、誰よりも知っていた。触らぬ神に祟りなしというふうに、テキパキと義務的な仕事を遂行し、裏に居る同業者に開門の指示を仰ぐ。黒々とした鉄の扉は軋むような叫び声をあげると、ゆっくりと外の世界に向けて、そのかいなを伸ばしていく。


「ソウイエバ、今日は家を出る日カ」

 たどたどしい口調のマイクは、思いだしたように言った。

「だからムシのイドコロが悪いんだナ、ハハ、そういうことカ」


「ああ、そういうこった。ご機嫌なお嬢様生活もおさらばってわけさ」


「ハハハ、良いじゃねえカ、テメエが優雅に紅茶をタシナむタマでもねえ、ってことはその辺のネコチャンだって知ってル。テキーラ何杯もヘイキで飲み干すヌーコには、こっち側の生活がお似合いだったぜ。ソウダロ?」


「まったくだ、ああまったくだ。その通りだぜマイク。あたいは天下の縫子サマだ、あんな品がクセえような部屋におさまってる女じゃあねえのさ。せいせいするってな、これからは好き放題生きてくぜ」


「アア。また飲もう」


 縫子は手を振るマイクを一瞥して、門を潜り抜ける。

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