第179話


 ねぇ、ディル。


 アタシね、貴方に逢えたら、貴方が戻って来たら、色んな話をしたかったの。

 子供、生まれたんだよ。アタシと貴方の子供。双子なの。二人ともとっても可愛いよ。

 貴方が今でも一緒にいてくれたら、アタシはあの子達を手元で育てる事が出来たかな。


 ねぇ、ディル。


 今日も貴方の夢を見たよ。いっつも無表情の貴方だったけど、夢の中じゃ笑顔を見せてくれたの。

 アタシ、やっぱりディルならどんな表情も好きみたい。……好き、ってか、愛してるんだけど。

 結局夢だったから覚めちゃった。あのまま寝続けてたら、いつか貴方の元に行けたかな。


 ねぇ、ディル。


 結局アタシ、貴方の好物って未だに知らないままだね。フュンフに聞いたけど全然教えてくれないの。

 アタシが作ったものは何でも食べてくれたけど、せめて一回は貴方の好きなものを一杯食べさせてあげたかったよ。

 死ぬ前に教えてくれたら良かったのに。アタシ、頑張ってそれ練習するからさ。


 ねぇ、ディル。


 知ってた? アタシ、貴方が初恋だったんだよ。強くて、格好良くて、アタシは初めて逢った時から貴方に惹かれてた。

 貴方はどんどん出世してったね。それでもアタシは貴方に追いつきたかった。隣に並べなくても、せめて認めて貰いたかった。

 アタシは貴方が誇れる妻だったかな? 一緒に居て恥ずかしくなかった? 貴方は今でも、アタシの自慢の旦那様だよ。


 ねぇ、ディル。


 もう、置いていかないでね。




「お前だったのか……!! お前だったのかよ暁!! クソっ、ラドンナそこを退けぇ!!」


 悲痛なミュゼの声が工房内に響き渡る。ディルの事を殆ど知らない筈のミュゼが激昂している姿は、アルギンの視界には入らない。

 視界が涙で歪む中、アルギンは愛しい男だけを見ている。


「流石最強と謳われるだけあって、捕縛には手こずりましたよぉ。けれどプロフェス・ヒュムネとの戦闘で大分やられちゃってて、ウチ王妃殿下に相談したんですよねぇ……。『最強の剣士を素体に、人形を作りたい』って! 快諾してくれたのは意外でしたが、彼があっさり死んでしまったのも意外でしたぁ。……ククッ、それに………たった二言で、抵抗止めるんですもん。『敵前逃亡したアルギンとフュンフの身柄を拘束している。逆らえばあの二人の首が飛ぶと思え』って」


 彼が。そしてソルビットが守ろうとした二人の事を、利用して。

 楽し気に語る暁の唇は、恍惚に弧を描いている。

 アルギン達の身柄は拘束ではなかった。しかし、戦場にいた彼が―――ディルが、それを知る筈もなく。

 嘘で塗り固めた刃で、彼の命が消えたことを知らされる。けれどアルギンにとって、それらはもうどうでもいい事だった。


「あれだけ強かった男でも、首を刎ねたら動かなくなるものなんですねぇ?」


 楽し気に語るその声を、アルギンはもう聞いていない。ただ愛する者から紡がれる自分の名前を、嬉しそうに反芻している。くぐもった声はまだ続いている。その声をもっと近くで聞きたい、その頬に触れたいと、アルギンは足をまた一歩進めた。


「アルギン」

「……うん」

「アル、ギン」

「そうだよ、ディル」


 例え姿形が変わろうと、彼が彼であるなら。愛しいその声が、名前を呼んでくれるなら。

 アルギンの足が踏み出される。


「―――あいして、いる」


 くぐもった声が、アルギンの待ち望んだ言葉を放つ。

 アルギンの涙は枯れることが無く、照れ笑いを浮かべる頬を絶えず濡らす。


「うん」


 一緒に居る間ずっと聞きたかった言葉なのに、一番最期の一回しか言って貰えなかった。そしてアルギンは、最期の最期にその言葉に想いを返すことが出来なかった。

 今なら返せる。この瞬間を、アルギンはずっと待ち望んでいた。もう二度と離れなくていい、もう決して離れたくない。


「アタシも、」


 愛してる。


 ―――その言葉が唇から放たれる前に、目の前でディルの姿が大きく傾いだ。

 アルギンの目が見開かれる。何が起きたか分かっていない。ただ愛しい男の成れの果てが、目の前で床に倒れていく。そして、漸く、それをした影に目が向いた。その影は、アルギンの知っている男の姿をしているように見えた。

