第36話 神が遣わせし預言者
自分の両親が、目の前で殺される……それが少女の心にどれだけ深い傷を与えただろうか。
そしてその犯人が、目の前に現れた……彼女が動揺するわけだ。
しかも、それが不死族妖魔、ヴァンパイアロード……。
この世界の単語は、おそらくトゥエルによって、俺にとっても理解しやすい言葉に変換されていることは分かっている。
つまりアイゼンの話していることは、俺が理解しやすいように、俺の知っている単語に変換されている。
そして俺は、この相手の大きな脅威を、ヴァンパイアロード(Vampire Lord)という単語をもって把握したことになる。
そして俺がかつてなく衝撃を受けた理由は、それだけではなかった。
「……ミクの両親が殺されたという話を、詳しく聞かせてくれませんか?」
俺はその内容を把握する必要があった。
だから、本来であれば質問すべき内容ではなかったかもしれないが、その問いを口にした。
「……そうじゃのう。貴殿はこの世界のことを、より多く知る義務があったんじゃったのう。たとえそれが、儂にとって身内のことであろうと……」
アイゼンはそう言うと、一度深いため息をついて、そしてゆっくりと話し始めた。
彼は、今の館とは違う場所に城を構え、そこで魔術を学ぶ何十人もの弟子たちと生活していたという。
その中でも、ミクの両親は、魔術師として、アイゼンにとって最も優秀な弟子だった。
才能ある二人は、得意な魔術の分野も異なっていたのだが、それでかえって惹かれ合い、結婚するに至ったのだという。
そうして生まれたのがミクだ。
彼女は、生まれながらにして魔術師同士の娘であり、その才能が期待されていた。
魔術師の使命として重要な仕事となっていたのが、人に害をなす妖魔の退治だ。
特に通常の剣で倒すことが困難な不死族妖魔には、魔術による攻撃が有効とされていた。
アイゼンの弟子たちは、その意味でも国家にとって重要な戦闘員であったのだ。
その存在を快く思わないものがいた……その筆頭が、ヴァンパイアロードのヴェルサーガだ。
その男は、上位の不死族妖魔数十体を率いて、激しい雷雨の夜にアイゼンの城に急襲をかけたのだ……それが15年も前の話だという。
アイゼンの弟子の中でも特に優秀だったミクの両親は、その城で教師としての地位を得ていたこともあり、一室を与えられて住み込みで働いていた。
当然、ヴェルサーガ率いる急襲部隊と激しい戦闘になった。
結果、彼ら二人は多くの高等妖魔を倒し、ヴェルサーガと激しい死闘を演じることとなった。
優秀な魔術師の二人がかりでもその吸血鬼の王には劣勢で、次第に追い詰められ、別の妖魔と交戦中のアイゼンと合流するため一旦逃げることを決意し、ミクの母親は自室に戻ってミクを保護した。
彼女はミクを抱えたまま窓を突き破り、城の五階から飛び降りた……浮遊魔法を発動させて。
しかし、ヴェルサーガはさらに追いかけてきた。
ミクの父親も、見失ったヴェルサーガの気配を追って、そしてやはり5階から飛び降りた……それまでの戦いで負った傷をかばいながら。
母親はミクを抱えて逃亡、ヴェルサーガが彼女を、さらにそれを父親が追いかける。
雨中の中、ついにヴェルサーガは母子に追いつき、そこで母親は最後の力で強大な結界魔法を発動させたものの、それを破られ、長い爪で致命傷を負わされた。
だが、結界を破った代償はヴェルサーガにも大きなダメージを与え、その片腕を奪った。
そこに父親が追い付き、さらに強力な雷撃魔法を発動、ヴェルサーガも爪で父親の胸を貫き、結果、相打ちとなった。
父親は死亡、ヴェルサーガも瀕死の重傷の上、肉体に大きな呪印を受け、再起不能のダメージを受けた。
残されたのは、両親が殺される様を見てしまった、まだ三歳の娘、ミクのみ。
そこに他の妖魔を倒したアイゼンがやって来たのだが、すでにヴェルサーガは逃亡した後だった。
ミクが殺されなかったのは、アイゼンの推測では、殺してしまえばアイゼンが自分を追いかけてくるが、生かしておけば、その保護のために追ってこれないだろうという計算があったためだろう、という話だった。
実際に、アイゼンはそれ以上ヴェルサーガを追うことはなかった。
