欠陥魔道書と歩く愉快な異世界~バグでステータスがカンストしたので好きに生きる~

さとね

プロローグ (読み飛ばしも可)

 俺がここまで切実に命を終わらせてしまいたいと思ったのは、人生で今日が初めてだった。

 こんな自殺願望が消えてほしいという願いを込めて、俺はもう一度顔を上げた。


「やっぱり、ねぇよ。俺の番号」


 胸の奥から吐きだした白い息が俺のかけている眼鏡を曇らせた。

 下手をしたらこの曇りが晴れたら、今までのものが全て見間違いで、魔法のように自分の番号が現れてくれるんじゃないかと期待してみたが、そんな期待は数秒で砕け散り、妙に期待した分さらに俺の心をどん底へと叩き落とした。


「これから、どうすっかな」


 俺が寂しく呟く横で、満面の笑みで野郎共が歓喜の声を上げていた。

 くそ。お前らが合格している横で落ちてる人間もいるんだよ。少しは気を使えねぇのか、ったくよ。

 意味なんてないって分かっていても、やり場のない怒りをアスファルトにぶつけながら歩いていく。これぐらいしか抵抗が出来ない自分が情けなく感じたが、他にどうしようもないんだ。許してくれよ。


 俺は右手に持っている小さい紙をもう一度見つめる。

 そこに書かれているのは、『斎藤さいとう隼人はやと』という俺の平凡な名前と、24356という数字の羅列。そして、俺が望みをかけていた最後の滑り止めの大学にも合格していない事を教えてくれる無慈悲な数字だった。


「どうして、こんな紙切れ一枚で人生決まっちまうのかなぁ」


 本当はもっと悲しみにくれるべきなのだが、幼い子供が両親の死を前にして涙が出てこないように、一周回って俺の感情はピクリとも動かなかった。

 ペラペラと紙を振ってから憎しみを込めてポケットにその紙をぶち込んで、俺は大学の入口から駅へと歩いていく。

 定期的に溜息を吐きながら、俺は一人帰路を進んでいく。誰かと帰らないのかと言われそうだが、同級生はとっくの昔に合格している。まぁ、一年前くらいだな。

 去年も全ての大学に落ちた俺は、学歴だけは一浪してでもつけろという親の言葉からもう一年間、受験生をすることになった。

 そもそもモチベーションが低かった俺は、なんとなく一年を消費した結果、また全ての大学に落ちてしまった。

 今更になって後悔しても遅いだなんて分かっているが、それでも後悔するのが人間というもので、親への罪悪感がドッと押し寄せてきた。


「あー。死にてー」


 どうせ自殺なんてしないのだが、口に出さなければどうしようもなかった。

 浪人失敗。非情な現実が俺の心に突き刺さった。自分の人生に意味なんてあるのか、甚だ疑問に思えてくる。

 でも、足は家へと向かっている辺り、俺は弱い人間なんだな、とも実感していた。


 常に下を見ながら、目が見えているのに点字ブロックを追って改札を抜け、ホームまで下りる。

 そして、ボーっとしながら、帰りの電車を待っている最中に、俺の人生の分岐点は突如として現れた。


「きゃあ!」


 駅ではあまり聞かない少女の悲鳴で、俺の視線は咄嗟に線路へと向いた。

 どうやら、小さな女の子が誤って線路に落ちてしまったらしい。どうすんだ。次にくる電車、この駅で止まらないから、あと数分であの子死ぬぞ。


「だ、誰か!」


 少女の母親だろうか。慌てた様子で線路を指さしながら叫んでいた。

 少し遠くだし、俺なんかが行って状況が悪化しても行けないし、誰か勇敢な人が助けたりしてくれんだろ。


 でも、そう思っているのは、俺だけではなかった。誰も、少女を助けようと動かなかった。皆、彼女の緊急事態は認知している。でも、動かない。

 そのように時間だけが過ぎていく中、視界に電車が移った。もう十数秒もあればあの少女の原型はなくなってしまうだろう。

 そんなときだった。俺の頭にある考えがよぎったのは。


 ──俺の命より、あの子の命の方が価値があるんじゃないか?


 あの子にはきっと将来がある。もしかしたら彼女は未来を約束された天才音楽少女かもしれない。今は開花していなくても、のちのちに発掘される稀有な才能の持ち主かもしれない。

 それに比べて俺はどうだ。親の金で浪人して、それすら無駄にして、涙も流さずいつものように帰ろうとしていた。

 こんな俺に、価値なんてあるのか?

 例えばもう一回浪人したとして、それで? それで俺の人生は薔薇色になるのか?

 きっと、答えは否だ。

 そう思った瞬間、体が勝手に動いていた。

 走りだして線路に飛び降りる。意外と高いのな、ホームから線路って。膝痛いし、着地の瞬間についた手の皮が軽く剥けて血が滲んでるし。

 でも、死が近づいているからだろうか、それほど痛みは感じなかった。俺は少女に近づいて、優しく声をかける。


「怖かったな。もう大丈夫」


 泣いている少女からは返事はなかったが、俺の差しだした手は掴んでくれたのを見ると、怖くて声が出ないんだろう。

 俺は少女を抱えてホームへと上げようとするが、瞬間、ビーッという警報音が聞こえた。

 やば。いつの間にこんな近くに電車が。

 少女をホームへと上げる時間がないと悟った俺は、抱えた少女を下ろし、ホームの下の隙間に咄嗟に投げ込む。


「俺みたいに残念な人生だけは過ごすなよ。強く生きてな」


 人生の最後ぐらいこんなキザなセリフ言ってみたかったんだ。こんな状況なのに、一つ目標を達成した気がして、俺は満足だった。

 運が良ければ俺も生き残れるかもしれない。早く俺もホームの下に──


 瞬間、弾けるような閃光が俺の左半身を駆け巡った。


 痛みは一切感じなかった。そして、瞬く間に俺の意識は暗闇の中へと消えていった。

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