 姿が、亡くした兄と重なる。兄弟だから、似ていて不思議ではないのだが。


「―――にい、さ」


 その呼称を呼び掛けた所で、怒声が響く。


「アルギン、正気に戻りなさいっ!!!」


 それはアクエリアの声だった。ディルを殴りつけて蹴りつけて、床に引きずり倒す。そのアクエリアを狙って、スピルリナが床を蹴った。


「アルギン、それは人形です! もう彼はいない! 死んだ!! その死を冒涜する暁に、アルギンが流されたら本当の彼が浮かばれないっ!!」


 武器のないアクエリアを襲うのは簡単で、その背中を狙って人形の足が振り抜かれる。それを阻止したのは、緑色の幾筋もの蔦。プロフェス・ヒュムネであるスカイの背中から出現したそれらが、アクエリアの盾となる。


「アクエリアさん、気を付けて!!」


 蔦はそのまま人形の足に絡みつき、身動きを封じた。しかしスピルリナはそれらを簡単に振り払い、距離を空ける為に跳躍する。身軽な体は宙を回転しながら、曲芸師のような動きで地に降りた。


「……上手く弄れませんでしたねぇ。馬鹿の一つ覚えみたいにそれしか言わないなんて不良品も良い所です」


 死して尚、アルギンへの愛を紡ぎ続ける自身の人形に舌打ちする暁。それに応えるアルギンの姿は、暁にとって不愉快なものだった。戦闘が始まった工房内で、暁がディルに近寄る。床に倒れたディルの顔から、また肉片が床に落ちた。


「ディル。これは命令だ、ここにいるオーナー……アルギン以外の全員を殺せ」

「………アル、ギン」

「……どうした。早く動け」


 冷たく命令を言い放つ暁の声は、この場に居る誰も知らない声。アルギンは床にへたり込み、流れる雫を床に吸わせていた。乾いた音を立てて、彼の形見であった剣が床に落ちる。

 涙が止まらない。嬉しくて、悲しくて、そんな姿になってまで愛を囁いてくれる最愛の人が目の前にいる。その愛する人に、愛を伝えることをアクエリアに邪魔された。なんで、こんな状態になってまで、アルギンの目の前にはままならない事ばかり立ち塞がる。

 ―――けれど、アルギンはそんなアクエリアに感謝していた。


「アルギン、あいして、いる」

「そればっかりだな、不良品が……!!」


 暁は人形を蹴り上げる。鈍い音がしたが、ディルは痛がる素振りを見せない。人形だからか、痛覚がないのだろう。

 は、と、アルギンの口から吐息が漏れた。これが吐瀉物でないだけ、アルギンの心も落ち着きを見せている。


「アクエリア」


 震える声が、愛する人ではない者の名を呼んだ。


「使え」


 そっと、小刻みに揺れる手が、アクエリアに向かって床の上の剣を滑らせる。そうして立ち上がったアルギンの表情はもう、怒りも笑いもしていない。

 アクエリアはその剣を手に取った。構える姿は、今まで見たことがないくらい凛々しい。そんな顔も出来るんじゃん、と笑いたかったが、顔の筋肉は思ったように動かない。


「ミュゼ、スカイ、アクエリア。人形を任せる。そしてアタシの邪魔をするな」


 アルギンの両手が、涙で濡れた服の上を滑る。その手は前屈みになって、床の涙に触れた。泣いて荒くなった呼吸を落ち着かせて、口から上らせる命令。


「―――『水の精霊』」


 その詠唱をするのはディルを喪った戦場以来かも知れない。それでも唱えずにはいられない。この怒りを、悲しみを、失望を、絶望を、憎しみを、恨みを、そして今でも途切れることのない愛情を、今なら形に変えられる。言葉が口から上る度、涙は質量を増して手の中に納まっていく。

