天使に出会った少女の話

秋来一年

天使に出会った少女の話

 瓦礫の山を踏み分け、物資がないか探索する。

 この身体には水も食糧も必要ないけれど、換えのパーツは必要だし、弾薬の残りも心許ない。

 この瓦礫も元は民家だったのだろう。割れた写真立ての中では、家族だろうか、二人の男女と小さな女の子が、笑顔でこちらを見つめている。


「だれか、いるの……?」


 声が聞こえたのはその時だった。

 そちらに顔をやり、節電のために切っていた偵察用カメラを再起動する。映ったのは、一人分の生体反応だ。

 しまった。この辺りにはもう、誰もいないと思っていたのに。私の姿をみたら、きっといたずらに怖がらせてしまう。


 後ずさろうとした足が、ぱきり、とガラス片を踏んで音を立てる。

 砕け散ったガラスに映るのは、端的に言って〝化け物〟だった。

 右の腕は肘のあたりから無く、行き場を無くした幾本もの配線がぶらりと垂れ下がり。

 腹部や胸部にはいくつもの穴が開いて。

 左の眼下は既に落ち、黒い穴がぽっかりと開いている。


 逃げよう。怖がらせてしまうし、下手をすれば〝退治〟されてしまうかもしれない。

 引き返そうとしたとき、もう一度、声が聞こえた。


「わかったわ。あなた、わたしを迎えに来てくれた、天使さまでしょう。……やっとこれで、パパとママのところにいけるんだわ」


 この辺りでは、数日前にひどい抗争があった。

 沢山の人が死に、街は壊れ、生きている者はまとめて、隣の地区に避難をしたはずだった。


 逃げ遅れたのだろうか。いや、先ほどの言葉から察するに、逃げられる状態でないのか。

 怖がらせる、なんて言っていられない。

 民間人は、助けなければ。

 壊れかけだろうと何だろうと、私は軍用人造兵士なのだから。

 ガラスを踏み分け、声のした方に進む。


 そこに、天使がいた。

 星々の輝きを詰め込んだみたいな、美しいブロンドの髪。

 小さな鼻梁は、神に愛されていなければあり得ないような完璧な形とバランスでそこにあって、白い肌はまるで陶器のようだ。


「天使さま、やっときてくれたのね。真っ暗で、ひとりで、こわくて、それにとっても、寂しかったのよ」


 天使のように美しい少女は、化け物のような私を天使と呼んだ。

 それで、私は気づく。

 少女は目が見えていないのだ。


 少女のすぐ側に跪き、急いで怪我の状態を確認する。

 すぐ見て取れるのは左足の損傷だ。瓦礫の下敷きになっている。逃げられなかったのはこのせいか、それとも、単に誰にも気づいてもらえなかったのか。

 目が見えないとすれば、かなり危険な状態かも知れない。


「きみ、名前は? 私の手を握れますか?」


 少女の手を掴み、問いかける。


「わたしはカトリーナよ」


 白くて小さな手が、私の手を握り返す。そのあたたかさに、少しだけほっとした。身体を動かす神経は、どうやら無事らしい。

 受け答えもしっかりしているし、意識や記憶の混濁も見られない。脈も少し弱いが安定している。

 となれば、原因は目そのものか。


「失礼」


 私はカトリーナの瞼を開き、焦点の合わない瞳をじっくりと見る。

 少女の瞳には、無数の傷ができていた。涙の膜で覆われたそこは白く濁っていて、何の像も結んでいない。

 そのあとも全身を確認し、ほかに大きな怪我がないことを確認すると、私はほっと息をついた。


