第33話 悪魔の血

 学校からの帰り道、呼ばれたような気がして立ち止まった。いや、気のせいだったか。そう思ってまた歩き出した。だが、今度はもう少し近くから、

「空也。」

と呼ばれた。ハッとして振り返る。そこに、中年の男性が立っていた。そう、空也と呼ぶのはあの人しかいない。俺の、本当の父親。

「空也だろ?俺が分かるか?父さんだよ。」

父親は近寄ってきた。俺はとっさに後ずさる。父親は、刑務所にいたはずだ。出所したという事か。母さんが言っていた。俺が父親に見つからないように、名前を変えたのだと。俺はぞっとした。母親と妹を殺した男。とうとう俺の事を見つけたということか。

「あの、人違いです。」

俺はそう言って、走って帰った。


 だが、次の日も、学校帰りに父親が待ち伏せをしていた。今日は部活があったので、昨日よりもだいぶ待ったのだろう。

「空也、頼む。話を聞いてくれ。」

拝むように言われて、仕方なく立ち止まる。

「なんですか?」

俺が言うと、

「空也、父さんが悪かった。ずっと後悔してきたし、反省もした。俺にはもう、何も残っていない。お前しか、残っていないんだ。戻ってきてくれ。また一緒に暮らしてくれ。」

父親は俺の肩に手をかけて、頭を下げる。なんと言ったらいいのか分からず、困っていると、

「おい、おっさん!何してんだよ!」

海斗が通りかかって、俺の父親の手を振り払った。

「君は?友達かい?」

父親が言うと、

「俺はこいつの兄貴だ。文句あんのか?」

と、海斗がすごんだ。

「兄?じゃあ、空也は君のところに住んでいるのか?」

父親がそう言うと、海斗はハッとしたようだった。空也という名を聞いて、分かったのだろう。俺の父親だという事が。

「こいつは空也じゃないよ。」

海斗はそう言うと、俺の事を引っ張って歩き出した。父親は追っては来なかった。


 家に帰ると、海斗が母さんに俺の父親の事を話した。

「学校が知られたとなると、家を知られるのも時間の問題かもしれないわね。」

母さんが言った。

「警察に話した方がいいんじゃないか?」

海斗が言うが、

「いや、それは・・・。そこまでしなくても。俺ももう子供じゃないんだし、危険なわけでもないし。」

俺がそう言って、とりあえず様子を見ることになった。


 次の日には現れなかった父親だが、数日後にはまた帰りに待ち伏せされた。数日おきにやってきて、

「空也、一緒に暮らそう。戻ってきてくれ。俺にはお前しかいないんだ。」

などと言う。ちょっとだけ可哀そうになる。家族がいないのは、自分が殺したせいなのだから自業自得もいいところだが、それでも、こんな哀れな姿を見たら、少し心が動かされる。とはいえ、俺はもう城崎家の養子になっている。今更あの家を出るなんてことは考えられない。俺はどう言えばいいのか分からず、いつも黙って父親から逃げて来るのだった。


 寝る前には、必ず海斗が俺の部屋に来て、数分の間共に過ごす。今日も待ちきれなくて、ドアの前で立っていると、そうっとドアが開いて、海斗が入って来た。海斗がドアを閉めるのを待って、俺は海斗に抱き着いた。

「お待たせ。」

優しくそう言って、海斗が俺にキスをする。すると、

「海斗、ユニフォーム洗濯に出し・・・」

いきなり母さんがドアを開けたのだ。俺たちはギクリとして硬直した。母さんはそれこそびっくりして声も出ない様子だった。

「母さん、あの。」

海斗がそう言うか言わないかの内に、母さんの声が出た。

「二人とも、ちょっと来なさい。早く。」

そう言って、先に立って階段を下りて行った。俺たちは大人しく従った。

 母さんは普段、俺の部屋に入る時には必ずノックをする。けれども今、母さんは海斗に急ぎの用があって、海斗の部屋へ向かっていたら、階段の下から俺の部屋に入る海斗が見えたので、追いかけて来たのだ。母さんはルームシューズを履いていて、足音がしない。海斗が俺の部屋に入ってすぐだったから、ノックをせずにドアを開けたのだ。無理もない。まさか二人でいる時に、見られて困るような事をしているなどとは、夢にも思わなかっただろうから。

