第74話

「……本当に、兄なんですね」


 アクエリアと先代マスターであるエイスが兄弟かも知れない。

 その疑惑が浮かんですぐ、アルギンは一枚の肖像画を持って来た。

 以前、行き倒れた旅の絵描きに食事と一晩の寝床を提供した際、お礼にとエイスを描いていったのだ。

 その絵描きは腕を見込まれ、王家の肖像画も描くことになったらしいとエイスは嬉しそうに言っていた。

 その肖像画を見たアクエリアは、小さな声で呟いた。


「本当に?」

「もうぼんやりとしか覚えていませんが、間違いなく兄でしょう。……エイス・エステル」


 アクエリアの囁くような声は、どこか郷愁を帯びているような気がした。

 肖像画を持つ手とは逆の手で、描かれたエイスの輪郭をなぞる。


「生きていたら、挨拶くらいしたかったですね」

「………。」

「けれど、本当に兄は幸せだったでしょう。その死を惜しんでくれる妹がいて」


 兄の身元が解るものといったら、他にアクエリアに提示できるものが無かった。肖像画を見るアクエリアの目は細められ、遠い昔を懐かしむような表情で。


「エイス兄は良く拾い物をしてきてですね。犬や猫といった小動物から得体の知れない魔獣の子供まで連れて帰って来ていました」

「……………。」

「その度に父母から怒られていましたね。『可哀想なものを見捨てるくらいなら私は一人で生きていく!』と啖呵きって家を出て行きました」

「あー………。」

「それが、兄との最後の記憶でしょうか」


 アルギンにはよく解った。エイスも結構な頻度で動物を拾ってきていた。店があるから飼えないと伝手を頼って里親探しをしていたのを覚えている。

 そんな兄を見ていて、情に厚すぎるだけなのも考え物だなと思った事がある。


「……そうですか、もう……」

「………兄さんは、……ただ死んだんじゃないんだ……」

「……アルギンさん?」


 それから、アルギンはエイスの死の状況を話した。

 自警団にも何度も話して言い疲れた事を、事細かに。どんな死を迎えたのかを、顔を顰めるアクエリアに全て伝えた。

 途中で涙が零れた。けれどアルギンは話すのを止めず、アクエリアもまた止めなかった。


「……アクエリア」


 そして、アルギンは踏み込んではいけない領域に踏み出す。


「兄さんは、他言できない秘密を抱えていたんだ」

「秘密?」

「依頼主はこの国。兄さんは一人で、裏ギルドを運営していた。……依頼内容は、国にとって害悪になる存在に対するものだけだけど、口で言えない事だってする」


 アクエリアを、そこまで信じてしまったのは何故か。

 彼を通してエイスの存在を見てしまったからなのか。

 アルギンは勝手にアクエリアを信じた。


「アクエリア、旅の路銀に困ってるって言ってたよな」

「え、……え、えぇ」

「じゃあ、お願い。アタシに協力して。金は払う」


 信じた相手を道連れに噴火口に飛び込むような提案だった、とアルギンは今から少し先の未来にそう考える。

 それでもアルギンは、その時それが最善だと思ってしまった。


「アタシが仕事を斡旋するから、黙ってそれを完遂してくれないか」


 それが、アクエリアがギルドメンバーになった時の事だ。

 その時のアクエリアの表情は、五年経った今でもアルギンは覚えている。

 突然理解できない事を言われた彼は困惑していた。けれど、それ以上何も言わず黙って頷いていた。

 金が必要だって事は知っていた。だから、アルギンはアクエリアを勧誘したのだ。


 アルギンは、アクエリアを勧誘したことは後悔していない。




「……アルギンさん。言われていた事、終わりましたよ」


 アクエリアを勧誘して暫くして、王家からまた『依頼』が舞い込んだ。

 それをアクエリアに斡旋して少しして、アクエリアがアルギンにそう言ってきた。


「……え、マジ?」

「ええ。……依頼されていた『チンピラ集団の壊滅』。相手は一枚岩じゃなかったので、すぐ終わりました」


 その日はまだ日の高い正午で、酒場に帰って来たアクエリアは酒場の開店準備をしていたアルギンにカウンター席に座りながらの報告。

 アクエリアは『仕事』終わりというのに平然とした顔で、溜息一つ零しながら。


「……お疲れ。すぐに確認してもらう。でも、どうやって?」

「下っ端からちょっと煽って、最初は組織内の対立。それから仲間内の不和に持ち込んで、あっという間に。駄目ですね、今は冒険者崩れのチンピラが多いから、そういう輩を仲間に入れたみたいですぐ瓦解しました。死人も出たらしく自警団が忙しそうです」

