第15話「我が名は、」

 姉のような戦士に、ずっと憧れていた。

 自分の知る誰よりも優しく、誰よりも強く、皆から信頼される戦士。

 あんな強い戦士になりたいと、そう思っていたのに。

 なのに、


「なんで……ッ! なんで……ッ!」


 草むらの中で、リヴィア=ハーフェンは崩れるように倒れていた。

 泣きながら自分の足を殴りつけて、リヴィアは叫ぶ。


「どうして動かないのよッ‼ このままじゃ、お姉ちゃんも、里のみんなも……‼ 全部、全部……ッ‼」


 力の入らない自分の足が、小刻みに震えていた。

 姉の逃げろという言葉を聞いて走り出してから、異変はすぐに訪れた。

 最初は何かにつまずいたのかと思った。

 しかし、違った。

 足が、動かなくなった。

 何か罠にかかったのかとも考えたが、原因はもっと単純だ。


 怖くて、仕方がなかった。


 姉を失うことが、里の皆を失うことが、怖くて怖くて堪らなかった。

 恐怖が、リヴィアの足を掴んで離さなかった。

 姉を助けにいく勇気も、自分一人で里の皆を助ける覚悟も、本当はなかったのだ。

 心のどこかで、最後は姉がなんとかしてくれると思っていたのだ。

 だからこそ走れた。

 なのに、そんな姉を失ってしまう。

 大好きな姉が。エルフ族最強の戦士が。

 自分を逃がすために死んでしまう。


「……嫌、だ。お姉ちゃん……‼」


 失いたくないと、そう思った。

 姉の太陽のように皆を明るく照らすあの笑顔が また見たいと、そう思った。

 助けに行きたいと、そう思った。

 引き返して姉を助けよう。

 リヴィアは後ろを向いた。

 しかし、足は未だに動かない。


「足が動かなくても、腕とスキルがあれば」


 自分の足に風をまとわせ加速するスキル。 

 それを使えば足が動かなくても出力の方向を変えるだけで進めるはずだ。


「【疾風ゲイル】……‼」


 ボン、と足元で風が破裂する音とともに、体が前へと飛んだ。

 うつぶせのまま前へと飛んだため、まともに着地できずに腹や顔を地面に打ちつけ、そのまま数回転してようやく止まった。

 まだ、姉のいる場所には届かない。


「もう、一回」


 同じように顔をぶつけ、今度は危うく舌を噛みそうになった。

 だが、まだ足以外はしっかりと動く。

 姉のいる場所まであと少しだ。

 リヴィアは這うように腕で地面を掴みながら進んでいく。

 草をかき分け、ようやくエリヴィアのいた場所までたどり着いた。

 きっと姉のことだ。絶体絶命でもどうにか切り抜けて敵を倒しているはずだ。

 様子を見ようと、リヴィアは草むらの中から目を凝らした。


 血まみれで倒れている姉が、そこにはいた。


 何年も使い続けていた剣は無残に折れ、美しい長髪を留めていた髪留めは外れ、緑の髪には鮮血が伝っていた。

 そしてそれをすぐ近くで見下ろすのは、長く太い、血のついた棒を手にした小柄の男。

 どこか悲しげな様子で、男はエリヴィアを見下ろしていた。


「なんだか、こうなってくると挑発に乗って素直に怒っちまった自分が情けなくなってきますぜ。ただ、足止めとしては満点でしたが」


 振り返り、男は里の方向へと歩こうと足を踏み出して、


「い……な…………」


 血に染まった右腕が、小柄の男の足を掴んでいた。


「行かせ、ない……‼」


 死に体のエリヴィアの瞳には、未だに炎のように燃える何かが宿っていた。

 不快そうに足を振ってエリヴィアの腕をほどくと、男は呆れた顔でため息を吐いた。


「どうして、そうも死に急ぐんですかい。せっかくあんたを見逃してやろうとしてたのに、これじゃあ後味がもっと悪くなる」


 小柄の男は顔を横に振った。


「そもそも、あんたが足止めってのが分からないですぜ。あんたが逃がしたあの小娘に比べたら、あんたの方がよっぽど強い。あの娘を足止めに使うべきだったんじゃないですかい?」