 母さんが父さんを呼び、リビングに集合した。四人とも立ったままだ。

「ごめんなさい!」

俺はとっさに父さんと母さんに謝った。

「岳斗が謝ることじゃないよ。」

海斗がそう言ったが、俺は首を横に振った。

「俺が、この家に来たからいけないんだ。ここまで育ててもらったのに、恩を仇で返すような事をしてしまって、本当にごめんなさい!」

俺は頭を深々と下げた。

「違うのよ、あなたのせいじゃないわ。」

母さんが俺の体を起こした。父さんは腕組みをして下を向いている。

「海斗の気持ちはずっと前から分かっていたけど、片想いで終わると思っていたのよね。岳斗の気持ちが変化してきた事にも気づいていたけど、既にそういう仲になっているとは知らなかったわ。」

「父さん、母さん、俺は岳斗の事を一生大事にするから、俺たちの事認めてください。」

今度は海斗が深々と頭を下げた。

「海斗・・・。」

父さんが口を開いた。

「父さんも母さんも、前から考えていた。将来的には、二人の仲を認めようとな。だが、今はまだ早い。」

「え?」

海斗が顔を上げた。

「そう、まだ早いのよ。二人がこうなった以上、もうちょっと大人になるまでは、一緒に暮らすわけには行かないわ。」

母さんが毅然として言った。ハンマーで叩かれたような衝撃を感じた。

「ちょ、ちょっと、何言ってんだよ。まさか・・・俺か岳斗にこの家から出ろって言うのか?」

海斗が言ったので、俺はすぐに言葉を継いだ。

「俺がこの家を出て行くよ。俺は、海斗の弟としてこの家にいたんだ。弟ではなくなったのなら、この家にはいちゃいけないんだ。」

「だけど、お前。」

海斗が言いかけたが、俺は更に言葉を紡いだ。

「俺の本当の父親が、一緒に暮らそうって言ってるから。俺はあの人と暮らすよ。」

すると、父さんと母さんが顔を上げた。

「いや、そんな事はさせられない。お前は俺たちの子になったんだから。」

父さんが言った。

「そうよ。岳斗だけをここから追い出すなんて、そんな事しないわ。私かお父さんがこの家を出て、あなたたちのどちらかと別の場所で暮らせばいいのよ。」

母さんも言ってくれた。

「そんな事、だめだよ。元々三人家族なんだから。俺だけの為に、家族がバラバラになるなんて、だめだよ。絶対に。大丈夫、俺の父親はもう反省していて、暴力を振るうとは思えないし。」

俺が言うと、海斗が全力で否定した。

「バカ、何言ってんだよ。あの男は、お前の母さんや妹を殺した悪魔だぞ。そんなやつとお前を一緒になんてさせられないよ。」

「でも海斗、その悪魔と俺は、血がつながってるんだ。」

血を分けた、たった一人の親。海斗は俺の言葉を聞いて、あっと口を開けた。そして、

「・・・ごめん。」

と言った。

 結局、俺は悪魔のような父親と、一緒に暮らすことになった。この間連絡先の書かれた紙を押し付けられて持っていたので、父さんがそこに電話をし、すぐに俺が引っ越すという事で話はまとまった。

「ねえ、頼むよ。しばらく俺たちの一人部屋は要らないからさ、俺が父さんと一緒に寝るから、せめてこの家で岳斗も一緒に暮らせるようにしてくれよ。」

海斗は、いつまでも子供のように駄々をこねていた。だが、俺は淡々と荷物をまとめた。

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