ただ、急襲時にほんの一瞬だけ見せたあのおぞましい目だけは忘れていなかった、ということだった。
ミクは、外見上は大きな傷を受けていなかった。
しかし、三歳のその少女が受けた心の傷は大きく、その当時のことはほとんど覚えていないにも関わらず、感情を失ったかのようになってしまった。
「――そういうわけで、ミクがヴェルサーガだと気づき、怒り、恐れの感情を見せたのは、驚嘆すべきことであると同時に、ある意味、必然であったのかもしれぬ……そして彼女があの夜のことを思い出した、という事実も、憂うべきことじゃ。ただ、さっきも言ったように、いつかは出会う運命だったのじゃろう。そういう意味では、ショウ殿が一緒に居てくれてよかった」
アイゼンは、そう言って話を締めくくった。
それを聞いて、ソフィアはうつむき、そしてシルヴィは嗚咽を漏らし、泣いていた。
「……ミクも、やっぱりそんなつらい過去があったのですね……」
「ミクも?」
シルヴィの言葉に、何か引っかかるものを感じた。
「……この館にいる者は、皆、何かしらの大きな心の傷を負っているということだ。アイゼン様も含めて、な……」
ソフィアの言葉に、俺は自分の今までの思考・行動が、いかに能天気なものであったかを思い知った。
この異世界は、決してずっと平和が続いているわけではない。
現に、数十年前にこの地を訪れたと思われるあの世界的な大作家は、大きな戦争で、多くの人が死んでいく様を描いていたではないか。
また、俺にはもう一つ、どうしても気になることがあった。
どうしても話しておかなければならないことがあったのだ。
「……実は……これは言うべきかどうか悩んでいたのですが……隠し事は良くない。正直に話します」
俺の言葉に、アイゼン、ソフィア、シルヴィが注目する。
「実は、俺は……自分が書いて出版された小説の中に、似たような話を書いていたのです。シルヴィの時も感じた違和感……あのとき、彼女には話したのですが……」
そして俺は、そのストーリーを話した。
時空間を移動できるようになった若者が、数百年前の5人の少女たちを救う話。
その中で、元の世界に帰る術を失った主人公が、強制的な帰還の制約の発動により転移し、そしてまた彼女たちの居場所に戻った話。
それはシルヴィにも話していたので、彼女は納得したが、他の二人は意外そうに興味を示した。
「そして……一人の少女が、ずっと昔に、目の前で父親を殺され……その敵(かたき)に偶然遭遇し、我を失う、という話も書いていたのです」
「……なんと……それが誠なら、ミクの話そのものではないか……ならば……」
アイゼンは、顎に手をやり、しばし考えを巡らせた後、大きく頷いて俺のことを見た。
「……つまり、ショウ殿は、トゥエル様が遣わせた預言者でもある、ということになる……」
「……俺が、預言者!?」
思わぬ言葉に、俺は慌てた。
「儂は、ショウ殿のことを並行世界のことを互いに紹介し合う、語り部にすぎないと思うておったが、大きな間違いじゃ……ショウ殿という預言者の出現により、トゥエル様はこの世界の何かを導こうとしておられるように思う」
「……そんな馬鹿な……俺はあの小説は、頭の中で浮かんだことをただ、書き記しただけで……」
そこまで言って、気づいた。
実は、それこそが預言ということになるのか、と。
そうであるなら、俺はあの白ネコと出会う前から、この異世界と関りを持つ運命だったことになる。
「……もしそうならば、私にはどうしても気になることがある……その父親が殺されたという娘は、偶然敵を見つけて、その後、どうなるんだ?」
ソフィアが、ちょっと苛立つように聞いてきた。
「ああ、その後、彼女は敵を見失い、一旦は落ち着きを取り戻す。けれど、敵討ちをあきらめておらず、誰にも迷惑をかけまいと、単身その敵を追って、一人で家を抜け出して……」
「……なん……じゃと!?」
アイゼンが、厳しい表情を浮かべた。
俺も自分の言葉の意味に気づき、鳥肌が立った。
全員で一斉に立ち上がり、考えすぎであってくれと祈りながら、ミクの部屋に向かった。
そして見たものは、もぬけの殻になっていた、彼女のベッドだった――。
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