終章
「ダイアナ、今日私は気象課に行くからな」
朝。父はそう言って出て行った。父を見送る振りをしてボーッと作り物の空を眺める。
父が見えなくなったあたりで家に引っ込むと、机の上には父が忘れて行ったであろうお弁当が置いてあった。
「これは…」
気象課に入る用事ができてしまった。きっと誰かわからないが神様も味方しているのだろう。
昨日の夜中にまとめた荷物を家から持ち出し、リューの家へと走る。
「リュー!行けるわよね?行くよ!」
あまりにも雑な声かけ、しかしリューも昨日準備は終わらせたようで、荷物を持って駆け出してきた。
「おう!急だな、もう行くのか」
「お父さんが弁当を忘れて行ったの。これで怪しまれず入れるでしょう?」
「ナイスだなスイード博士」
ドームの外側へ向かって走る。
この月面コロニー『ルナ』では、主要施設は基本的に中央に揃っている。
中央には月政府の多くの施設が。それを囲むようにビル街がそびえ立つ。
その一歩外側は住宅街。多くの人々はここに住んでいる。
住宅街には東西南北にそれぞれ商店街が存在し、人々の多くはそこで買い物娯楽全て済ますことができる。
そのさらに外側は、貧しくなってしまった人たちが小さな村のようなものを形成し、細々と暮らしている。
私の父は変わり者なので、西の村の隅っこに家を建てた。変人の考えは理解ができない。
さて、ドーム縁部はそもそも立ち入りが制限されているし、じゃあなぜ中央と反対側へ向かって走っているのか。それは、気象課の建物自体がドームの西端に存在するからである。
機能上、そうせざるを得なかったらしい。
「見えた!あの横長な建物が気象課よ!」
ドームの端っこという制約上、高く積めないから横に伸びた建物は空に溶け込む綺麗なビルだ。空と同じ映像を投射しているため、見づらい。
少し離れたところで息を整え、正面から普通に入る。
「本日はどのような御用事ですか?」
子供にもマニュアル通りの笑顔の受付嬢だ。なら、こちらも笑顔で返答。
「父が弁当を忘れて行ったので届けに参りました。ブリッジ・スイードの娘です」
「かしこまりました。少々お待ちください…」
名も知らぬ受付嬢がどこかへ電話をかけ始めたところで、遅れて入ってきたリューがこっそり耳打ちしてくる。
「外に秘密フロアに繋がってそうな通気口があったよ」
「了解、ちょっと待ってて。これ渡したらすぐだから」
連絡がつながったらしい受付嬢が目線を向けてきたので話をやめる。
「ミズーリ博士は現在手が離せないようです。荷物をお預かりしましょうか?」
「んー、そうね、じゃあお願いするわ」
最後まで笑顔を崩さなかった受付嬢に父の弁当を渡し、普通に外へ出る。
「こっちだ」
リューに手を引かれ、建物の横側へ回ると、確かに子供ならギリギリ入れそうな通気口が、小高い丘に隠れるようにして存在した。
——何故だか足がすくむ。緊張しているのだろうか。
「ダイアナ、大丈夫。俺がいりゃなんとかなるって!」
あまりにも説得力のないリューの言葉、しかし何故だか元気が出てきた。
「そうね、あんたがいればまぁ、なんとかなりそう…」
そう言って通気口をこじ開け、体をかがめて中へ入った。
中は掃除ロボットが巡回しているのか、思っていたより綺麗であった。
昨日二人で考えたルートを黙々と進む。
——出口だ。
リューの小声に、心の準備を決める。
通気口を出ると、無機質な通路がそこにはあった。
地図を見ながら、警戒をしながら。警備の隙をついて、ゆっくりと進む。
「よく見たらここ、監視カメラも何にもないんだな」
「それだけ、隠さなきゃいけないってこと…?」
見つかることなく二人は進み、そして——。
「あった、宇宙局」
見上げれば、そこには重厚な扉と、扉の上に宇宙局と書かれたプレート。そして、大きく書かれた関係者以外立ち入り禁止、の文字。
「どうやって入るの?私、何も考えてなかったわ」
