第35話 禅譲
リキは投降してきた国王と帷幕で会談した。帷幕内にはリキとクレア、警護として剣の腕が立つガラムが傍に侍った。国王側はアンジェラの他に王弟ジュリアーノのみが帷幕に入ることを許された。
「リキ……」
「御久しゅうございます。陛下」
リキやクレアたちは恭しく頭を垂れた。自分たちが降伏した事実に不満なジュリアーノが声を荒げた。
「リキっ!! 貴様、よくもぬけぬけと……」
「止めよ! ジュリアーノ」
「ですが、陛下……」
未だ不満気なジュリアーノを、アンジェラが制止した。
「我らは敗者だ」
「はっ……」
ジュリアーノは不承不承ながらも、引き下がった。『敗者』という言葉の持つ響きが、ジュリアーノの胸に、ちくりと棘のように刺さった。
そうだ。我らは敗けたのだ――。
敗戦の責任は自分にもある。ジュリアーノはその事実に、臍を噛む思いであった。リキは帷幕内に置かれた床几をアンジェラたちに示し、自らも座った。護衛のガラムだけが立ったままであった。
「先に誤っておく。陽菜の件についてだが……」
先ず、アンジェラが陽菜のことを口にした。リキの顔を苦い表情が掠めた。
「いえ。あの件に関しては、私にも責任があります」
「気付いてやれなくて、残念なことをした」
「はい……」
あの事件では様々な要因が入り混じり、本当のところは分からない。違う世界に順応出来なかった陽菜自身の弱さもあっただろう。アンジェラの寵臣ユリウスが深く関わっているらしい――としか分からない。そのユリウス卿もすでに姿を消した。陽菜を利用し、リキを謀略で葬ろうとしたことが発覚すれば、リキのみならず、アンジェラから死罪を言い渡されることは必定であったから、行方を晦ませたようだ。彼は以後、表舞台から完全に消えた。
アンジェラが気持ちを切り替えようと、次の言葉を発した。
「それで、何が望みだ? 私はどうすればよい?」
「陛下!?」
どんな要求も呑む――と言わんばかりのアンジェラに、ジュリアーノが驚きの声を上げた。それでは、陛下の身すら危うい――と、この王弟は危惧したのだ。そんな王弟の心配をよそに、リキは、
「陛下には退位して頂きます」
と、淡々と告げた。アンジェラもそう言われると分かっていたのか、微塵も動じることなく受け入れ、
「分かった。それだけか?」
と、他に要求がないか、問うた。リキは続けて、
「貴女を降格し、諸侯の1人となって頂きます」
と告げた。それを聞いて慌てたのはジュリアーノ。
「何だとっ!? そんなことが許されるとでも……」
「ジュリアーノ!」
抗議しようとしたジュリアーノをアンジェラが一喝し、止めた。
「先ほども申したであろう? 我らは敗者だ。要求が如何なるものであろうと、拒否出来る立場ではない」
「は……」
込み上げる怒りと屈辱を、若い王弟は唇を噛み締めて心情を押し殺し、頭を下げた。
いつか――。
頭を垂れて表情を隠しながら、ジュリアーノは秘かに誓いを立てた。
いつの日か、リキを追い落とし、陛下の王位を取り返して見せる――。
「して、王位はどうする? リキが王となるか?」
「そうですな。では、王位は禅譲して頂きましょうか」
「リキ!!」
つい、声を荒げたジュリアーノをまたしてもアンジェラが叱責した。
「くどいぞ!! ジュリアーノ!」
「しかし……!」
しかし、怒りの治まらない王弟の矛先は、リキの傍に侍るクレアへと向けられた。
「クレア!! その方は陛下付きの侍女であろうがっ!! それがリキに諂い、どの面下げて陛下に謁見するかっ!!」
「殿下……」
「止めぬか。ジュリアーノ」
謂わば、これは王弟の八つ当たりであった。だが、リキとアンジェラとの衝突を避けられなかったという負い目を抱くクレアは顔色を失い、僅かに絞り出すように言葉を発するのが精一杯であった。その様子を見かねたのか、
「おい……」
と、それまで黙ってリキの守護に侍っていたガラムが口を開いた。
