第10話 何も無くなる人間

 人の恨みは何になるのだろうか。目の前にいる人間には何があるのだろうか、なにか有ったのだろうか。思い返すと私は思い出した、この人間には三人の仲間がいた事を。

 一人は吉田君の様に口が多い男性と、その男性にくっ付いていた女性。そして、今私の目の前にいる『琴音』という女性をおぶって運んだ大柄の男性だ。私はその三人を喰ったのだ。ただの人間の死ではない、身体を滅ぼされただけではない、私はその三人の『魂』を喰らったのだ。もう二度と、死後も琴音という女性はこの三人に会えない。


 目の前の琴音がその事を理解しているように私には思えた。この女性は、恐らくここにいた人間の中で一番私達の事を良く知っているからだ。人間から初めて『恨み』のような想いを直接受けて、私はその事を理解した。


「私にはもう、何もない。トシオももういないんでしょ? ミカも、タクも。そして、私を守ってくれていたモノも――」


 奈落の底というのはこういうモノなのかと思えるほど、琴音の瞳は光など一切通さないほどに暗く深く、私の瞳を瞬きもせずに見て離さない。


「なんていう眼をしているの、まるで奈落の底のような瞳をしているわね。あなたは何を想っているの」


 琴音に私が考える気持ちを返されたようだ、私も同じような感じなのだろうか。何を想っているのか? 何も思わない。先ほどの激しい感情はどこへやら、私はいつもの様に、本当の気持ちのような物は何も感じていない。何も想っていない。もちろん、表面上はそれらしいモノは作れる。だけど、今はそんな気にもなれないほど何もない。


「あなた、何もしゃべらないのね。そっちの幽霊はどうなの? 私はあなた達を消せる? 」


 琴音は何もしゃべらない私から吉田君に質問の対象を移した。だけど、眼だけは私の眼から一瞬たりとも離さない。


「君はたぶん、なにか先輩はおろか、この俺も消せないよ。何故なら、君にはもう何もない。君を守っていた守護霊はとっくの昔に君に住んでいた異形に消されたんだろう。そしてその異形もなにか先輩に喰われた。もう何もない。すぐにでも霊に獲り殺されるよ」


 いつもの明るい調子ではなく、吉田君は琴音に対して淡々と話して答えた。それを聞いている琴音の表情は何も変わらない。変わらずに私の眼だけを見つめ続けている。


「私に住み着いてたアレは、君のいう異形は、一応山の神様だったんだよ。廃れ神だけどね。なんで神様が、怨霊なんかにやられちゃうんだろうね。ねぇ、神様なら私の願い聞いてもいいでしょ」


 私は確かに、この琴音が言う所の神様らしい異形を魂の一片遺さず喰らった。だから消滅しているんだ、身体以外は。琴音が神様というモノにお願しても、以前の神様の身体はなんの反応も示さない。当然だ、私が反応しないのだから。


「もう一度だけトシオに会わせて。あとは、いいや」


 トシオとは、恐らく大柄の男性のことだろう。しかし、魂が消滅しているので本当の意味で『会える』わけではない。私ができる事といえば、トシオと呼ばれる男性の霊体を実体化させて私から出して見せる事だけだ。


「あぁ――」


 トシオを私の身体の横から徐々に出すと、初めて琴音の視線が動いた。だが、表情は変わらない。喜ぶこともせず、悲しむこともせず、何もない表情をしていた。

 トシオの身体を全て出して私から切り離すと、私がその出てきた霊体になんの感情も無いので、実体化した身体は死体のように地面に崩れ落ちた。地面に転がる魂無きトシオの肉体に、琴音が擦り寄って抱き着いた。


「ねぇ、神様。神様がいるって知ってるよ、だってさっきまでいたもんね。だからお願い、このまま私を消してほしいよ。お願い」


 私から出てきたトシオの身体に抱き着きながら、琴美は細い声で呟いた。そんな姿を私は無表情で見つめていたが、いまだに腕の千切れている吉田君が私に提案をしてきた。


「なにか先輩、ここは放っておくが吉っす。あのトシオの霊体は、なにか先輩が呼べば向こうが崩れてまたなにか先輩の中に宿るっすから、このまま先をいきましょう」


 そう小さく言う吉田君は琴音を通り過ぎて、草で荒れ放題の道を先に進んでいった。私もそういうモノなのかと吉田君に付いて歩いていく。横目でトシオだったモノにすがる琴音を見たが、もはや私の方を一瞬でも見ることが無かった。

