ヤンデレ至上主義の悪役令嬢はハッピーヤンデレカップルを慈しみたい!

染井由乃

序章 悪役令嬢はスノードロップを始末したい

狂愛のスノードロップ

 思い出しました。


 ここ、前世でプレイしていたゲームの中の世界です。



◆ ◆ ◆


 

 その瞬間は、16歳の誕生日に何の前触れもなく訪れた。


 きっかけは非常に単純。


 王国の名門公爵令嬢である私の誕生日を祝うために盛大に飾り付けられた会場の中、真っ白なテーブルクロスの上に乗っていた珍しい果物を口にした瞬間、異様な嫌悪感と共に前世のことを思い出したのだ。


 言うなればそれは、果物というよりも野菜に近い味。何とも言えない甘さと中途半端な柔らかい触感が、不快感を伴って口一杯に広がっていく。

 

 ……ああ、私、これ大嫌いだったわ。確か、カボチャ……南瓜と言ったはず。あんまり嫌いだから吐いたこともあったんだっけ。


 吐き気を飲み込むのに精一杯な16歳の私に、更に鋭い頭痛が襲い掛かる。誕生日だと言うのに散々だ。


 痛みと共に思い出していくのは、断片的な映像。どれもがおぼろげで、はっきりとしないものばかりだ。


 だが不思議と、それは前世の記憶のなのだと、私はさしたる躊躇もなく理解していた。自分自身がどんな人間だったのかも、どんな環境で暮らしていたのかもよく思い出せないけれど、確かに今、私はかつての私のことを思い出した。


 かつての私は、争いに怯えることも、明日の食事のために命を賭けることも無い、平和な国に暮らしていた、ごく平凡な少女だった。思い出せたことと言えば、本当にそれくらいだった。


 ただ一つだけ、はっきりしていることは、ここが「狂愛のスノードロップ」――ある恋愛シミュレーションゲームの世界に酷似していること言うことだけ。


「エレノア、どうした?」


 どこか冷たさを感じる視線で私を見下ろす銀髪の美青年もまた、「狂愛のスノードロップ」に出てきた攻略対象だ。


 銀髪と深い紺碧の瞳。怖いくらいに整った顔をまじまじと見つめ、思わずその名を呟く。


「……ルーク・ロイル」


 彼はそう、あらゆるルートで登場する悪役令嬢エレノア・ロイルの義兄。血縁上はエレノアの従兄に当たる人だ。


「……溺愛、監禁……」


 彼のルートは悲惨だった。彼のルートのヒロインは良くて監禁、悪くて刺殺、といういかにもヤンデレですね、というような結末を迎えたはずだ。


 そう、「狂愛のスノードロップ」の最大の特徴は、攻略対象者たちが全員いわゆるヤンデレであること。歪んだ愛を推すに押しまくったこの作品は、一部の層に絶大な支持を得ていたんだっけ。


「……エレノア?」


 訝し気な顔をして、珍しく私を心配そうに見下ろす義兄を他所に、だんだんと状況を理解し始めた私はにやりと口元に弧を描く。


 そうか、ここは、ヤンデレしかいない恋愛シミュレーションゲームの世界。


「……つまり、ヤンデレ×ヒロインを間近で見られるってこと?」


「エレノア?」


 お義兄様の表情に本格的に不安げな色が浮かんだが、やはり私は彼に構っている暇はなかった。


「ふふ……ふふふ……なんて最高なのかしらっ!!!!」


 思わずその場に飛び跳ねる勢いで両手を上げながら、きらきらと煌めくシャンデリアを見上げる。


「その果物が……そんなに気に入ったのか……?」


 見当違いな認識を深める義兄に目もくれず、私は感激のあまり両手で顔を覆いつくす。


 ツンデレも初々しいカップルもすべて尊いことに変わりはないけれど、やはり歪んだ愛ほど美しいものはない。それを、間近で見られるなんて!


「神様、仏様、製作者様……ありがとう、私をこの世界に産んでくれて……」


 敬虔な信者のように指を組み、誰ともなしに感謝の言葉を述べる。パーティーの主役である私の突然の豹変ぶりは目立つのか、周囲の人々の視線を感じたが、この瞬間ばかりはやはり構っていられなかった。


 ヤンデレ×ヒロイン。そんな尊いものを身近で見られる立場に生まれ変わったなんて!


「祝杯よ! お兄様!! ありったけのお酒を皆様にお出しして!!」


 甲高い笑い声と共にお義兄様に強請れば、周囲からおお、と騒めきが起こる。お義兄様はやっぱり引いたような目で私を見ていたが、主役の言葉には逆らえなかったのか、渋々使用人に指示を出し始めた。


 

◆ ◆ ◆



 前述のとおり、「狂愛のスノードロップ」は、ヤンデレ系の恋愛シミュレーションゲームである。


 攻略対象者が全員ヤンデレという時点で既に特徴的であるが、このゲームにはもう一つ特筆すべき点があった。


 「狂愛のスノードロップ」には、攻略対象者の数だけ、ヒロインもいる。要は誰を選ぶか、という楽しみ方ではなく、それぞれの攻略対象者についてどのようなルートを辿るか、という遊び方をするゲームだった。


 攻略対象者は5人。つまり、ヒロインも5人いるのだ。攻略対象者が王子様から魔術師まで様々な人物がいるように、ヒロインもまた、公爵令嬢からメイドまで、あらゆるタイプの女の子が揃っていた。


 攻略対象者を選んだら、少しでも良いルートを辿るために奮闘するわけだが、そもそもヤンデレが売りのゲームだ。バッドエンドは悲惨も悲惨。ハッピーエンドでも軟禁されるなど、一般的な基準で言えば、メリーバッドエンドと言えなくもない終わり方をする。


