第83話 実際にヘロインを合成する為に無水酢酸を合成しよう!

 そんな訳で、その日の夜、颯太そうたは実験室にアヤヒを呼んだ。


「……と、言うわけで、だ。アヤヒ、お前も薬品の扱いに慣れてきたので、少しやってみてほしいことがある。これは授業じゃなくて、仕事の手伝いだと思ってくれ」

「うん。良いよ良いよ。何でも言ってよ」

「今日からお前には無水酢酸を大量生産してもらう」

「そのヘロインってやつじゃなくて?」


 アヤヒの声には少し棘が混じっていた。


「不満そうだな」


 颯太そうたが口にすると、アヤヒは頷いた。


「麻薬を作るのに私が関わっちゃ駄目な理由があるのかなって」

「駄目だ。子供がこういう仕事に関わっちゃいけないよ。お前に化学を教えているのは、麻薬作りをさせる為じゃないんだ。それは分かるだろう?」

「麻薬を作る以外の方法で村が生きていく為、だろう? けれど今、この村は麻薬を作ったお金が無いと食べていけないんだから、私だって働くべきだよ」


 今度は颯太そうたが頷いた。

 彼は酢酸の合成に使う貝殻と木酢液を並べながら会話を続ける。


「それは正しいんだが、それじゃ実現できない理想があるんだよ」

「何?」

「いつかお前が、吟遊詩人なり村を指揮する立場なりになった時、お前自身には後ろ暗いところがあってほしくないんだよ」

「それって意味があるの?」


 颯太そうたはため息をついた。それから、ポツリと零した。


「……俺の自己満足だ。何時も頑張ってるんだからちょっとくらい付き合え」


 本音はともかく、珍しく弱気な一言に聞こえた。

 颯太そうた自身も、それが本気でそう思っているのか、彼女を黙らせる為の方便なのか、分からなくなっていた。

 だが、少なくとも、アヤヒはそれ以上反論しなかった。


     *


 村で作った木酢液、カラス運送に頼んで輸入した貝殻、それにドワーフの村から手に入るミョウバンを加工して作った硫酸。

 無水酢酸の使用に必要なものはざっとこんなところだ。


「まずは炭焼きで手に入る大量の木酢液から、純粋な酢酸を分離する必要がある」

「サクサンってどんな物質なの? 炭焼きで手に入るモクサクエキとどういう関係があるわけ?」

「酢酸は要するにお酢だ。食事にも使うだろう。漬物とかな」

「ああ、でも……こんなに匂いはきつくないよね」


 木酢液の入った瓶をアヤヒは指差した。颯太そうたはニッと笑う。


「良い指摘だ。濃度についてはもう教えたな?」

「同じ量でもどれだけ多くの物質がそこに含まれているか、だよね」

「そうだ。普通食事に使うお酢は薄い。木酢液は濃い。そういう違いだな」

「理解したよ」

「今回は様々な物質が入っている木酢液の中から、酢酸だけを取り出す。俺が村に来たばかりの時に、芥子から阿片だけを効率よく抽出したのと同じだ」

「今度はそれをお酢でやるんだ!」


 アヤヒは嬉しそうに叫ぶ。颯太そうたは我が意を得たりと頷いた。


「まあこの作り方じゃ食事には使えないけどな。食事に使うお酢だって、色々混じっているから美味しい訳で……」

「で、具体的な手順はどうするのさ」

「まずはこの貝殻なんだけど、焼いて砕いてくれ」

「ざっと1000℃くらいあればいいよね」


 アヤヒが指を弾くと赤い光を纏った火の精霊が金属容器の中に飛び込んで、一瞬で炎が燃え上がる。

 もう一度指を弾くと金属光沢を放つ金の精霊が金属容器の中で暴れまわって、赤の貝殻を細かく砕く。

 ――村の子供たちの精霊魔法を見た後だと、アヤヒが本当に規格外ってのが分かるな。

 弟子の扱う精霊魔法の精緻さに、颯太そうたは内心舌を巻いた。


「アヤヒ、そのまま用意した水に少しずつ貝殻を入れてくれ」

「分かった。誰か、缶の中に綺麗な水を――」

「ストップ! 缶の中に水は入れるなよ。一瞬で水が蒸発する」

「……うわ、水蒸気爆発? 怖いなあ……ヒューマンは怖いことするな……」

「反応熱って奴だ。貝殻のカルシウムは加熱で酸化カルシウムになる。こいつは水に溶けると水酸化カルシウムになるんだが、この過程で物質の中に秘められたエネルギーが熱の形で飛び出す」

