世界を救う唄─陰─

 ある月明かりの眩い夜。

 雪が降りしきる中、いつの間にか玄関の前に捨てられていた幼子を少年が見つけたのだ。

 音も足跡も手紙もなく授けられた小さな命。

 少年の家族は不思議に思いながらも、この愛しい少女を家族として迎えいれた。

 最初から少女が、この家の子供であるかのように大切に、そして健やかに育てられた。


 少女が旅立ってから少年は悲しむ間もなく、父の書斎をひっくり返していた。

 一度だけ見たことがある、神々の調べに関する本。

 一日かけてようやく目当ての本を見つけ出した。

 世界と天界の狭間にある、理を司る塔。

 そこで命の巫女が聖なる唄を歌えば世界が正常に動き出すこと。

 命の巫女はその塔で生涯を終えること。

 しかし、その中で少年の目を引く一文があった。

 「命の巫女の唄だけでは、世界は本当の意味で救われることはない」

 その後は、口伝でのみ伝えられるとされていた。

 それを伝える前に父は事故でなくなった。

 結局それ以上の手がかりはこの書斎にはなかった。

 少年は決意する。

 少女を救い出すと。

 

 旅立つと決めた少年の行動は早かった。

 村人たちも少年ならそうするだろうと、わかって優しく見送った。

 次にこの村にもどるときは少女と一緒に。そう決意して旅立つ。

 旅自体は順調だった。

 少女が塔に赴いてから半年。

 世界には少女の歌声が響き始めた。

 この星を覆い尽くすほど慈悲に溢れたその歌声は世界の崩壊を止め、人々に生きるための力を与えた。

 生命力を失ったこの星が、再び未来への希望を取り戻したのだ。

 父を信じるなら、もっと根本的な解決方法があるはずだ。

 それを探し理を司る塔への行き方を調べ、少女を助ける。

 同時に、最悪のことも想定していた。

 もし少年が救えるのが少女だけだとしたら。

 世界と少女を天秤にかけた時、少年は迷うことなく少女を選ぶだろう。

 もし世界統一教会と戦うことになっても少年は後悔しないだろう。

 たとえ世界を敵に回したとしても、少年は少女と共に生きることを望んだ。

  

