第122話
一夜明けて、街の様子はがらりと変わっていた。
酒場はその街の様子を窓から見ていた。朝一でアルカネットが自警団詰め所に向かった時も、僅かに開いた扉の隙間から見えた外の景色にも、起きてその光景を目にしていたギルドメンバー達は何も言わずにいる。
朝早い時間だと言うのに、五番街の通りには人の影がちらほら見えている。それは朝早い職人たち、という訳ではなく。
荷物や家財道具を持った者達が、足取りも重く道を歩いている。荷物を運ぶのに疲労が過ぎたのか、アルギン達の酒場の目の前、窓の外で倒れた女性がいた。荷物は背負ってる大振りの荷物、といった所か。体の線を出さないゆったりしたジャンパースカートを着た、少し焦茶色に見える黒の髪。
「アルギン………」
ユイルアルトが懇願するような目でアルギンを見た。ジャスミンも同様だ。
その瞳が何を言いたいのかを察して、アルギンが頭を掻いた。
「………あーもう。しゃーねーな、今回だけだぞ」
それだけ言うと、アルギンが扉を開いて外に出る。
女性はアルギンの姿に気付いたようで、のろのろと顔を上げた。
「大丈夫か、お嬢さん」
「……あ……」
「立てるか。少し休んでいくとい、………」
アルギンが女性の手を優しく引き、女性を立たせる。その瞬間。
「イル! ジャス!!」
店の外からアルギンの大声。
「椅子並べろ!!」
何事か、と窓に駆け寄るのはユイルアルト。ジャスミンは何が何だか分からずとも、言われた通りに椅子を並べ始めた。
窓の外。女性とアルギンが二人並んで……いや、アルギンが女性に肩を貸している。
その時点でユイルアルトも気付いた。
女性は、身重の体だった。
「……どう、お礼を言えばいいか……」
女性の名前はクプラと言った。
並べた椅子に毛布を敷き、ソファ代わりに横にさせる。
ユイルアルトの見立てでは、もう臨月近いという事だ。服のせいで、ただ見ただけでは妊婦だと解らなかった。この頃の妊婦ならもう少し全身に丸みがあってもいいのだが、女性は栄養状態も良く無さそうで。
アクエリアが水を運んで来た。
「お気になさらず、こちらがやりたくてやっただけです。女性が倒れているのに助けない酒場のマスターではありませんから」
クプラに水を渡しながら、アクエリアが嘯いてみせる。直前まで助けるかどうか迷っていたアルギンには痛い言葉だ。妊婦だと最初から分かっていれば絶対助けたのだが。
気不味さに煙草を吸おうとしたアルギンだが、妊婦の前という事もあり流石に自嘲した。手も口も縋るものを無くしたアルギンが、無言でキッチンに引っ込んでいく。
「それで、何処かに行こうとしていたんですか?」
アクエリアの問い掛けは、クプラの顔を曇らせた。
「……それが、恥ずかしながら行く当てがなくて……」
まるでこの酒場に身を寄せる前の自分を重ねているようなジャスミンとユイルアルトの二人が気の毒そうな顔をする。
「行く当てもないのに、何故?」
「御存知ですか? 昨日の地震で、二番街がまるまる落盤してしまったんです」
「……それは」
知っている、知らない。
どちらを言おうか決めあぐねたアクエリアが言葉を濁す。
するとクプラは、このメンバーが知らないという前提で話し始めた。口調は落ち着いているが、話す内容に動揺が滲み出ている。
「昨日の地震で外に出ると、二番街の方から大きな土煙が上がっていたんです。三番街にも地割れが……あ、私は三番街に住んでいたんです。昨日の地震の後、一睡も出来ませんでした。二番街があんな……。あんな事になって、三番街では多くの人が逃げ出しています。私は頼れる人もいなくて、それなのに次また地震が起きたら、三番街も落盤するって噂が流れ始めて……」
「三番街も、落盤する?」
「あんな地震は初めてでした。私は、それが不安で不安で……」
「頼れる人もいないのに? ……失礼ですが、御主人は?」
「……私の妊娠を知って、どこかへ。それから、私は独りでこの子と……」
「そう、ですか」
「なんですかその男、酷い……!!」
ジャスミンが憤慨する。確かに腹立たしい話だが、聞かない話ではない。特に三番街ともなると、そんな不届き者はごろごろしている。クプラはそんなジャスミンの様子に、少し安心したように微笑んでいた。
「……いい人だったんです、妊娠が解るまでは。優しくて、明るくて、色んな話をして……」
「クプラさん」
「………だから、私は嬉しかったんですけど……」