「……随分手際の良い事。慣れてる?」

「長生きしてたらこのくらいは多少心得があります」


 アルギンがふんふんと聞きながら、カウンター奥から酒場とは別口の金を持ち出す。

 布袋にそこそこの金額を入っているそれをカウンターに置いた。


「エルフってのはダークも含めてそんなものなのかね。アタシは混ざり子だから解んない」

「アルギンさんも長生きしたら解りますよ」

「それって何年先の話だろう。……ともかく、お疲れ様」


 アクエリアがカウンターの金に手を伸ばした、その瞬間。突然、酒場の扉が開いた。

 息を切らせて入ってくる人影、それに気付いた時にはもう遅かった。


「―――アルギン、」


 肩で息をするような姿勢で、アルカネットが中に入ってくる。

 彼の視線の先には、金の入った袋があった。


「アルカネット、お前、仕事じゃ」

「―――頼む」


 アルカネットの顔は真っ青だった。


「金が必要になった。頼む、貸してくれ」

「……ええ? ちょ、お前さん、どうして」

「頼む! 孤児院を運営していた貴族が、運営から手を引くって―――孤児院に、金が入らなくなった」

「孤児院って……、お前さんの出身のか」

「このままじゃ、妹が―――孤児院の子供たちが、行き場を失う!!」


 アクエリアは、袋を持った手を引っ込められなくなった。アルカネットの必死さが、アクエリアを引き留めている。

 アルギンも、言うべき言葉が見つからない。簡単にポンと出せる金は、この酒場にも無い。


「……今貸したところで、返ってくる見込みは無いんだろ」

「………頼む」

「頼まれたって……あんまりこの酒場も裕福な方じゃないし、お前さんに貸せる金なんて」

「じゃあ―――、その金は、何なんだ?」


 アルカネットがアクエリアの袋を指差す。アルギンとアクエリアが互いに目を合わせ、黙りこくった。


「……お前も、エイスさんも。俺が何も知らないガキのままだって思ってないか」

「……アルカネット、お前―――」

「薄々気付いてたさ。貸し宿借りてた奴等の事も、陰でエイスさんがこそこそやってた事も。……貸せる金がないなら俺が稼ぐ。だから、俺に」

「待て、アルカネット。そんな事したら」

「孤児院が無くなるよりマシだ!!」


 アルカネットの言葉は、今考えたような行き当たりばったりの言葉では無かった。それはこれまで隠していたエイスやアルギンに対して責めるような口調で。

 アルカネットはもう子供では無かった。成人とされる十八歳を迎え、一人前を気取る口調で。


「……戻れなくなるよ」

「知ってる」

「お前さんは、自警団だけやってればいい」

「……悪人殺して金入るなら、自警団のヒラやってるよりいい」


 それはアルギンが初めてアルカネットを見た時からは想像もできない言葉だった。

 子供が、いつの間にか知ったような口を利く。アルギンは時の流れを感じながら、アルカネットに向き直る。


「……斡旋してやることは出来る。だけど、その後逃げ出すなんて許さない」

「逃げない」

「……無理強いはしない」

「こっちが頼んでるんだ」


 アルギンが最後の情けで作ってやる逃げ道を、自分の口で潰していくアルカネット。

 アクエリアは二人のやり取りを、心配そうに見守っていた。


「……分かった」


 折れたのは、アルギンの方だった。


「一日待ってろ。話を付けてくる」

「一日? 今すぐ金が要るんだ」

「その間金はアタシの財布から貸してやる。絶対返せよ、返さなかったら殺すからな」


 それがアルカネットがギルドメンバーになった時の話。

 アルカネットに持ち掛けるのは全部血生臭い依頼ばかりだった。それは、この時アルカネットが言った言葉に由来する。

 アルギンは極めて公平に仕事を割り振った。アルカネットが手を汚す依頼には心を痛めつつ。

 そんな関係が少しだけ変わるのは、これから五年も経ってからになる。




 アルギンが城下に戻った後の酒場運営は何とかうまく行っていた。

 しかし、それから暫くして。


 戦線の戦況が変わる。

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