 少年は唄や伝承や楽譜や、歌以外に世界を救う方法を知っている人物がいないか探し続けた。

 大きな街を巡り図書館をくまなく探す。

 それは塔や命の巫女の書籍ではない。教会員がすでに何度も探しているだろう。

 少年が探したのは楽曲だった。

 なぜ一介の演奏者だった父が、教会でも上層部にしか見つけられなかった塔や巫女、唄の情報を持っていたのか。

 それが気がかりだった。

 しかし、手がかりが見つからない焦り。

 少女を連れ去った教会への怒り。

 少女を引き止めなかった後悔。

 少年の気づかぬうちにその心は演奏を鈍らせた。

 少年の演奏を聴きに来る人々が日増しに減って行く。

 昔、人々の安息だけを願い、世界の行く末を案じていた少年の心は、少しずつ黒い闇に覆われてつつあった。

 そこはかつて父が演奏したこともあるという街。

 この街の大聖堂には他の街にはないオーケストラの楽団があり、音楽の街としても有名なところだった。

 少年は荷物を降ろし楽器を構える。

 年端も行かぬ少年がどんな演奏をするのかと、人が集まり始める。

 少年の指が軽やかに動き、安らぎの音を奏でる。

 自由自在に操られる音色はまるで魔法のような彩りをはなっていた。

 しかし。

 少年が演奏を終える前に、聴衆は一人、また一人と減っていく。

 最後まで聞いてくれたのはわずか数人。

 少年は落胆を覚える。

 今までは、自分の演奏を聴くためだけに人々が村に訪れてきたのだ。

 自信と自負があった。

 しかし小さな村で満足していただけで、音楽の街では通用しないのか……。

 少年は楽器をしまうと今夜泊まる場所を探そうと、荷物をまとめる。

 その時、一人の壮年が話をかけてきた。

 話を聴くと、昔父とともに旅をしたこともある著名な演奏者であった。

 少年の奏でる音に、父と同じ手癖などを敏感に聞き取ってもしや、と思い声をかけたという。

 壮年が父のことを語る時、その目はまるで宝物を見つけた幼子のように輝いていた。

 父はかつて、世界でも他に並ぶ者がいないほどの奏者であった。

 父に近づく者は父の持つ栄誉や財産、名声などを求めてくる者ばかりだった。

 父の心は確実にすり減っていった。

 昔は演奏が大好きだった。基礎練習だけでも、朝から晩まで弾き続けてることもあった。

 しかしプロとして弾くことは、純粋な心を持つ父にはあまりにも深い闇が存在していた。

 そんな時。とある街で知り合った女性。

 その女性に父は心惹かれたのだ。

 真綿のように柔らかく。澄んだ空のように広く。世界にあるどんな宝石よりも美しい心。

 真っ白な心のまま父と知り合ったその女性は、なんの欲も持たず、ただ純粋に父の演奏が大好きだった。

 その穢れのない魂が、父の魂を覆う闇を吹き飛ばした。

 父はその場で女性に求婚をして、あっさりと引退すると女性の住む辺境の村に過ごすことを決めた。

 それが父と母の出会い。

 その話を聞いた少年は、自分の事のように嬉しかった。

 しかし父と母が亡くなっていると聞いた時、壮年は。

 やはり、と呟いた。

 壮年は尋ねる。

 君は、父に師事を仰いだ事はあるのか、と。

 少年は答える。

 十を超える年月は、ともに楽器を弾いていた、と。

 壮年は一転悲しそうに俯いた。

 壮年は少し口ごもったあと、ぽつりと話し始める。

 少年の演奏技術は素晴らしい。父にも並びうるかも知れない。

 しかし決定的に違うのはその心。

 父の演奏には魂がこもっていた。

 この演奏会が終わってなら死んでもなんの後悔もない程までに、毎日の演奏会を命の限り弾いていた。

 少年の演奏は関心はするが、感動はしないと。

 世界への、神への、教会への、自分への怒りと悲しみと憎しみから、少年の心は見る影もなく清らかさを失っていたのだ。

 おもえば、村で旅人たちに演奏していた頃は全てのものに感謝し、そして崩壊する世界を変えることをだけを考えて命を尽くしていた。

 旅に出てからは基礎練習も怠り、楽器に触れる時間も減っていった。

 その細かな機微を、壮年は一目で看破していた。

 少年は己を恥じた。しかし。

 少年の心はそれを良しとしない。頭で理解しても、少年の魂に刻み込まれた憎しみを消し去ることはできなかった。

 それを見た壮年は一言。

 本当は人に教えてはならぬ。父と壮年の間だからこそ、伝えられたの秘密。

 もしくは、父は自分が先に死ぬことも視野に入れ壮年に教えたのかもしれない。

 北の最果て、鎮守の森。

 昔から世界を守る神木があると言われている。

 そこには父が師と仰ぐ星の守り人が住んでいるという。

 そして父の師ならば、父が少年に伝えられなかったものを、伝えられるのではないか。


 少年が北の最果て鎮守の森に向かい街を出てから3ヶ月がたった。

 少女の唄が世界に響き始めてから、1年。

 その歌声に、少年は些細な違和感を感じた。

 違和感を感じ取れたのは少年だけだろう。

 それは少女の心。

 世界を救うために唄を歌い続ける少女。

 それは清らかで美しく、神の御心を世界に届ける命の巫女の歌声そのものだった。

 誰よりも少女と共に生き。

 誰よりも少女を愛してきた。

 少年にしか伝わらない、魂に開いた小さな穴。

 その小さな穴から零れ落ちていく少女の生命力。

 一滴。一滴。わずかに落ちていく。

 もしそれが全てなくなった時、少女はどうなるのか。

 少年はあせりながら北に向かう。


 北の最果て、鎮守の森。

 神木に住む星の守り人。

 一際大きな樹の下にたたずみ、手作りの可愛らしい木の笛を吹いている老人。

 少年は声をかける。

 老人は答える。しかし、老人は言葉を発することができなかった。

 その代わりに老人は笛を吹く。

 それはただの笛であるはずなのに。ただのメロディーであるはずなのに。

 少年の心に確かに届いた。

 少年は話す。

 世界の危機。

 命の巫女。

 少女を助ける方法を探していること。

 老人は静かに微笑みながら少年の話を聞いていた。