クプラの手が優しく腹を撫でる。ユイルアルトは、その行為を悲し気な目で見ていた。
「……クプラさん、貴女、産婆のご予定は?」
「本当だったら、知り合いの方にお願いしてたんですけど……、この騒動で、どこかに行っちゃって」
「アルギン!!」
ユイルアルトが大声でアルギンを呼び戻す。奥でコーヒーを飲んでいたらしいアルギンがカップ片手で走って来た。
「はいはい、何だなんだ」
「緊急です。お部屋ひとつ借りられませんか」
「……えええ……? そんな、本当に急だな」
「産前産後、クプラさんをこちらで保護したいんですが」
「はぁ!? おま、っ、ちょ、勘弁してくれこんな所で産んで大丈夫か? 衛生的にもあんまり」
「貴女だってここで双子産んだんでしょ!!」
「そ、それはここはアタシの家だし、」
「緊 急 事 態 で す !!」
ユイルアルトの有無を言わせぬ発言に、アルギンが先に折れる。カウンターに引っかかってる鍵を一つ手に取り、それをユイルアルトの方に投げた。
満足そうなユイルアルトに、アルギンが感慨深げに溜息を吐いた。
「……思い出すなぁ。前ジャスミンが倒れてるの見つけたお前さんも、緊急事態って押し切ったっけ」
「そんな昔の話はしないでください。クプラさん、困ったことがあったら私達に言ってくださいね。荷物は足りてますか? 出産の準備は大丈夫ですか?」
「出産の……で、ですが」
ここに来て難色を示したのはクプラの方だった。
「……身重で何もできない私が、お世話になるなんて出来ません……」
その言葉に悲しそうな顔をしたのはジャスミンだ。何か覚えでもありそうな顔で、クプラを諭すように言う。
「……大丈夫です。妊婦さんは、元気なお子さんを産むことが一番のお仕事なんです」
「私、でも……」
「大丈夫。あとからお金取られたりはきっとないですから。それでも気にされるようでしたら、私達のお手伝いだけしてくれたら助かります」
「アタシそんなに信用ないかね」
アルギンは二人の話を聞きながら、良い話だと片付けられない言われように遠い目をする。
横からアクエリアが鍵を受け取って先に部屋に向かう。アルギンがその後ろ姿を見送りながら、諦めたように話を切り出した。
「……まー、こんななったのも何かの縁だ。子供の肌着とか大丈夫?」
「それが……まだ準備の最中だったので、そんなに用意が出来てなくて。持って来たのは少しだけで……」
「そんなら昔使ってたので良かったらお古があるよ。汚くはしてないから、洗濯したら使えると思うけど」
「い、良いんですか?」
「もう使う事はないしね。もうベビーベッドとかは処分しちゃったけど、服も毛布も冬を凌げるくらいの衣料品は残ってるはずだよ」
クプラは安心したような表情を浮かべた。こんな風に善人ぶるのはアルギンが得意とするところではないが、もうこうなってしまった以上は諦めるしかない。不親切にするとジャスミンとユイルアルトの二人が怖い。
「んじゃ、後はそっちの二人に任せる」
「はい」
「ありがとうございます、マスター」
アルギンは自室に引いていった。
ユイルアルトとジャスミンは、クプラの手を引いて部屋に案内する。階段はゆっくり、二階に着くとそれぞれの部屋を軽く説明して。
クプラに割り振られた部屋は、先にアクエリアが入っていた。掃除用具を持って。
「流石に暫く使われてないと、埃が溜まりますね」
そこは、オルキデとマゼンタが使っていた部屋だった。
他の部屋より少しだけ広い。医者二人の部屋ほどでは無いが。貸し部屋の備品として用意されていたベッドが唯一そのままだった。
アクエリアはまだ三人を部屋に入らないよう指示し、上の埃から払っていく。ユイルアルトはそれが終わるのを見届けると、床の塵を箒で払った。床拭きはざっとアクエリアが終わらせる。
簡単にだが掃除を済ませた部屋に、クプラが入った。その顔はどこか輝いている。
「……私が住んでいた場所は、とても古かったんです。こんな綺麗な部屋にいられるなんて、嘘みたい」
「そうですか。……あまりこの酒場も綺麗とは言えませんがね」
アクエリアが掃除道具を片付けながら、謙遜するように言う。それでもクプラの表情は変わらない。
ジャスミンがクプラを敷き布団も無い板張りのベッドに座らせながら、優しく声を掛ける。
「必要なものがあったら言ってくださいね。服入れなら心当りがあるので、すぐ持って来れます」
「ありがとうございます。……あの、本当に良いんでしょうか」