「天使さま、いつになったら連れてってくれるの?」


 少女の顔に不安の色が満ちている。

 彼女の期待を裏切るのは、気が重かった。

 でも、私は少女を連れて行ってあげることはできない。

 だって、私は天使なんかじゃないから。


「すみません、ミスカトリーナ。私はあなたを連れて行くことはできません。あんたはまだ、生きなければならない」


 言って、私は彼女の脚を押しつぶしている瓦礫を持ち上げた。

 中身を入れ替えたこの身体は、かつて少女だった頃とは比べものにならない、人外の怪力を使うことができる。


「私はあなたを助けに来ました。今まで、ひとりでよく頑張りましたね、カトリーナ」


 その言葉を聞いて、少女の何かが決壊した。


「ぁ……」


 ほそくて白い喉が、ちいさく鳴ったかと思うと、少女の瞳から一筋の雫が零れる。

 それを皮切りに、彼女の瞳からぼろぼろと、大粒の雫が溢れる。

 何も映さなくなった彼女の瞳は、ただそのためだけにあるかのように、いつまでも涙を流し続けた。



 その日から、私はカトリーナの保護を自らの任務とした。

 私の所属していた隊は、ずいぶん前に全滅した。無線機も壊れ、本部と連絡を取ることもできない。

 それに、こんな状態の私では、たとえ本部に戻ったとしても迷惑になるだけだろう。

 だから私は、修理に使えそうな換えのパーツを探しながら、身を隠して過ごしていた。


 カトリーナと過ごすのは、前線への復帰を遠のかせることになるが、民間人の保護も軍人の重要な仕事の一つだ。

 彼女の脚は複雑に砕けていたが、幸い私には心得があったので、処置は施してある。とはいえ、すぐに動かせるようになるものでもない。カトリーナに合わせて、私もほとんどの時間を彼女の生家である瓦礫で過ごした。

 彼女と出会ってから二度目の満月が来ても、私は変わらず、この場所にとどまっている。


「天使さま、今日のごはんはなあに? とってもいい匂いがするわ」


 名前を持たない私を、カトリーナは〝天使〟と呼んだ。

 私たち軍用人造兵士は、そうなる時に、少女だった頃の記憶を失う。

 家族や友人がいれば、それが弱みになるかも知れないからだ。

 そうして過去を、名前を、個を失って、敵を殺すための兵器として生きる。

 爆撃を受け、腕や瞳を失うずっと前から、私はとっくに化け物だった。

 でも、この天使みたいな少女は、私のことを天使と呼ぶ。


「今日は野菜のスープとパンですよ。スープには干し肉もいれてあります」

「やった。ひさしぶりのお肉だわ」


 言ってから、カトリーナははっとして、


「あ、ちがうのよ。天使さまのごはんはどれもとってもおいしいの。でも、お肉を食べるのは久しぶりだから、つい嬉しくなっちゃっただけなの」


 慌ててフォローするカトリーナ。そんなこと気にしなくていいのにと思いつつ、思わず笑みがこぼれる。彼女と過ごす穏やかな日々は、正直、とても心地が良かった。ここではだれも殺さなくていいし、興奮した兵士たちの慰み者になる必要もない。


 食事を終え、カトリーナが眠りについたことを確認すると、私はそっと家を抜け出す。食糧を調達するためだ。

先ほどの、幸せそうに干し肉を噛みしめるカトリーナのことを思い出す。彼女には、もっとたくさんおいしいものを食べてほしい。それに、いっぱい食べて栄養をつけ、隣の地区に避難してもらわねば。