「大方、その身体でリキを誑かし、取り入ったのであろう!? 何が望みだっ!? 金か!? いずれは妃の位を狙っておるのかっ!?」
「おいっ!!」
罵詈雑言を並べたてる王弟を、ガラムがついに雷鳴のような大声で一喝した。
「クレア殿は我が主君の副官だ。そのクレア殿を罵倒し、侮辱するならば、王弟殿下と言えど、その口を引き裂くぞっ!!」
「ひ、ひぃっ……!!」
その鬼神・羅刹の如き形相に恐れをなし、王弟が床几から後ろへ転げ落ちた。どうやら、腰を抜かしたらしい。怒るガラムの剣幕がよほど恐ろしかったと見えて、ジュリアーノは失禁までしてしまったのである。自身の失態に気付いたジュリアーノが、赤面して前を隠した。
「止さんか。ジュリアーノ。私が、『リキに仕えよ』とクレアに申しつけたのだ。私の代わりに、傍にいるように――とな。クレアは我が命に従っただけだ」
「陛下……!?」
「リキにしてもそうだ。リキはあの日の約束通りに忠義を尽くしてくれていたのに、私がリキを疑い、追い詰めてしまった。悪いのは私なのだ」
「へ、陛下……!?」
いつも以上に穏やかに語るアンジェラに、ジュリアーノは戸惑った。柔和な笑みを浮かべたその顔は、実に女性らしかったのである。
ジュリアーノが、そんな姉の顔を見たのは、いつ以来のことか――。
「疑う前に、こうして直接会って話をすれば良かったのだ。そうしていれば、このような事態にはならなかったろうにな」
自嘲するように語り、それからリキの傍のクレアを見た。
「仲睦まじいようで何よりだ。クレア」
「陛下……」
クレアはその心情を思い、言葉に詰まった。アンジェラは柔らかな表情でクレアを見やり、言った。
「それに、どうやら子を宿していそうだ」
アンジェラの言葉に、クレアが顔を赤らめ、恥ずかしそうに俯いた。リキがクレアを見つめ、問い掛けた。
「本当か?」
「……はい」
照れて顔を真っ赤にし、膝上で両手をもじもじとさせながら、それでもクレアははっきりと答えた。リキは何も言わず、ただ、クレアの華奢な手に、自らの無骨な手を優しく重ねた。傍ではガラムが、先ほどの鬼神の如き形相はどこへやら、穏やかな微笑を浮かべ、2人を見守っていた。
「すまん。話が逸れたな。それで? 王位を禅譲して、それから?」
アンジェラが話を戻してきた。リキは続けて、
「はい。陛下には、ヴァゼーレの地に移って頂きます」
「おい? ヴァゼーレはパウロ伯父の土地だ。伯父はどうなる?」
「ヴァゼーレ侯パウロ殿は今回の件の主犯格です。よって、領地没収の上、追放とします」
リキを余所者・新参者と嫌っていたヴァゼーレ侯パウロは、一連のリキ排除の動きに率先して参加、アンジェラを惑わした――とリキは見ていた。そこで、パウロ侯の土地を没収し、王位を退いたアンジェラにその地を治めてもらおうと考えたのだ。
「そうか……。伯父は保守派の急先鋒だったからな。仕方なかろう」
腕を組み、視線を足元に落として、アンジェラは嘆息した。
「ヴァゼーレ侯だけでなく、敵対した諸侯は領地を減封や転封、没収を行います」
「戦に負けたのだからな。それも仕方ない。リキも恩賞を与えねばならんしな」
「はい」
アンジェラが、『これからが大変だぞ』――といった面持ちでリキを見た。リキも苦笑しながら、それに答えた。
「それから、ジュリアーノ殿下のことですが」
「うむ」
姉に叱責されたことと自身の失態に俯いていたジュリアーノは、自分の名が出たことで、顔を上げてアンジェラとリキを見た。
そうだ。自分はどうなるのか?――と、不安になった。
「殿下は、陛下のヴァゼーレ入りには同行せずに、王都に残って頂きます」
「人質か?」
「まあ……そんなところです」
「そんなことをせずとも、私に叛意はないぞ?」
「それは分かっていますが……」
「そうか。私を担ぎ出そうとする者たちを食い止めるためか」
「はい」