「あー、大丈夫ですよ。この酒場にいる人たちは色々訳アリなんで。……因みに、これまでお仕事は何を?」
「私は清掃屋をしていました。三番街から四番街で色々なお家やお店でお掃除や草むしりなどをしてたんです。……この体になってから、上手く動けなくなってしまったんですけどね」
「掃除。ほうほう、掃除。成程」
アクエリアが目を光らせた。良いことを聞いた、と言う顔だ。その顔に医者二人が嫌な予感が走る。
「……アクエリアさん、クプラさんに何をさせようと……?」
「いえ、これはまぁ無事にご出産されてからですね。もし乗り気であれば、ほら、酒場の、ね」
「ああ………」
酒場の、という言葉で合点がいったようだ。もしかしなくても、アクエリアはクプラを酒場の清掃員として起用しようとしている。勿論、それを最終的に決めるのはアルギンだが。
クプラは三人の会話についていけず困惑の表情を浮かべている。そんなクプラをフォローするように、ユイルアルトが笑顔で声を掛けた。
「ところでクプラさん、臨月程度とお見受けしましたが、産み月には入っていますか?」
「え……、ええ。もうすぐだとは言われましたけど……」
「失礼ですが、栄養状態が良くないですね」
その言葉に、クプラが俯いた。三人とも解っている。妊婦が一人で産むには、この世界は優しくない。
色んな葛藤があっただろう。上手く動かない体、安定しない精神、悪阻の時期もあったかも知れない。金がないとどうにもならないのに働けなくて、それで。
父親さえ、一緒にいてくれれば。
それだけで、何か違ったかも知れないのに。
「……ここは酒場です、が、同時に部屋を貸してるんです。言えば、食事が出てきますよ」
「呼んだぁ?」
ジャスミンの言葉に重ねるように、アルギンのとぼけたような声が扉から聞こえてきた。
換気の為に開いたままにしていた扉から、アルギンが片手に盆、片手に大きな布袋を引っ提げて入って来た。
「はいよ、クプラ。妊婦は休むのも食べるのも仕事の内だからな」
盆には温かいスープと作り置きのパンが乗っていた。それをクプラの膝の上にのせる。それから、布袋を無造作に床に置いた。
中を開くと、それらは全て乳児用の衣料品だった。
「……こんなに……!?」
「うちは双子だったんだ。両方とも女の子でさ。クプラの赤ちゃんが男の子だったらゴメン」
「……嬉しいです、私じゃこんなに用意出来なくて……私の服のお古で作ってたりしてて」
「そう、喜んでくれるなら嬉しいよ。趣味じゃなかったら悪いなって」
「ありがとうございます……本当に、ありがとう……」
ジャスミンは複雑な感情入り混じる目で、クプラを見ていた。
ギルドメンバーが昨日出席したパーティーとまるで無縁なクプラ。あんな煌びやかな世界の裏で、クプラのような困窮者がいる事。
それを一括で悪しきものとして粛清しようとしている王妃は間違っている。ジャスミンはその意思を強くした。
「アクエリア、少し手伝え。寝具一式引っ張って来るぞ」
「……はいはい。この際ですから喜んで手伝いますよ。今日はどんだけ疲れたらいいんでしょうね」
「最近はずっと暇してんだからいいだろうよ。忙しいのは今日くらいだろ」
そう言って二人は部屋を後にする。ユイルアルトはその二人を見送ってから、ジャスミンに向き直った。
「……私も、用意をしてくるから。帰って来るまで、クプラさんをお願いします」
「それは良いけど……、本当に行くの?」
「見ておきたいから。……それじゃ、お願い」
クプラがその会話を不安そうに聞いていた。どうしたらいいか戸惑っているらしい。
「………どこかに行かれるんですか?」
「少し、予定があって。大丈夫です、なるべく早くに戻ってきますから」
そういうユイルアルトの表情は浮かない。今からしようとしている行為は危険なものだと解っていたからだ。
ユイルアルトが部屋を出る。残されたジャスミンは、クプラの様子を伺っていた。
「さ、スープが冷めてしまいますよ。食べたら少し元気も出るでしょう」
「……ありがとうございます」
クプラは食事を開始した。今の所大丈夫そうな様子を見て、ジャスミンが窓際に寄る。
カーテンもない部屋の窓からは、冬にしては強い日差しが入っていた。予備のカーテンの心当りはないので、そこはアルギンに相談しないといけないだろう。
静かになった部屋。そこで、暫く無言の時間が続いた。
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