 本当は、すぐにでも彼女を運ぶべきなんだろう。

 けれど、こんな見た目で人々の前に現れては不要の騒ぎを起こしかねない。

 それに、私は恐かった。

 歩けないカトリーナを運ぶには、彼女を負ぶう必要がある。

 そうしたら、彼女は私が人間ではないことに、化け物だということに、気づいてしまうだろう。

 私を天使と呼んでくれる彼女に怯えられるのが、拒絶されるのが、私はどうしようもなく恐かったんだ。


 頭を振って暗い考えを振り払い、倒壊しかけの家屋を何軒かまわる。

 缶詰を中心に食糧をナップザックに詰め、カトリーナの待つ家へと帰った。

 異変に気づいたのは、家に入ってすぐだった。


「……っ、……ぅ……」


 寝ているはずの、カトリーナの声が聞こえた気がした。


「カトリーナ? 起きているのですか?」


 ガラスを踏みしめ、駆け足でカトリーナの元へ急ぐ。


「……天使さま? そこにいるのっ?」


 その声は湿り、震えていたけれど、元気そうでひとまず安心する。

 奥の部屋まで進み、彼女の姿を見た私は、思わず息を呑んだ。


「カトリーナ、脚が……」


 そこに、カトリーナが立っていた。

 もう、立てるほどに回復していたのか。


「天使さま、そこにいるのね」

「カトリーナ、来てはいけません!」


 私の制止を聞かず、カトリーナがこちらに駆けてくる。

 地面にはガラスや瓦礫の破片が散らばっている。目の見えないカトリーナはそれを避けることができない。

 それなのに。


「天使さま、わた、わたし、また、ひとりぼっちで、どうして、どこ、行って、」


 瓦礫を踏みしめ、ぼろぼろの脚で私の胸に飛び込んでくる。カトリーナは、出会ったあの日のように泣いていた。


「ごめんなさい。物資を探しに行っていたのです。カトリーナにおいしいものを食べてほしくて」

「お肉なんていらないわっ。そんなもの、もう食べなくていいから、だから、どこにも行かないで。わたしのこと、もう一人にしないで……!」


 ぶんぶんと首を振り、泣きじゃくるカトリーナ。

 私にしがみつくその身体はとても細くて、小さい。


「大丈夫。黙ってどこかに行ったり、もうしませんから」


 本当は両腕で抱きしめてあげたい。けれど、捥げた腕ではそれは叶わなくて、歯がゆかった。


「ねえ、天使さま」


 まだ湿った声で、カトリーナが言う。

 大切な内緒話をするような、祈りのこもった声で。


「あの、ね。ずっといっしょにいてね」


 息が、詰まる。

 私は、すぐに返事をすることができなかった。

 少し悩んで、でも、いつかは言わなければいけないことだから。

 だから、私は口を開く。


「カトリーナ、それはできません。あなたは、隣の地区に避難しなくては」


 震える唇は何も言わないけれど、その顔はどうして、と言いたげだ。

 それに気づかないフリをして、私は言う。


「あなたが歩けるようになったら、一緒に隣の地区まで行きましょう。そこには、戦争孤児を受け入れている施設もあると聞いています。あなたはそこに入るのです」


「一緒には行けないの? 天使さまは、どうするの?」


「途中までは一緒に行きます。けれど、孤児院には一人で行ってもらいます。私は、その、天使ですから。人に姿を見られる訳にはいかないのです」


 もう自棄だった。だって、どう伝えたらいいんだ。

 私は化け物だから人間の前には出られない、とでも言えばよかったのか。

 カトリーナは、私の言葉をどう受け取ったのだろう。

 しばし沈黙していた彼女だったが、やがて諦めたかのように「わかったわ」と呟いた。


 駆け寄ってきた時に傷ついてしまったカトリーナの足の裏を治療し、二人で毛布にくるまる。カトリーナがねだるので、その日は手を繋いで眠ることになった。


「天使さま、あのね。わたしが隣の地区に行ったら、天使さまにお手紙書いてもいい?」


 問われて少しだけ悩み、私は「もちろんです」とうなずいた。


「天使さまも、お返事をくれなきゃいやよ。たまにでもいいから」


 彼女を安心させようと、頭を撫でようと思ってから、手がふさがっていることを思い出した。

