第9話 仲里 紗綾がいること

 学校が終わり、凛はそのままバイト先へと向かった。

 紗綾さんにはバイトのことを朝伝えてあったので、放課後にクラスまで来ることもなかった。


 凛が向かった先は、高校の最寄り駅になっている駅ビルだ。

 エレベーターに乗って、一三階へと向かう。

 エレベーターを降りて向かった先はフレンチレストラン。


 分厚い大きな木製の扉があり、店内はシャンデリアの光量が抑えられている。

 そのままロッカーヘ向かって着替えを済ませる。

 襟がちょっとついているウィングカラーのシャツに蝶ネクタイ。

 パンツを履き替えてサロンと呼ばれる、腰に巻くエプロンを着用。

 最後に整髪料を使い、髪がサービス中に落ちないようにセットする。


 ホールスタッフ、キッチンのシェフたちに真っ先に挨拶をして今日の予約を確認した。

 席数六〇名に対し、予約は三五名。



「今日はけっこう予約が入っていますね」


「ああ。今日は金曜日だから、少し多くなっているね」



 夜一〇時になり、凛はお店をあとにした。

 まだデザートを楽しんでいる人はいたが、凛が働くことができるのは一〇時まで。

 とはいえ、その時間になればすでに忙しい時間帯は過ぎていて、閉店の準備も密かに進められる。

 お店側にしても、本当に人がほしい時間帯にスタッフを厚くできるので、凛の存在は重宝していた。


 自宅の最寄り駅に着き、紗綾さんと朝歩いた道を帰る。

 時間は一〇時半を回っていた。もう紗綾さんはマンションにいないはずだ。

 今日はバイトがあったので、朝のうちにスペアキーを渡しておいた。

 紗綾さんの荷物があったので渡しておいたのだ。

 でもさすがにこの時間ではもういないだろう。


 マンションに着いて、家のドアに鍵を差し込む。

 玄関を開けると、玄関からリビングへと続く廊下のダウンライトが点いていた。

 凛が帰ったときのために、紗綾さんが点けておいてくれたのだろう。

 リビングの電気はもちろん点いてなく、あれだけ存在感があったキャリーバッグも寝室からなくなっていた。


 静かなリビング。昨日のことが嘘みたいに凛には感じられた。

 たった一日だけの変化だったにも関わらず、凛は喪失感のようなものを感じていた。

 ――――。



「あ、凛くんおかえりー」



 凛が廊下へ出ると、まるで昨日にタイムスリップしたかのような状況。

 紗綾さんがピンクの大きなキャリーバッグを持って、玄関にいた。



「紗綾さん? なんで?」


「ちょっとお家に荷物を取りに行っていたの。凛くんご飯食べた?」


「まだです」


「そうなんだ。ご飯作っておいたから、すぐ用意してあげるね」



 そう言って紗綾さんはキッチンへ行き、すでに作ってあった料理に火を入れる。

 できあがったのはオムライス。

 ライスの上にオムレツを乗せ、それを割るとトロトロな卵がライスを包んだ。



「あんまり遅いと太っちゃうから、私は先に食べちゃったんだ。ごめんね」


「あ、いえ。全然平気です」


「温かいうちに食べて」


「ありがとうございます。じゃぁ、いただきます」


「召し上がれ」



 見た目で想像はできていたが、口当たりは想像通り。

 卵はフワッとしていて、トロトロした卵が優しい味に仕上げていた。



「美味しい?」



 隣で下から覗き込んでくる紗綾さんが可愛くて、ドクンと胸が鳴った。



「とっても美味しいです」


「よかったぁ。オムライスはけっこう自信あるんだ」



 凛は紗綾が作ってくれたオムライスを綺麗に食べ終えた。

 一応コンビニで買ったおにぎりをバイト前に一つ食べていたのだが、さすがにこの時間まで夕食を食べていなかったので腹ペコだった。



「ごちそうさまでした。とっても美味しかったです」


「そう言ってもらえるとうれしい」



 紗綾さんがジーッと凛のことを見てくる。

 オムライスを食べているときにも感じた視線。

 いつもよりも見られている気がして、さすがに凛の気持ちが落ち着かなくなってきた。



「あの、さっきからすごい見られてる気がするんですけど……」


「うん……凛くん、バイトでは髪セットしてるんだね」


「レストランのホールなので、そういうのはキッチリしないとダメなんですよ」


「うん……なんかね、格好いい」



 格好いいなんて面と向かって言われたことなどない凛は、食べ終わった食器を洗いに逃げることにした。



「凛くん、お風呂も湧いてるから、すぐ入れるからね?」



 なんということか。本来であれば、今頃凛は適当に夕ご飯を済ませていたはずだった。

 ただお腹を膨らませるだけの食事をし、きっとお風呂はシャワーで済ませてしまっていたに違いない。

 それがお風呂の準備までできている。

 一人暮らしを始めてからなかったことで、凛はうまく言葉にできないあたたかいものを感じていた。

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