 最後の詠唱を終えた時、床から短剣の形をした水の剣が姿を現す。それはアルギンの涙を媒体にして形作られたもの。昔に血で作った針は瞬時に姿を元に戻したが、これはアルギンの手に刃の形で収まったまま崩れない。短剣の形なのは、それがアルギンの今の限界だから。

 あの時と何が変わったのだろう。どうしてあの時、この力が無かったのだろう。フュンフと同じ問いを繰り返して、自嘲の笑みがアルギンの口に零れた。


「暁。アタシさぁ、もし近い将来ディルの首が見つかって、ちゃんと弔えて、それでその先暁の気持ちも変わらなくて、アタシの事ずっと大事にしてくれるってんなら、まぁ少しは未来を考えなくもなかったよ」


 その短剣は手に馴染む。オルキデの体に残してきた短剣よりも、ずっと。感情全てが綯い交ぜになった、アルギンそのものの刃だった。


「でもさぁ、アタシお前さんがそこまでゴミだったなんて思わなかったわ。アタシがちょっとでも考えた時間を返せ。アタシがお前さんに使った時間、返せないならその首を代わりに差し出してもらおうか」

「首? ……いいですよぉ、勝負なら受けて立ちます。けれどアルギンにも何か賭けて貰わないと困りますねぇ? 永遠で良いですよ。貴女のこれからを、ウチが勝ったら全部貰います」


 暁の話すのを横目に、アルギンが一瞬だけディルに視線を向けた。彼は、動いていない。命令無視する人形なんて、飾りも良い所だ。それが暁の誤算なのだと思うと、運命の神とやらに感謝の念を抱かずにいられない。

 暁が聞こえよがしに指を鳴らす。その瞬間、戦闘を繰り広げていた二体の人形が暁の元に集まった。人形達はその場で、そうするのが当たり前な様子で、自らの片腕を引きちぎる。


「……悪趣味……」


 ミュゼが小声で呟いた。

 腕を縦に割って中から現れたのは一対の剣だ。それを両手に持って、暁が二体に微笑みかける。


「ご苦労様、二人とも。さ、行きなさい。狙いが外れたとしてもアルギンだけは殺してはいけませんからね?」

「了解、マイマスター」

「承知、マイマスター」


 淀みない人形の返事。片腕を失った人形は、呼ばれる前に戦っていた相手の元へ舞い戻る。

 ミュゼはラドンナ。

 アクエリアとスカイはスピルリナ。

 アルギンは暁。

 人形二体は向かい合うより先に殺し合いを始めた。ミュゼの怒声が、アクエリアの詠唱が、スカイの悲鳴が聞こえる。


「……暁、お前さんと王妃だけは許さない。今までやってきた罪を、今この場で……アタシの前で償え」

「あはぁ、それを貴女が言いますか? 棚上げは良くないと思いますよぉ?」

「そうだな、だから」


 崩れてしまいそうな精神は、仲間の存在があるからこそ皮一枚の所で繋がった。

 最大の感謝を。仲間がいなければ、既にアルギンの心は壊れていただろう。


「地獄に住む時のお隣さんとして、この世での最期の挨拶してやるよ。先に逝って待ってろ」

「わぁ、隣に越してきてくれるんですねぇ? 嬉しいです、ずっと一緒に居ましょうねぇ」


 暁を仲間だと認識しそうになった時もあるにはあった。けれど今はそんな感情、唾でも吐いて踏み躙りたい思いしかない。

 殺す。

 殺す。

 ―――ブチ殺す。

 愛を履き違え、アルギンの感情を煽って楽しむだけの男に刃を向けた。

 何度殺したって足りないだろう。その体を魚の餌のように切り刻んだって、その顔をディルと同じに崩したって、満足しないだろう。


 それだけの事をやってのけた男を、今、六年越しの仇として討つ。


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