7/11 「反重力力学少女と女装少年の詩-19」

「ハ~イ二人とも! 元気してた?」


 翌日、ロゼにより開くことのなかった扉が開かれた。

 結局、僕達がそういう行為に及ぶことはなかった。正直あと半歩で理性が崩壊するところだったが、ゾウの思惑通りにはならんという気持ちが僕を押しとどめた。

 あいつが悪いことは何一つ変わりないが、萌木さんとの心の距離が近付いたことだけは感謝しなくてはなるまい。昨晩は初っぱなからくっつかれて気が気でなかった。

 既に身支度を調えいつでも出れるようにしていた僕達は、ロゼの言葉に頷く。


「ちょうど今、鬼ヶ島直下に到着したところだわ~。こっからはあなた達にも見てもらったほうがいいと思ってね~、艦橋まで付いてきてちょうだ~い」


 二日ぶりの通路を、ロゼにくっついて歩く。何か準備があるのか、オクトパ人達がせわしなく行き交っていた。

 艦橋に入ると正面の大きなスクリーンに海らしき青が広がっている。しかし最初に来たときと比べ、その青は黒からより水色に変わっていた。すでに船は、海面付近まで上昇しているらしい。前方のオクトパ人が肌の明暗をせわしなく変える。そして波が広がるように、他のオクトパ人もその肌の色を変える。


「そろそろ海面ね~、ちょっと揺れるわよ~」


 ロゼの言う通り、下から浮遊感が訪れた。何度も上下に揺れていくうちに、浮遊感はだんだんと収まっていく。明度補正が終わったスクリーンには、薄暗い海上の景色が映し出されていた。


「ここが、鬼ヶ島雲海の中……」


 比較的凪いだ海面がどこまでも広がっている。水平線の向こうには、厚い雲の壁がどこまでも立ち上がって青空を塞いでいる。さらにカメラアングルが上に向かうと、曇天のぼんやりとした明るさに丸い蓋が覆い被さっていた。一定間隔ごとに白い星が輝いている。

 ――それこそが鬼ヶ島の底面であると気が付くには、少しばかり時間がかかった。


「この天井が全て、鬼ヶ島なのですか……?」

「計測によると、だいたい佐賀県くらいの面積ね。そんな塊を浮かせるだけのエネルギーなんて、考えるだけで恐ろしいわ~……」


 僕達だけでなく、オクトパ人もその光景に呆気にとられている様子だった。ある者は触腕をくねらせ、ある者は肌を点滅させている。僕達は今から、この天蓋の上に向かおうというわけだ。


「それで、ここからどうするんだ? 飛行機でも乗せてあるのか?」

「あら、最初に言ったはずよ~? 〈ミェルビュエレ〉は“汎用艦”なの」


 ロゼの言葉に続くように、艦長が肌を白くする。操舵手らしいオクトパ人が計器を見ながら、艦内に鳴り響くブザーを鳴らした。

 再び船体が揺れる。しかし今度は緩く大きな揺れでなく、震動と表現するべき細かな揺れだった。

 スクリーンの視点が徐々に高くなっていく。やがてそれは、船体の全高を越え、二倍、三倍と高くなっていく。〈ミェルビュエレ〉もまた、宙に浮いていた。


「鬼ヶ島は反重力機構なんてとんでもないものらしいけど、私達のはシンプルだわぁ」


 ロゼが端末を取り出し、その画面を僕達に見せる。

 その画面には現在の〈ミェルビュエレ〉を図示したイラストが描かれていた。乗る前に見たあの巨大な船体に、何個もの大きな風船がタコのように足を絡ませている。


「ヘリウムガスを充填したバルーンを付けて軽量化した船体を、水素燃料で持ち上げてるの。〈ミェルビュエレ〉自体、水圧に大して強固な構造を取っているだけで船体はあなた達の想像以上に軽いわ~。だからこそ可能な方法ね~」


〈ミェルビュエレ〉はどんどんと高度を上げながら、エンジンを噴かして島の端に向かって移動する。


「さて、鬼ヶ島に行けるとは分かっていても、実際に上陸するのは私達も初めてだわ~……いったい何が待っているのかしら~」


 鬼ヶ島――五百年前の〈鬼ヶ島大戦〉を引き起こした張本人であり、世界人口を半減させた人類の敵であり、僕から父を奪った敵。それこそが、イロハの生まれ故郷だ。

 いったい何があるのか。そして、イロハについて何か手がかりとなる情報はあるのか。

 生唾を飲む。到着もしていないのに、すでに緊張がひどい。

 そのときふと、左手に触れるものがあった。


「大丈夫ですよ、杉山さん。イロハちゃんは絶対に助けられます」

「……萌木さん」


 その微笑みに助けられ、僕は少し心を落ち着かせる。

 手汗大丈夫かなと思いながら、少しだけ手を握り返した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る