「それはだな、このお手製発煙手榴弾を——」
——曲がり角の奥から足音と話し声が聞こえた。
「まずい、どうすれば」
「とりあえずこの扉に入りましょう!」
二人は慌てて、正面の扉ではなくすぐ後ろにあった別の部屋へ静かに隠れる。
……話し声は過ぎ去った。どうやらバレなかったようだ。
リューが扉を薄く開け、周囲を伺っている。その間に部屋を見回してみる。
すると、壁に積まれているのは沢山の書類や本だった。
「リュー、リュー!これ、見て。多分書類庫よ、ここ」
「!なら、設計図もあるかも…いや、流石に無用心すぎないか?」
「とりあえず探してみましょう。なかったら別を探せばいいわ」
二人で手分けして書類を軽く漁る。
向こうでは何かを見つけたのか、リューが写真を食い入るように見つめている。
そして、その瞬間は唐突に訪れる。
——紙に描かれていたのは、流線の美しい滑らかな機体。後部にくっつく何機ものエンジン。それは、きっと私たちの探していたもの。
「宇宙船の、設計図…!」
「なにっ!?こんなところに?」
「ええ、みて。きっとそうよ」
もう一度二人で内容を確認する。…何度見ても、それは宇宙船に相違無い。
——ああ、きっとこれがあれば。
「良かったねリュー、これで地球に行けるよ」
「良かったなダイアナ、これで地球に…え?」
それを口に出したのは同時だった。
——そして、部屋の扉が開いたのも同時だった。
「あーっと、何だこのガキ…?」
「逃げろ!」
リューが発煙手榴弾を投げる。煙が視界を遮る。
急いで扉を抜け、来た道へと駆ける。
「侵入者だ!」
警報が鳴り響く。後方から足音が迫ってくる。
どうやらさっき通ってきた通路からも来ているようだ。
「こっちだ!」
リューに従って角を曲がる。どうやらここはドームに接しているらしく、壁がうっすらとカーブしている。
走る、走る。煙幕はうまく機能したらしく、追ってきているのは二、三人のようだ。
「リュー、確かそこを右に曲がったところにも通気口があったはずよ!」
「わかった!」
先に曲がったリューに続くように角を曲がる。
——しかし私は、視界に一瞬入ってきたものに気を取られそちらに振り向いてしまった。
何故だか、そこの壁だけは他と違っていた。
何故だか、そこの壁だけガラスで作られていた。
少女の眼前に広がったのは、遮るもののない満天の星空と、青く、蒼く輝く地球であった。
——見つけたぞ!
——ダ、ダイアナ!
初めてみる景色に、その美しき光景に、ずっと願っていた瞬間に出会えた少女の耳には、もう誰の声も届かない。
「これが…地球…」
視線も、意識も、全てが地球に吸い取られる。だから——。
——撃て!——
放たれた弾丸が、彼女の首を貫くのは、当然の摂理であった。
飛び散った血飛沫が、窓に付着する。
美しき地球を彩る赤い華は、最期まで地球に憧れを抱いた少女を感動させるのに十分であった。
「——きれ、い……」
ダイアナに言われた角を曲がる。確かに通気口を見つけた。
彼女に感謝しようとして、ついてきていないことに気がつき振り返る。
見えたのは、一部分だけ切り取って貼り付けたような暗い星空と、それを食い入るように見つめる少女と、青く、蒼く輝く地球であった。
「ダ、ダイアナ!」
——見つけたぞ!
まずい、見つかってしまったようだ。しかし声をかけても反応がない。
「ダイアナ!」
——撃て!——
届くはずのない手を伸ばす。銃声が響く。そして、窓に血飛沫が飛ぶ。
美しき地球が血で遮られる。——視界が、眩む。
「——………」
彼女の最期の声も、遠く聞こえなかった。
恐怖で足が震える。
彼女の顔も、見に行くことすらできない。
逃げなくては、逃げなくては。頭に声がこだまする。
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