 だから代わりに、握った手にぎゅっと力をこめる。

 あとどれだけの夜、私は彼女の隣で眠れるのだろう、と思いながら。



 あれから五年が過ぎた。

 私は今も化け物のまま、カトリーナと出会う前に拠点としていた、放棄された臨時軍用基地で過ごしている。

 あれからすぐに戦いが終わり、私は自分を修理する必要性も、生きる意味も完全に失った。戦いのために造られた私が本部に戻っても、きっと廃棄処分だろう。

 にもかかわらず、私が活動を続けているのは、私を天使と呼んでくれた少女がいるからだ。


 ポストを確認する。数ヶ月ぶりに便箋を見つけ、思わず頬が綻ぶ。

 文章に目を落とし、普段と違う筆跡に首を傾げ、読み進めて硬直した。


「実は、今日は大切なお知らせがあります。

 なんと、目が見えるようになったのです。

 両親が遺してくれていたお金が思ったよりあることが分かって、手術を受けることができました。」


 最初に感じたのは、喜びだった。

 彼女に光が戻った。それは、何にも代えがたい喜ばしいことだ。

 けれど。


「これで私は、一人でどこへでも行けます。やっと、天使さまに会いに行くことができます。

 この手紙が届く頃、会いに行きます。

 待っていてください。

 また会える日を楽しみにしています。」


 手が震える。

 会うわけには、いかない。こんな姿を、見られるわけには。

 この手紙が届く頃に、会いに来ると書いてある。

 ぐずぐずしていられない。

 私は久しぶりに、外へと飛び出した。



 飛び出したはいいものの、行く当てなんてどこにもなかった。それで、気がつけばここにいた。

 瓦礫の山、壊れた写真立てと、その中で笑う三人家族。

 今なら分かる。この写真に写っている少女はカトリーナだ。


 彼女と過ごした家を、私は五年ぶりに訪れていた。

 本当にカトリーナから逃げたいなら、ここに来たのは失敗だった。

 もし、万が一彼女がここを訪れたら、姿を見られる前に窓から逃げよう。

 そう思っていた、はずだったのに。


「だれか、いるの……?」


 懐かしい声に、脚が縫い付けられたように動かない。

 駄目だ。行かなきゃ。だって、嫌われてしまうのに。

 嫌われたくない怖がられたくない。

 そのはずなのに。


「天使さま、いるんでしょ。ふふっ、何だかあべこべね。あの日は天使さまが、わたしを見つけてくれたものね」


 歌うように、彼女が言う。

 そして。


 そこに、天使がいた。


 前よりもすらりと手脚が伸びて、光り輝くようなブロンドの髪は腰の辺りで揺れている。

 前は濁っていた瞳は、月のような黄金色だ。

 その月の瞳が、私の姿を映す。

 一瞬見開かれた瞳は、すぐに閉じられた。

 彼女が笑ったのだと気づいたのは、カトリーナに抱きつかれてからだった。


「やっと会えた。待っててって言ったのに」


 目の端に涙をにじませながら、カトリーナが言った。


「……カトリーナ、私が恐くないのですか?」


 腕はもげ、配線がじゃらじゃらと垂れ下がり、左の眼窩は落ちて穴が広がるばかりで、身体にも幾つも穴が開いて。

 それなのに、彼女は私を怖がるどころか、再会を喜んで私の胸の中で泣いている。


「もう、そんなことを気にしていたの? わたしが天使さまを怖がるわけないじゃない」


「でも、私は人間じゃなくて、こんな、化け物みたいな……」


「知ってたわよ」


 思わず絶句する私に、カトリーナはむくれて言う。


「人間じゃないことくらい、とっくに気づいてたわ。だって、全然ごはんを食べてる様子もないし、それに、隣で寝ていても、鼓動の音がしないもの」


「でも、」


 食い下がる私に、カトリーナが言う。


「それに、あなたがどんな姿でも、わたしがあなたを怖がるわけないじゃない。あなたは、暗くて恐くて苦しくて、ひとりぼっちだったわたしを助けてくれた、天使さまなんだから」


 そう言って泣きながら笑う彼女は、やっぱり天使のように美しかった。

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