 その分岐点のキーアイテムとなるのが、「スノードロップ」だ。これを攻略対象者から贈られた場合、物語はバッドエンドへと突き進み、十中八九ヒロインは死ぬ。スノードロップの花言葉と掛けたギミックだった。


 私は部屋に飾られたスノードロップを一輪手に取り、まじまじとその可憐な形を観察した。この王国ハルスウェルの国花でもあるスノードロップは、当たり前に飾られていることも多い。


「こんなに綺麗な花なのに、ね……」


 スノードロップはそれ自体は、「希望」や「慰め」と言った穏やかな意味を持つらしいのだが、これを人に贈ると「あなたの死を希望します」という意味になるという。


 そういうわけで、攻略対象者からスノードロップを贈られたヒロインは、死ぬ定めにあるらしい。いくらヤンデレ好きな私でも、プレイしているうちにすっかり感情移入していたヒロインが、攻略対象者からスノードロップを渡された瞬間には、血の気が引いたものだ。


「嫌なこと思い出しちゃったわ……」


 ヒロインの悲惨な末路を脳内から追い出すように、はあ、と溜息をつけば、鏡に映った私の藍色の髪が一房、肩を滑り落ちた。パーティーを抜け出した直後であるせいか、どうにも疲れた顔をしているが、絶世の美少女であることに違いはなかった。


 前世の常識で言えばあり得ない、癖のない藍色の髪と菫色に近い薄い紫の瞳。くりくりとした目は愛らしいが、見ようによっては気が強そうにも見えるかもしれない。


「まさに、エレノア・ロイルの姿ね……」


 溜息を繰り返して、そっと鏡に触れれば、冷たい感触が指先を伝った。鏡に映ったエレノアの——私の瞳は、どこか神妙な表情を帯びている。


 エレノア・ロイル。彼女はどのルートにも登場する、いわば悪役の令嬢だった。単に悪役令嬢と呼ばれることの方が多いキャラだったように思う。


 エレノアは、とんでもなく我儘で高飛車な令嬢として描かれていた。悪役の名にふさわしく、ヒロインに対してそれなりに悪さをし、攻略対象者たちの病みを深めるのに一役買う。が、そもそも攻略対象者たちの眼中にはヒロインしかいないので、はっきり言って脇役と言ってもいいくらいの存在だった。


 脇役だからこそというべきかもしれないが、エレノアの命は非常に軽い。たった一、二行の説明の間に殺されていることなんてざらだった。そのほとんどが、攻略対象者たちの病みを際立たせるために用いられ、中にはよくここまでの殺し方をして年齢制限が付かなかったな、と流石の私も引かざるを得ない死に方をしている場合もあった。


 どうやら私は、その悪役令嬢エレノア・ロイルに生まれ変わってしまったようだ。


 だが、不思議と胸を占めるのは恐怖ではなく高揚感。私室の中で一人、にやつく口元を押さえることが出来ない。


「ふ、ふふ……私が『狂愛のスノードロップ』の世界に、ね」


 最高だ。思わず恍惚の混じった溜息をつきながら、令嬢らしくもなく背中からベッドに飛び込んで、両手で顔を覆う。


 婚約者の公爵令嬢が無口すぎるが故に拗らせた王子様のヤンデレ。


 実験材料である少女に恋をしてしまい、恋心を制御できなくなる魔術師のヤンデレ。


 男装して騎士として励む幼馴染の女騎士への想いが募るあまり、自棄を起こす騎士団長のヤンデレ。


 伯爵令嬢との身分差で、思い余って心中を図ろうとする執事のヤンデレ。


 メイドと恋に落ち、権力にものを言わせて想いを屈折させていく公爵令息のヤンデレ。


 ……それを、間近で見られるなんて!!!!


「なんて、なんて最高なのっ……!」


 想像するだけでうっとりする世界が今、私の目の前に広がっている。しかも私は悪役令嬢。彼らとの接点は、待っていても向こうからやってくるのだ。


 感動のあまり涙が出そうだった。ヤンデレ×美少女。これに勝る尊さがあるだろうか。


「いや、無いわね……」


 ヒロインに生まれ変わらなくて良かった。ヤンデレは、第三者目線で見るのが最も美味しいのだ。自分がヤンデレに愛されるとなると、それはまた話が変わってくる。ヤンデレが好きだからと言って、誰もがヤンデレに愛されたいわけではないのだ。


 こんな素晴らしい立場に生まれ変わった以上、最大限にその恩恵にあやからねば。彼らの尊い恋の行く末を、この目で、生で見守るのだ。


「それが終わるまでは死ねないわ……」


 5つのカップル全てが成立するのを見届けるまでは、死んでも死にきれない。亡霊やゾンビになってでも、絶対にこの目でカップル成立の瞬間を見守るのだ。

 

 にやつく口元を隠すことも無く、私はベッドの上に立ち上がると、誰ともなしにビシッと人差し指を指した。


「待っていなさい、ヤンデレ攻略対象者さん、可愛いかわいいヒロインちゃん!!」


 前世の記憶を持つ悪役令嬢エレノア・ロイルがいるからには、悲しいだけのバッドエンドにはさせない。尊い、と思えるような、歪んだ両思いを成立させて見せる。


 にやり、と一層口元を歪めて、手にしていたスノードロップを握りつぶした。


「さあ、見せて頂戴! 歪んだ愛の美しさを!!」


 この日、私は悪役令嬢エレノア・ロイルとして、5組の恋人たちの幸せを見届けることを心に誓ったのだった。

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