第38話 フォローなクラスメイト

『それは明らかに小悪魔インプの影響の後遺症だね』


 スマホから聞こえる倉臼さんの声が告げる。


 あれから一時間かけて心を落ち着けて顔を洗い、倉臼さんにキクのことを電話で相談した。他に話せる人もいないし。確か以前、倉臼さんの使う幻術の説明で、精神系の認識操作だと言っていた。その前にも魅了チャームだなんてそのものの魔法の名前も聞いたことがある。だったら、キクの心を落ち着かせる魔法も知っているんじゃないかと思ったんだ。


『わかりました。準備をしたらすぐに行きます』


 そう言って電話が切れた。

 さすがにキクをあのまま放っておくわけにもいかず、かと言って俺が直接だと逆効果以外のなにものにもならない。でも、明日の試験のことも考えれば、なるべく早く対処しなければならない。となると、このさい超常能力に頼るのが一番ではないかと思ったのだ。


 毒をもって毒を制す、なんて強引なことになるかもしれないが、倉臼さんなら頼りにしても大丈夫だろう。最悪、聖女らしい村雨先生につなぎをとってもらうことも視野に入れて。


 倉臼さんが来るまで、さっきのことを思い返す。


 俺は、いまでもあれが最善の答えだと思っている。


 キクのことが嫌いなわけじゃない。キスが嫌なわけでもない。ただ、実際には一度しているからといって、もう一度しても変わらないかというと、そうは思わない。あの錯乱したような状態で、キスだけで済むだろうか? なし崩し的にいくところまでいってしまうかもしれない。なら、いっそキクに乗り換えればいい? そうじゃない、俺は、ナギと出会ってしまったのだから。


 今日だけなら大丈夫だった? そうかもしれない。でも、このあともずっと続いてしまう可能性の方が高そうだと思う。そうなれば、いずれナギとの関係にヒビを入れる事態は避けられない。


 一度のキスで解決していた可能性。

 一度のキスでは解決しない可能性。


 未来のことなんてわかるわけもないが、俺は幸せの向上より不幸の除外を祈る性格なのだ。ハーレムなんて望まない。一人の女性を守るためなら。



 そう、キクには悪いが、俺は破滅フラグを全力で回避したのだ。



 そう自分に言い聞かせていないと、壊れてしまいそうだった。


 そんなことを考えていると、スマホが着信した。倉臼さんからだ。着いたにしては、いくらなんでも早すぎる。いったいどうしたのかと慌てて通話ボタンを押す。


『あの、すみません、キクちゃんのおうちってどこでしたっけ?』





『はい、多分、近くまで来てます』


 倉臼さんからの電話を受けて、俺は窓から外をのぞく。いた。


「見えた。そこで待ってて」

『はい』


 俺は通話を切り、レスの頭を撫でてから外へ出る。


「倉臼さん、来てくれてありがとう」

「カケルくん、いえ、わたしのケアが足りなかったのも原因なので」


 倉臼さんは申しわけなさそうな顔をしている。


「わたしがもっと早く気づいていれば。ずっと探していた聖剣の可能性を見つけてはしゃいじゃって、自分のことしか考えてなかったんです。ごめんなさい」

「倉臼さんが謝ることじゃないよ、俺がうまく立ち回れなかったのが悪いんだから」


 俺がもっと早く、キクの様子に気づいてやれれば……。


「それより、キクのこと、倉臼さんに任せていいのか?」

「それは任せてください」


 倉臼さんは胸を張って言う。


「これでも、異世界探索に選抜されるくらいには優秀なんですから。『幻惑の勇者』の二つ名の面目躍如めんもくやくじょですよ!」


 げ、幻惑の勇者……。勇者だったのか倉臼くらうすそら


「カケルくんの聖水だって持ってきました」


 手のひらに収まる、栄養ドリンクくらいの大きさの小瓶を取り出して見せる。その呼び方はやめてもらえないかな?


「もし魔法的な影響が残ってても、これを飲ませればカンペキです」

「それ飲んで大丈夫なの? なんか光ってるけど」

「こっちの成分で言えばただの水ですから。もともとコンビニで買ったやつですよ、これ」


 そうなのか。


「一人で大丈夫か?」

「はい。キクちゃんの部屋はどの辺ですか?」

「二階の右側だよ」

「わかりました。行ってまいります」


 倉臼さんはキクの家の扉を開けて入っていった。

 あとは彼女に任せるしかない。





 次の日、試験があるので学校を休むわけにもいかず、憂鬱な気持ちで登校した。


 昨日のうちに倉臼さんから『もう大丈夫ですよ』とメッセージはきていたが、具体的な話は聞いていなかった。聞けなかった。受け止める心の準備が出来ていなかった。


 さすがに朝の「おっきろー!」もなかったし、でも同じクラスだから絶対顔合わせるし、俺の方が試験に集中できそうにない。


 いつもよりかなり早い時間に教室に入る。いつもより多いクラスメイトがすでに来ていたが、キクと倉臼さんはまだみたいだ。

 とりあえず席に座って教科書を出し、今日の試験範囲を確認する。


 全然内容が入ってこない。


 そのうち、キクと倉臼さんが一緒に教室に入ってきた。キクは、いつものポニーテールじゃなく、二つに分けたおさげにしていた。


 それぞれの席につき、隣の席の倉臼さんが「おはよー」と声をかけてくる。俺も挨拶を返す。


 倉臼さんから話を聞く前に、キクがこっちにやってきた。俺の勉強道具が机に置かれる。


「カケルの忘れ物。昨日ちゃんと勉強できたの?」


 いつもと同じキクの声だ。少なくとも、そうしようとしている。


 そして、聞こえるか聞こえないかという小さなささやき声が聞こえた。


(昨日はごめん)


 不意に、涙が流れてしまった。


 キクが俺の肩に手を置いて、小声で言う。


「なんでカケルが泣くのよ」


 肩に置かれた手に、いつも以上に力が入っているのがわかった。


「アホか、あくびを我慢してるんだよ。昨日の夜はかなり遅くまで勉強してたから、眠くてたまらん」

「なら、今日の試験はさぞかしいい点が取れるんでしょうな」

「当たり前だ。勝負するか?」

「しませーん。結果は目に見えてるもの。どうせ試験中にカケルが寝落ちしちゃうんでしょ」


 手を振りながらそう言い、席に戻る。

 ヤバい、また涙が出そうだ。あくびあくび。どんな感情でいればいいのかわからん。


「カケルくん」


 不意に倉臼さんが話しかけてきた。そしていきなり俺のメガネ御守りを抜き取る。


平常心サニティ


 同時に、ハンカチを差し出してくる。俺はそれを断り、ポケットティッシュを取り出して、涙を拭う。


「落ち着きましたか?」


 落ち着いていた。気持ち悪いくらいだ。


「一時的に感情を抑える、キクちゃんに使ったのと同じ魔法です。詳しい話はあとにしますが、昨日使った魔法はほぼこれだけです。記憶操作メモリーオペレーション洗脳ブレインウォッシュもしてないので、安心してください」

「魔法なんだ。なんだか不思議な感じだね」

「普通は怒りや恐怖を抑えるために使うので、喜びや安堵を消すことはしないんですけど」


 おい。


「一時的なものなので、キクちゃんのことを考えていれば感情は戻ってきますよ」

「ならなんで今使ったの?」


 倉臼さんはちょっと申し訳なさそうに言った。


「カケルくんの試験がボロボロになりそうだったので……」




 このあとメチャクチャ試験がはかどった。


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