*12* 仮面の下には何がある?
「あー……やはり今夜の装いにはこちらの仮面だな」
「そうね。ベルベット地の黒猫は一見地味だけれど、見方を変えればどんなドレスの色味でも浮かないもの」
今夜の装いは色々と着てみた結果、結局一番最初のものがしっくりくるということで、深緑とクリーム色のあのドレスだ。大きく開いた胸元には肌の露出すら隠れるような、琥珀色のトパーズと深緑色のエメラルドを細かい金鎖で繋ぎ合わせた首飾りが輝いている。
肘まである長い手袋は黒一色と地味だけれど、光が当たると滑るように不思議な艶を見せる絹で作られ、これだけでもそれなりの宝石並の価値があるというのだから驚きだわ。
耳には首飾りと揃いで造られた動きに合わせて揺れる耳飾りをつけ、髪は緩めに上げてシンプルに纏める。そうすることで、後ろから見られても首飾りの留め金にまで施された細工を見てもらえるからだ。
今選んでいるのはそれに合わせるためにノイマン様が用意された黒猫の仮面と、もう一方の候補に上がっていた仮面を見比べてのことだったのだけれど――。
「ええ~……わたしは断然こちらの紫のベルベット地に、黒のレースで縁取りがされている蝶々が良いですわぁ。せっかくお嬢様の孤高な美しさが滲み出して神秘的ですのに……」
私達が選んだ方とは別のやや華やかな仮面を推していたアデラは、不満気に頬を膨らませてそう言った。そんな風に言われると、身内の欲目と分かっていてもこそばゆい。
すぐにでも意見を翻して彼女の選んでくれた仮面に手を伸ばそうとしたのに、それを察知したノイマン様にがっちりと手首を掴まれて「心配するなアデラ。モチーフに拘らずとも、ご自慢のお嬢様が身に着ければ大抵は神秘的な美しさになるだろうさ」との言葉と共に、仮面を遠ざけられてしまった。
手を振り解こうともがく私の方など見向きもせずに、むくれたアデラへと向き直るその横顔が憎らしい。
そんな私の視線を受け止めて頷き返してくれたアデラは「ノイマン様、適当に丸め込もうとしないで下さいまし。それと、何をどさくさに紛れてお嬢様に触れているんです?」と
あっさりと解放されたことに感心して「爪を立てれば良かったのね……」と呟けば、彼はいつものようにニヤリと「ほらな。やっぱり猫の方が似合う」と悪びれずに笑ったわ。
***
――……そんな暢気なやり取りをしてから四時間後。
現在私達は煌びやかなホールに案内され、周囲にいるのは上位貴族とその奥方や愛人、彼等が馴染みにしている一定以上の域に達した商人達ばかりで。
会場内にいる仮面をつけている女性は全て私と同じ、商談のために連れてこられたトルソーだ。
衣装も装飾品もその商家によって千差万別で、やりすぎな感のある華美なものもあれば、もう少し飾りたてても良いような上品なものもあり。目を見張る艶やかなものもあれば、若干古き良き時代を思わせる粋なものまで。
シャンデリアの明かりが照らし出す会場内ではすでに商談が始められ、男性陣は談笑しながら、女性陣はトルソー代わりの女性達に声をかけ、身に着けている品物を見せるようせがんだり、身体にあてがったりしている。
「どんなものかと思っていたけれど、結構賑わっているのね?」
猫達から聞いた話ではもっと爛れた催しかと思って身構えていたので、意外と健全そうな商談会で拍子抜けして隣に並ぶ相手にそう問えば、彼は「ああ、まったくだ。正直あまり期待してはいなかったんだが、ここまで有名どころが集まっているとは嬉しい誤算だな」と答えてくれる。
ただそんな短い受け答えだけでも、ここに来られたことに野心家な彼がウズウズしているのが伝わってきて。視線を彷徨わせている様は、まるで大きな身体をした少年のようだと感じてしまう。
実際に一緒に会場内を見て回る間や、時々どこかの奥様方に呼び止められて商品の説明をしたりする時、お抱え職人の腕を褒められて謙遜する彼は楽しそうで。最初に出逢った夜には決して感じ得なかった一面に気付くことは、これからの私達の関係性を円滑にさせてくれるかもしれない。
そんな下心もあってご新規開拓に挑む彼をこっそり見上げていたら、ご婦人と話し終えた彼が真っ直ぐにこちらを見下ろしてきた。ただでさえ身長差がある上に、彫りが深い顔立ちと意志の強そうな赤茶色の瞳に見下ろされるのは、見慣れ始めていても少し怖い。
思わず「どこか気になるところがあるのかしら?」と顎を反らして虚勢を張ると、ノイマン様はそれまで射抜くようだった視線を弱めてフッと笑った。
「いいや? やっぱりその仮面にしておいて正解だったと自画自賛しているところだ。黒猫の瞳の色と首飾りが揃いに見えて、ただ立っているだけでも一揃えの美術品のようだと思ってね」
「まぁ、お上手ですこと。でも残念ながら没落子爵の娘に世辞を言ったところで、到底これらを購入なんてできませんわよ?」