「要するに精霊エレメントみたいなものだな」

「そうなのか?」

「自然の移り変わりによって、溢れ出たエネルギーが自我を持つと精霊エレメントになるんだ。だから物質が変化の中で持っていたエネルギーが飛び出すのは、精霊エレメントが生まれる過程に似ていると思う」


 アヤヒと颯太はそんなことを話しながら地道な手作業で水酸化カルシウム水溶液を量産して、瓶詰めにした。


「酢酸とこの水酸化カルシウムを反応させると、酢酸カルシウムが合成できる。この酢酸カルシウム溶液をまた熱処理することで、酢酸カルシウムを単離できる」

「要するに何が起きているの?」

「2CH3COOH+Ca(OH)2→2H2O+Ca(CH3COO)2」

「つまりこう?」


 アヤヒは颯太そうたが口にしただけの化学反応式を完璧に書き取って彼に見せた。

 ――めちゃくちゃ頭良いなこの娘。

 

「そうだ。すごいぞ。教えた以上にできてるじゃないか」

「しまったなあ。ソウタは手のかかる生徒の方が喜ぶのに……で、これなんだっけ、中和反応?」

「そうですね。厳密に言えば酸と塩基を反応させ、水と塩ができる酸塩基反応です」

「あ、ソウタったら先生モード」

「ゴホン……ともかくだ。木酢液と水酸化カルシウム溶液を混合し、まざっている貝殻や木酢液の中の炭を濾過ろかした後、濾液ろえきをゆっくり煮詰めながら浮かび上がってくる油分を除去すれば酢酸カルシウムが採取できる」


 アヤヒはポンと手を打った。酢酸カルシウムと聞いて概ね理解してしまったのだ。

 ――理解が、早い! 早すぎる!

 彼女が理解したと理解した颯太そうたも笑顔だ。


「その酢酸カルシウムから、硫酸を使って酢酸を取り出すの?」

「正解だ。弱酸遊離って奴でな。硫酸を酢酸カルシウムに反応させると、弱い酸である酢酸が酢酸カルシウムから飛び出して、逆に強い酸である硫酸がカルシウムにくっついて硫酸カルシウムになる」

「でもそれだけだと硫酸カルシウムをどうやって取り除けばいいか分からないよ」

「良い質問だなあ~~~~~~~~!」


 颯太そうたはアヤヒの持っていた紙に以下のような反応式を書き込む。

 Ca(CH3COO)2+H2SO4→CaSO4↓+2CH3COOH

 それから下向きの矢印を指差した。


「どうしたのさいきなり矢印なんか加えて」

「硫酸カルシウムは水に溶けにくいんだ。だから勝手に水の中で沈んでくれる。これで余計なものの入っていない酢酸水溶液が取り出せる」

「うわっ、ヒューマン頭良い!」

「思いついた奴が賢いだけだ。人間はたまたま数が多いから、ヌイみたいに逸脱した個体が発生しやすいだけで平均レベルは低い。馬鹿だし身体も弱い。性格も悪い」


 アヤヒは首をかしげる。


「ソウタは人間なんてたいしたことないって言うけど、森人エルフだって賢くはないよ?」

「馬鹿でもエルフは基本的に健康だろうが」

「それは……そうじゃなきゃすぐ死ぬから……ソウタが来てからは今の所そういうの無いけど……」


 試される種族、エルフ。

 ――エルフの人口爆発が今から不安だな。

 とはいえ、そんな不安は一旦横に置くことにした。

 とにもかくにも今はヘロインだ。


「これからもそういう目には遭わせないさ。俺は俺を拾ったエルフの村を守る」

「……君は、変な人間ヒューマンだなあ」


 颯太そうたはアヤヒの肩を叩いた。


「良いんだよ、そんなことは。ほら、さっさと無水酢酸作るぞ。なにせ大量生産をしなくちゃいけないんだ。お前が一人で無水酢酸を大量に作れるようになったらこの村に産業革命が起きる」

「そしたらどうなるの?」

「村が豊かになる」

「それは……良いね!」


 そのために何が犠牲になるのか。そのために何が起こりうるのか。颯太そうたは知っている。

 ――その責任と罪は自分独りで背負っていこう。

 ――だからいつか、お前が正しいと思うことの為に、その力を使ってくれ。

 颯太そうたは嬉しそうに作業を続けるアヤヒを見て目を細めた。

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