 しばらく歩くと、吉田君が立ち止まった。どうかしたのかと私も同じく立ち止まるが、森の中をカラスがうるさく鳴いている。そしてよく意識すれば数体の霊の気配も感じた。


「どうするっすか? 戻って見てみるっすか? それか、やっぱり魂喰らっとくっすか」


 吉田君はいつもの通り私に話しかける。そして人間には本来必ず守護霊がついており、その守護霊が私達みたいな存在から宿主を守っているという。守護霊が何らかの原因があって消えてしまえば、その人間は幽霊や怨霊の影響を直接受けたり、襲われて死んでしまうという事らしい。琴音の場合どういう経緯かは謎だが、山の気か神様が元々いた守護霊を消して琴音に取り付いていたらしいが、私にそれも喰われたために霊的に守ってくれる存在が無くなったのだ。あの女性はおそらく、既に憑りつかれたと吉田君は言う。


「琴音ってこ、もしかしたら死んだあと魂が残っていれば怨霊を乗っ取る可能性もあるっす」


 そう言われてあの子の最期を、一応あの子の大切であろう人間の魂を喰った私は見ておくべきだと思った。そしてその事を吉田君に伝えると、吉田君は頷いて道を引き返していく。


「やっぱり、憑りつかれてるっすね」


 琴音は立って虚ろな目で何処か分からないところを見つめていた。琴音の身体から一つの霊の気配を感じるが、その周りにも三体の人間の霊を見つける。吉田君はその一体を捕食し、それを見た私も一体の霊を喰らい、倒れているトシオの霊体を使ってもう一体の霊も捕食した。


「としお、わたしは、どうすればいいの、どこにいったの」


 虚ろな目で森の暗闇を見つめながら、琴音はぼそぼそと呟いている。心の方向を無理やり変える憑りついている霊は、琴音を森の奥に誘う。その時吉田君は琴音の進むほうを遮ろうとするが、憑りついた霊がそれを阻止させる。


「じゃま、しないで」


 吉田君はやれやれという感じに溜息をつきながら首を横に振った。そして私を振り返って見ると、一つ頷いて続けた。


「消滅させてやりましょう。この子はもうダメっす。死んでないのがたち悪いっす。怨霊にもなってないっす」


 私が琴音の不幸の種をまいた張本人であるため、私も琴音の気持ちをできるだけ尊重して、一瞬の正常な意識も無く消滅させてあげようと思った。私は森の中に入りつつある琴音を、私自身の口で消滅させようとした。大きく口を開いて牙を剥き、苦しまない様に瞬間的に魂を喰らおうとした。しかし、一瞬憑りついている霊が防衛のためか出てきて、憑りついている霊の一部しか食べられなかった。琴音の魂を喰らうどころか、一片も食えていない。


「憑りついた霊が、乗っ取られる」


 吉田君が危惧したように、琴音の意識は自我を取り戻して憑りついたはずの霊を乗っ取った。まるで無理やり生き霊にされたようにだ。


「私は、あなたを恨む。私は覚えている。忘れない」


 自我を取り戻した琴音は私に立ち向かうと、か弱く瀕死で貧弱な生き霊を使って私を襲った。当然というのか私を喰らうことはできず、勝手に出てきたルーフによって生霊は殆どを削り喰われた。

 さらに攻撃を仕掛けようとする姿勢を見せる琴音は、なんと方向を横に向き変えて私から全速力で逃げ出した。今の状態では私をどうすることも出来ないことを悟ったのか、琴音はコチラを一瞬でも見ることなく走り去った。


「追わないんすか? 」


 私から逃げ出していった琴音。だけど、さっきのような感情は湧き起らなかった。何故なら、逃げるのに明確な理由があるからだ。それが私にもわかったからだ。彼女は、琴音は私を消滅させるために、今は生き延びて準備をするために私から逃げている。

 理由がわかればいい。理由がわからないのに私から逃げ出すのが、私は悲しくて、憎くて、虚しくて、愛おしかったのをふと感じた。

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