「あなたが分かる必要なんて、ない」


 折れた剣を掴み、それを支えにしてエリヴィアは立ち上がる。血が流れ、足元はふらつき、視線は一点を見つめていない。

 それでも、心だけは、鋭く敵へと向いていた。


「これは私の決断だ。後悔は、ない」


「ここで死んでも、ですかい?」


「死ぬ気もない。私がここであなたを倒して、リヴィアがみんなを逃がす。そしたら後はハヤトくんたちがなんとかしてくれるはずだから」


 グワン、とリヴィアの視界が揺れた。

 突如として乱れる息。流れる汗。


「ははっ」


 後悔、だった。

 姉の望みを受け止め、里の未来を背負い、そして恐怖で全てを投げ出してここに戻った大馬鹿者。

 滑稽以外の何物でもない。

 姉を見捨てた罪悪感に、これからを託される重圧に、ほんの数秒すら耐えることのできない弱さ。

 散々強がっておいて、暴言や虚言で本心を隠して。

 肝心な時には何もできない。

 自分が、憎くて堪らなかった。


「そんな大事なこと、あんなにも弱い小娘にどうして託すことができるんですかい? 俺だったら怖くてできないですぜ」


 その通りだ。事実、リヴィアは約束を果たさずここにいるのだから。

 なのに、


「リヴィアは、弱くなんてない。あの子はいずれ、私を超えて世界最強の戦士になる子だ。だから、私はあの子に全てを託せる」


 それはさながら、呪いだった。

 弱い自分を、弱い自分でいさせてくれない、恐ろしいほどに優しい呪いだった。

 強くあれとは言われない。ただ、弱くない自分でなければならない。

 その呪いをリヴィアはようやく自覚し、理解した。

 自分が小難しい言葉でつよがっているのは、この呪いのせいだ。

 弱い自分が強い自分でなければならないのだから。


「あんたを、超える? あの小娘が? 笑わせないでくれますかい? 残念だが、あれにそんな器はない。この森で弱っちい魔物を狩るだけで終わりですぜ」


「リヴィアは、弱くなんてない」


 エリヴィアの声に、迷いは一切なかった。

 呪いは、染み込むように、リヴィアの心の深層へと進んでいく。


「確かに今はまだ、私よりも弱い。でも、いつかあの子が本当の意味での強さを知ったとき、あの子は誰よりも強くなる」


 小柄の男は呆然とエリヴィアの言葉を聞き、数秒経ってようやく理解が追い付く。


「はっ、冗談を。泣きながらあんたを見捨てて逃げ出したやつに、そんな未来なんてないですぜ」


「ある」


 エリヴィアは断言した。


「もう、話すのも面倒になってきましたぜ」


 小柄の男は、ゆっくりと武器である棒を振り上げた。

 大きすぎる予備動作。

 しかしそれを避ける体力すらエリヴィアにはない。

 今、飛び出さなくては、必ずエリヴィアは死ぬ。

 なのに、なのに、


「あし、が……」


 震えていた。

 動きたくないと、動けば死ぬのだと、心の底から溢れる叫び声がリヴィアの自由を奪う。


「動け……ッ‼ 動け……ッ‼」


 涙を流しながらリヴィアは自分の足を殴りつける。

 痛みは感じるのに、腫れていく感覚はあるのに、どうして自由に動かない。


 ふと、涙で歪む視界の中に映る自分の足に、何かを感じた。


「グリーヴ……」


 足を爪先からひざ下まで守ってくれる鉄の防具。

 初めてハヤトと会った時に、武器屋へ行って彼に買ってもらったものだ。

 あの時、彼は確か。


 ――ははっ。確かに、リヴィアなら本当に神の速さを手に入れちまうかもな。


 呪いが、ここにもあった。

 この呪いをきっかけに、また記憶が蘇る。


 ――君ならいつか、神にも匹敵する速さを手に入れることが出来る。


 また、別の呪いが、リヴィアの心にまとわりつく。

 心にずぶずぶと何かが沈んでいくのが分かった。

 息が、苦しい。

 逃げるように正面を見る。

 そこにあるのは、最初の、それでいて最悪の呪い。


 ――あの子はいずれ、私を超えて世界最強の戦士になる子だ。


 この呪いが、足を地に縛り付けて離れないのだ。

 どうすればいい。どうすれば、この呪いから解放される。


「そんなの……ッ!」


 答えなら、ずっと昔から知っていた。

 逃げてきただけだ。怖がって、後回しにして。

 全てを姉に任せて。

 だったら、もう、やめにしよう。



 逃げるのは、もう、やめよう。



「強く、なる」


 小さく、それでいて力強く、リヴィアは呟いた。


「誰よりも強い戦士に、今から、なる」


 姉を救って、さらに里の皆も救ってやる。

 そのために、必要なこと。

 単純だ。やめればいいのだ。

 未熟で弱かった、今までの自分を。

 未熟でも強くなろうとあがく、これからの自分へ。

 それがきっと、この呪いを解く第一歩のはずだ。


「みんなを、守ってみせる。私の、全てを懸けて」



 トクン、と鼓動が脈を打った。



 違和感にも思えるような何かが、体を駆け巡る感覚があった。

 まるで、自分の中で眠っていた何かが暴れだそうとしているような――


「これ、は……?」


 【疾風ゲイル】ではない。何か別の力が、あふれ出て止まらない。

 その力は、リヴィアを生物の到達できるその先へと導いているようで。

 いつの間にか、立ち上がっていた。

 足の震えは、止まっていた。

 足元に、視線を落とす。

 きっと、これから踏み出す一歩が今までの自分との別れの一歩であり、新しい自分との出会いの一歩だ。

 もう、迷わない。

 誰よりも、強くなろう。

 姉が誇れるような、そんな強い存在になろう。

 ぐっと、リヴィアは地面を踏みしめる。

 無意識に、口が開いていた。


 ――【疾風神雷アウライル


 ゴッ‼‼‼ という爆音とともに、烈風がリヴィアを包み込んだ。今までとは全く違う。

 足だけではなく、全身が瞬く間に風に包まれる。

 そしてリヴィアは、地を蹴った。


 それから小柄の男の顔に蹴りを入れ、数メートル先の木まで吹き飛ばすのに、一秒もかからなかった。

 ストン、と軽い音を立てて、リヴィアは姉の前へと降りる。

 これが、最初の一歩目だった。

 姉のように大切な人を護れるような、強い人間になるための、第一歩。

 まだまだ未熟なのは百も承知だ。

 だから、少しでも強い自分になるために。

 そのために、リヴィアは仁王立ちで不敵に笑った。


「はーはっはっは‼ 我が名はリヴィア=ハーフェン‼ エルフ族最強の戦士にして、神の迅さを持つ世界最速の戦士であるッ‼」


 リヴィアは高々と笑う。

 恐怖はなかった。

 呪いは消えた。

 あるのは、覚悟と勇気のみ。


 さあ、上げようではないか。

 反撃の狼煙のろしを。


―――――

〜index〜

【リヴィア=ハーフェン】 〜風神〜

【HP】 500

【MP】 650

【力】  60

【防御】 55

【魔力】 100

【敏捷】 1000

【器用】 40

【スキル】【疾風ゲイル】【疾風神雷アウライル

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