「疑ってくれるな、本心だ。商人は平気で嘘もつくし、似合っていなかろうが買わせるためなら世辞も言う。だが“これは”と思った本物を見た時には、素直に賞賛するものだ」
不意打ちのような褒め言葉にこちらがいくら可愛気のない返しをしても、それを難なくいなしてしまうこの人をやはり食えない商人だと感じ……そこでふと、そういえばまだ彼の年齢を聞いたことがなかったことを思い出す。
思えば最初の出逢い方が悪すぎて名前と職業以外はほとんど知らない。
家族構成についても前回会った七歳の弟以外には、両親がいること。行動を共にする理由も商会をもっと大きくしたいという野心と、私と同じように打算的な婚約者探しをしているだけだ。
今更な事実に気付いて一人驚いていると、彼は「すまん、あちらに知り合いを見つけた。すぐに戻るから少しだけ壁際で待っていてくれ」と言い残して、比較的若い商人達の集まっている輪に加わりに行ってしまった。
残された私は報酬以上の無駄な働きをしたくないので、誰かから説明を求められる前に早々に壁際に退散しようとしたのだけれど――……。
突然後ろから「失礼、お嬢さん。君の身に着けている宝飾品を見てみたいのだが、構わないかね?」と声をかけられて振り返った。
だけど振り返った先にいた商人風の小太りな男性は、首飾りに興味があるような素振りを見せながら、商品ではなく私を値踏みするような不躾な視線を浴びせてくる。挙げ句、呆れたことに「今夜君を雇っている店は、君にいくら払っているんだい?」と、全く商品に関係のない話を振ってきたのだ。
おまけに相手はこちらが心底呆れていることにも気付かないのか、黙っている私に「あちらの紳士が倍の金額を払うと言っているんだが、どうかね?」と、含みのある言い方をして手を取ろうとしてきたその時。
「生憎だが、彼女はうちの
背後からかけられた冷たい声に振り向く暇もなく、グイッと力強く腰を抱き寄せられた。自分よりも高い位置にある彼の腰に押し当てられ、隙間なく抱き寄せられたことで、知らず強ばっていた身体が弛緩するのが分かった。
男性が「成り上がりの若造が」と舌打ちをして立ち去ると、ピリピリとした気配放っていたノイマン様が「一人にして悪かった」と呟く。その声に滲んだ自責の色に気付かないフリをして「別に何ともないわ」と返せば、すぐに「らしくもない下手な嘘だな」と、小刻みに震えていた指先を握り込まれた。
「こういう怪しい展示会だとああいう輩は一定数いる。宝飾品を展示しているように見せかけて、馴染みの娼館と連んで斡旋をしているようなクズも。あんな商人の末端共は
すぐさまあの場を後にして屋敷の庭園に出たのに、余程腹に据えかねているのか彼にしては珍しく、その見た目に少しも似合っていない“貴女”呼びを忘れている。
でもきっと本来の話し方はこちらの乱暴な物言いであることは、今までの付き合いで分かっていた。分かっていたけれど敢えて指摘しなかったのは、彼が貴族であろうと振る舞うから。その矜持を尊いものだと感じたのだわ。
憤りの見える横顔には彼が持つ粗野な気配が潜んでいるものの、恐ろしさは感じない。おかしなものだけれど、こんなことがあって初めて彼が不器用なりにこちらを気遣っていたのだと分かる。
だからこそ「貴男は彼等とは全然違うから良いのよ」と答えたのに、庭園内を先導するように手を引く彼は自嘲気味に「はっ、どこがだ。新しい商談の場が欲しくて、危険があるとどこかで気付いていたはずなのに、
「馬鹿を言わないで。全然違うわ。少なくとも女性を商品に数えない、お抱えの職人の作品で勝負しようとする貴男は本物の商人だもの。あんな
どこへ向かっているのか分からない彼を立ち止まらせ、その手を引いて振り向かせてから今の胸の内を素直に吐き出す。そんな私を見下ろす彼の表情は険しくて、気圧されそうになる気持ちを奮い立たせて睨みつける。
黒猫の仮面で少しだけ見上げにくいけれど、この際眼差しさえ届けば我儘は言わない。だけど彼はそんな私の反応を見て意外そうに瞬きを数度繰り返し、ぎこちなく唇の端を持ち上げると「没落子爵のご令嬢にしておくには、惜しいほど人たらしの才能があるな貴女・・は」と溜息をついた。
言葉の意味をはかりかねて首を傾げた私に彼は呆れたように首を横に振って、今度はさっきよりも大きな溜息を一つ。
「自覚がないのが尚更良い。上等だ
そう言って私の顔から仮面を取り上げて指先に口付けを落とし、まるで愛でも乞うように。一世きりの寿命のある悪魔は、転生体質の私に向かい「成り上がり新米貴族で一流の商人の俺が、必ず一流どころに売りつけてやる」と。ニヤリと自信ありげに微笑んだ。
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