 老人は少年に笛の音で言う。

 君の演奏を聞かせてごらん、と。

 少年は父の形見として使っていた楽器を手に取り、いつものように弾いてみせる。

 技術は優れていた。だが、それは薄っぺらい表面上の音。

 誰の心にも響かないメロディー。

 それを聞いた老人は落胆した。

 老人は一目見て、少年が最後の弟子の子供だと悟った。

 どのように成長したのかを、心のそこから楽しみにしていた。

 それなのに。

 老人は演奏を止めさせると、少年に語りかける。

 老人の笛の音は、少年に一番の目的を問う。

 愛する少女を助け、供に生きるため、と。

 老人の笛は、何のためにと問う。

 この世界が滅びようとも、少女と二人で生きるためだと。

 老人の笛は、世界はどうなると問う。

 どうでもいい。少女だけが少年にとって世界の全てだと。

 老人は悲しく俯きながら少年に楽譜を渡し、神木の中でその曲を練習するよう伝えた。


 一週間少年は神木の中で寝る間も惜しんで演奏を続けた。

 基礎練習のような簡単なものから、難解なものまで多岐に渡った。

 そして少年は疲れ果て、寝てしまった。

 星を支える神木は少年に真実を見せる。

 夢の中。

 何も見えない漆黒の中で、泣きながら唄を歌っている女の子。

 命の巫女たる少女かと思ったが違う。

 彼女は神の巫女として、塔で歌っているはずだ。

 ここは違う。

 ここはそんな輝かしい場所ではない。

 言うならば、世界中の闇を集めた牢獄。

 この女の子は世界の負の感情を一人で抱え込み、それを歌で浄化していく。

 女の子もまた、少女とは違う形で世界を救う一端を担っていた。

 少女が光なら、女の子は闇。

 決して相容れることのないコインの表と裏。

 それはまるで少年のようだった。

 決定的に違うとすればそれは、世界への愛。

 女の子はたとえ闇に飲まれ、その生涯を闇の中で終えたとしても世界を愛し、慈しみ続けた。

 それが、世界を延命させていた。

 女の子のいる場所は確かに闇だが、その心は光と共にあった。

 少年の心は今まさに闇に飲まれようとしている。

 それでも少年は少女への愛は捨てなかった。その心は光そのもの。

 世界中の人々が世界を救いたいと思っている。

 なにより、少年が心から愛した少女がこの世界を救いたいと思っている。

 少年はなぜ少女がそこまで世界を救いたいと思っているのか理解ができなかった。

 世界に響く少女の歌声。その心に耳を傾け、ようやく少年は理解する。

 そのことに気がついた少年は演奏をするどころか、楽器を触ることすらできなくなった。

 神木の中で膝を抱えながら少年はやっと少女の想いを知る。

 少女は少年を信じていたのだ。

 必ず助けに来てくれる、と。

 少女だけではなく、世界をも救ってくれるであろうと。

 今にも消えてなくなりそうな、世界の闇をも解き放ってくれるだろうと。

 その先にこそ、少年と少女の未来があるのだ。

 二人の未来は世界の終焉にあるのではない。この星を救った後にあるのだ。

 輝かしい未来の先には、少年や少女と同じ心を持った子供たちがまた、この世界を愛し救い続けてくれる。

 それは永遠に続く平和。

 少女が望んだ世界。

 少年はの心は晴れた。

 もうその心に自身のエゴはない。

 純粋に少女も世界も、この世の闇も同時に救ってみせると心に誓ったのだ。

 

 少年は再び楽器を手にする。

 そして、少年は再び星の守り人の前に立つ。

 守り人は少年の瞳を見て確信した。

 少年の決意を。

 一拍。少年は息を吸うと楽器に指を這わせる。

 その音色は一瞬のうちに世界に響き渡り、その景色を一変させた。

 木々が、神木が歓喜に震える。

 鎮守の森はその旋律を聞き、壊れた魂という目に見えぬ器を修復する。

 それは命の巫女たる少女にもできない、奇跡。

 少女は生命力を世界中に溢れさせることができる。

 しかし生命力を湛える器が壊れていては、また漏れ出て行く。

 だから世界は救われない。

 唄い続けなければならないのだ。

 少年が守り人から教わったのは、まさしくその器を治す心であった。

 少年の踊るような指が最後の音を響かせる。

 ただ技術に頼った表面的な演奏ではない。

 魂の底からこの世界を包み込むような、少年の無垢な心が成し遂げることができる力。

 父から。母から受け継いだその想いが、少年の演奏には確かに宿っていた。

 守り人は流れる涙を止めることができなかった。

 世界の果てで探し続けた、世界を救う調(しらべ)を奏でる人物にようやくめぐり合えたのだ。

 星の守り人と呼ばれながら真にこの世界を救うことができず、その道を示すことしかできなかった老人は、ようやくその務めを全うできたのだ。

 老人は笛で語る。

 少年に託したメロディーは、理を司る塔に入るための曲。

 世界を救う調があるのは、その塔の中にある神の住まう場所にあるという。

 そして少年は旅立つ。

 その心には何の怒りも悲しみも焦りもなかった。

 純粋に、もう一度少女とこの音を奏でたい。

 ただそれだけだった。

 

 父母と交わした約束。

 動き始めた運命の歯車。

 神の加護さえないまま、君を探し続ける。

 君と奏でた幾千の奏歌が折れそうになる心を支える。

 たとえば君が世界で孤独だったとしても。

 僕だけは君を愛し続けるから。

 僕たちが進む未来に犠牲なんて必要ない。

 希望を与える一つの旋律となる。 

 たとえば世界が壊れたとして。

 君と手を取り合い混沌を貫く。

 神に見放された大地の嘆きと苦しみの中で。

 絶望を振り払う一つの調となる。

 たとえば世界に平和の凱歌を響かせられるなら。

 神をも救う一片(ひとひら)の弦鳴となる。


 少年は旅立つ。

 世界を救う調を求めて。

 少年は旅立つ。

 世界と闇を救うために。

 少年を旅立つ。

 少女を愛するために。

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