7/1 「反重力力学少女と女装少年の詩-9」

「――いたっ」

「大丈夫? ほら、ハンカチ」

「ありがとうございます。少し擦りむいただけですので、杉山さんが心配するほどではありませんわ」


 商店街で古書店の他に唯一開いていた桶屋で買った小さい桶に水を汲み、萌木さんは擦り傷のついた膝を洗い流す。最後に男に突き飛ばされた萌木さんは、勢い余ってそのまま転んでしまったのだ。イロハを攫うだけでなく萌木さんにまでケガをさせるような人間に、僕は抑えきれない怒りを覚えていた。

 しかし、ヤツらは既に飛び去ってしまった。イロハを探すためにも、その行方はどうにかして見つけなければならない。


「銃、それにあのヘリコプター……あの方々は、一体何者なのですか?」


 絆創膏を貼った萌木さんが僕に聞く。ここまで巻き込んでしまったのだから、事情を話さないわけにいかないだろう。僕は萌木さんに、イロハが空から降ってきたこと、イロハは親戚でも何でもなく鬼ヶ島からやって来た少女で、鬼ヶ島に帰る方法を共に探していたことを説明した。

 こんな話を信じてくれるだろうかと不安でしかなかったが、萌木さんの反応はすんなりしたものだった。


「イロハさんが、鬼ヶ島から……なるほど、そういうことでしたか」

「そういうことって、信じてくれるの?」

「目の前で実際にあんなことをされてしまっては、信じたくもなります。それに、杉山さんは嘘をつきませんから」

「っ」


 さらっとそういう事を言うの、余計好きになってしまうのでやめてほしい……。


「それで、杉山さんはこれからどうするんですか?」

「もちろん、あいつらを探すよ。このまま見過ごすことはできない」

『とはいえ少年、またしても情報がないよ』


 ゾウの言う通りだ。そもそも僕達はイロハが何者なのか、あの男達の目的が何なのかすら知らないのだ。僕は思念でゾウに尋ねる。


(パンツ回線で居場所とか追えないのか?)

『確かにイロハ君は今少年のパンツを穿いているはずだけど、少年がイロハ君のパンツを穿いていない以上つながりは弱いんだ。それにあれの接続限界はせいぜい百メートル、今の状況じゃ探すのすら不可能だよ』

(くそっ)


 どんどんと状況がややこしく、困難なものになっていく。


『僕達がとれる選択肢は、大きく二つだ。イロハ君を直接救いに行くか、最初の目的通り鬼ヶ島に向かうかのどちらかだ』

「俺たちが鬼ヶ島に行ってどうするんだよ?」

『あの男達がイロハ君を攫う理由について、何か分かるかもしれないじゃないか』

「あの……杉山さんは誰かと話しているのですか?」

『おおっと、お嬢さんに聞こえるようにしてなかった。――やぁ、僕の声が聞こえるかい?』

「わわっ、なんですかこの声!?」


 ゾウの声に萌木さんは上を見上げあたふたする。


『僕はしがないゾウの妖精だよ。色々あって、今は少年とイロハ君に協力している。ちょうどいい、僕がイロハ君について話して聞いている情報を整理しよう』

「ちょっと待て、萌木さんまで手伝わせるつもりか?」


 萌木さんはただ出くわしただけだ。さっきのように銃を向けられるような場面があるかもしれない以上、巻き込むようなことはしたくない。


「いえ……私にも協力させてください、杉山さん」

「そんな、僕は萌木さんを巻き込むようなことは」

「ここまで関わってさようならと言えるほど、私も薄情な人間ではありません。確かにまだ、さきほどの事を思い出すと怖いですが……それでも、イロハさんは一度共に同人誌を選んだ仲です。放ってはおけません」

「萌木さん……うん、ありがとう。萌木さんに協力してもらえるなら、どうにかなるかもしれない」


 BLが生んだ絆が、ここに一人の味方を作った。


『さて、それじゃあ僕の話す番だ。とはいえ、僕もそこまでイロハ君について知っているわけじゃない。ヤツらがイロハ君を欲しがる理由であるあの能力についても、彼女が生まれた時から使えたらしい、としか知らないよ。そもそも彼女自身、使い方こそ知ってても使える理由は知らないみたいだったからね』

「要は謎のままってわけだな」

『そうだね。あとは鬼ヶ島でどうやって一人で暮らしていたのか聞いてみたけど、人はいないだけで動物はいるらしいんだ。犬とか猿とか、その他諸々』

「なるほど、一人で育っても言葉が使えるのはそういうことなのですね」

『役に立ちそうな情報は、せいぜいそのくらいかな。とりあえず、さっき言ったように僕達がイロハ君のために出来る行動は二つだ。ヤツらを直接探すか、情報を増やすためにまず鬼ヶ島を目指すか』

「まだ方向性が定まってるのは、鬼ヶ島の方だな……」


 しかし、そちらもほとんどふりだしにいるようなものだ。僕達の手元にあるものといえば、BL同人誌、ゾウに頼まれて買った竜宮城触手快楽堕ちモノ、イロハが落としていった、B級映画臭が拭いきれない鬼ヶ島VS宇宙人漫画だけであった。


「これがヒントになるわけないしなぁ……って、萌木さん何やってるの?」


 萌木さんはスマホを操作し、メッセージアプリで何やら連絡をとっている。


「遠藤さんと草薙さんに、宇宙人について知っていることがないか聞いてみます。試さずにあり得ないなんて、今の私には馬鹿らしい考えですから」

「萌木さん……」


 そうだ、その通りじゃないか。僕だって一昨日まで、空から女の子が降ってくるのはジ○リだけだと思っていたんだ。どんなに馬鹿らしいことでも、まずはやってみなければいけ――


「あ、草薙さんから返信が来ました」

「早っ!?」


 何も考えず、思ったことを書いただけに違いなかった。薄情なやつめと内心肩を落としながら、僕は萌木さんのスマホの画面を覗き込む。そこにはたった一行、あまりに簡潔な文章が表示されていた。



『知り合いにいるけど、宇宙人』

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