乱の可能性に思い至り、アンジェラがそう言うと、リキも同意した。
「それと……殿下には為政者として必要な、政に関しての様々なことを学んで頂きます」
「うん?」
このリキの発言を受けて、アンジェラが眉を寄せた。
「ジュリアーノを教育すると言うのか?」
「はい」
「敵に塩を送るようなものだぞ?」
「国を治めるも、領主として領国を治めるも同じことです。殿下にはその経験が足りませんので、それを学んで頂くのです」
アンジェラがリキをじっと見つめた。言葉の裏に隠された意図を見抜こうとするように。
やがて――。
「……いいのか?」
と、アンジェラは静かに問うた。
「はい」
リキは迷いなく、きっぱりと答えた。
「そうか」
アンジェラはまだ地面に座り込んだままのジュリアーノを振り返り、
「と、いうことだ。いい機会だ、ジュリアーノ。この際、リキの下でいろいろと学ぶといい」
と命じた。
「陛下……?」
事態を飲み込めていないジュリアーノが、戸惑いの声を上げた。それを諭すように、アンジェラは言葉を紡ぐ。
「お前には経験が足りないのだ。色々なことを経験すれば、いい領主になろう」
そう、弟に優しい瞳で言い聞かせた。
「あ、姉……いえ、陛下……!?」
ジュリアーノは何とか堪え、陛下と言い直した。つい、姉上と言いそうになったのは、何故か、再び姉が遠くへ行ってしまいそうな、そんな気がしたからだった。そんなジュリアーノの心配を他所に、リキが話を進めた。
「それでは、陛下。王都へは明日の出立でよろしいですな?」
「ああ。それで構わない」
「では。本日はこの帷幕をお使いください。殿下はどうなさいますか? こちらでお休みになられますか? それとも、別の帷幕に?」
「えっ……?」
リキから問われたジュリアーノは一瞬、返答に窮し、少し考えた後、
「いや、ここでいい」
と、答えた。リキは微笑み、
「畏まりました。では、陛下、殿下。ごゆるりと」
立ち上がったリキ達は2人に頭を下げ、そして、出て行った。後には、姉弟だけが残された。
翌朝、リキ達は王都へ向けて出立した。アンジェラ達もリキのすぐ近くで同行することになった。もっとも立場としては敗戦した身なので、リキ側の兵士たちに周りを囲まれた状態での同行であった。
昨日、帷幕に残された2人が何を話したかは、リキ達には分からない。恐らくは、今後のことなどを話し合ったものと思われた。そのせいか、馬上で揺られている王弟ジュリアーノの表情は、どことなく、すっきりとしたものになっていた。
王都へは6日の行程であった。
道中、国王の周りには厳戒態勢の警備を敷かれた。リキに負けたこと、そして、リキ側が国王を擁することになったために賊軍の立場となった貴族たちが、起死回生の一手として、国王を奪還して大義名分を得ようとする可能性もあったため、これを危惧した一部から警備を厳重にするように――との意見があったからである。リキも、そこまでは不要だと思ったが、心配する声を静めるために警護を実施した。
だが、これは杞憂に終わった。
先の戦に敗れた元国王軍には、意気軒昂で王都に凱旋するリキ軍に襲いかかる余力は残ってなかった。もとより、敗戦して離散した彼らには、そんなことをしでかすほどの統率力を持った人物はいなかったのである。
6日後、リキ達は道中何事もなく、無事に王都に到着。スクーディ城に入城した。翌日には国王の退位を公表し、1ヶ月後に王位をリキに禅譲することも併せて発表された。
1ヶ月月後、即位の儀が滞りなく執り行われた。今回の即位の儀は、前回のアンジェラの時に比べて、取り分け簡素に執り行われた。これは、儀式などの様式に拘らないリキの意向が強く反映したものであった。
こうして、コロナスの新たな国王・リキが誕生した――。
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