三つの代償の真実
その
それが意味することは何か。
一つは、俺が完全なる不死を手に入れたこと。
そして、もう一つは……魔獣となった俺が二度と人間に戻れないことを意味する。
そう。俺はこの日、完全無欠な不死の魔獣となったのだ。
これは初めからの予定通り。俺が望んでいたこと。
それなのに……素直に喜べないのはどうしてだろうか?
今の俺の胸の中にあるのは、何か大切なものを失ってしまった
「とうとう……完全に
「お主、今の自分がどんな姿をしているか分かるか?」
放浪の魔女は俺に問う。
もちろんだ。鏡を見なくたって、凍てつく俺の魔力が青い光となって
体表が凍りつくほどの冷たい
俺は
俺の姿は出発前と大きく変わっていた。
しかし、魔女が言っているのは、そういった話ではなかった。
「派手に全身を返り血で汚して……もはやお主は、血に飢えた、ただの
そう言われて俺は自分の手を見てみる。
改めて見れば、毛糸の手袋にくっ付いた雪の塊のように、毛皮に凍った血液が付着していた。
意識していなかったが、手だけではない。全身にもシャーベット状の血がこびり付いている。
そして足元を見れば、白い大理石の床が、血塗れの足跡でべったりと汚れていた。
「お主はそれで満足か? 圧倒的な力を手に入れて、弱き者を
魔女は感情を抑えるような無表情から一転して、責め立てるような口調と視線で
俺はその言い草にカチンときた。
そもそも悪いのは俺じゃない。先に好き勝手していたのはあいつらだ。
――なぜ、俺だけが、責められなければいけないんだ?
俺は
「……当たり前だ」
気付けば俺は魔女に牙を
「これはもともと、俺が望んでいた結末だ。この世は“力こそ正義”。より強い者が、豊かさも、平安も、自由も、誇りも! 全てを奪い取り、
これこそが、俺が散々遠回りして辿り着いた、この世界の真実だ。
誰にもこの真理を否定できるわけがない。否定したいなら、そうじゃない世界を俺に見せてみやがれ!
「ほう? では
「そ、それは――……」
その質問に、俺は一瞬言葉を詰まらせてしまう。そして魔女はその隙を逃さなかった。
「少なくとも、お主が一番欲しかったものは、絶対に手に入らなかったはずじゃ」
「なぜだ!? なぜ、そう断言できる!? 俺の気持ちを知ったように言うな! あんたは赤の他人だろうが!!」
俺はなんとか魔女の言葉を否定したくて、とにかく思いつくままに俺が手に入れたものを
数にしてみれば大したことないかもしれないが、どれも俺にとっては、得難い宝物だ。
「俺は全てを手に入れた! 自分のための時間も! マイホームも! それから永遠の命も! これからの俺は好きに何だってできる! もう俺は、誰にも服従しない!! もちろんあんたにもな、魔女!!」
……こうして並べてみると、力を振るった結果として手に入れたものなんて、何一つとして存在しないな。しかし、俺はその事実から、都合よく目を
「――三つの代償じゃよ」
「あの魔法は、お主を魔獣に変えた時、お主にとって大切なものを三つ奪ったのじゃ。冷たい心の罰であると同時に、人間に戻ろうと思わせる理由付けとしてな」
その小さな
この誰も居ない冬の玉座の前で、残酷な真実が語られようとしていた。
「もし本気で人間に戻りたくないならば、お主はバラを暖炉にくべることもできた。じゃが、お主はそれをしなかった。バラを燃やしてしまわなかった理由は――たとえ自覚が無くとも、その心の奥底には、奪われたものに
魔女は俺の反応を見ながら、ゆっくりと語る。
「しかし、全てが裏目に出てしもうた。もし、お主にとって最も大事なものが“
もしお主にとって大事なものが“富”だったならば、お主は何も持てず、
もしお主にとって大事なのが“女を
お主にとって“欲望を満たすこと”が全てだったなら、決して満たされぬ
そして、それを
魔女は代償の真実を口にしたが、その説明は矛盾していた。
少なくとも俺はそう思った。
なぜなら、俺は魔獣になったことで、魔女の言った何もかもが与えられていたからだ。
圧倒的な
「……じゃあ俺は一体、何を奪われたんだ?」
普通なら
魔女は目を閉じ、静かに息を整えてから、そっと口を開いた。
「お主が最も望んでおったのは、自分の存在が認められる
「居場所……?」
それが俺にとって大切なものだったと聞いて、妙にしっくりきた……ただし、俺には守りたいと思えるほどの
「どれほど報われなくとも、お主は元の世界に愛着があった。あの世界で、頑張りが認められたいと願っておった……
いつの間にか、俺の
「お主がこの世界に
魔女の語りは終わらない。
続けて明かされるのは、俺が二つ目に失ったもの。
「次にお主が望んでおったのは『
――ふと、ソフィアの顔が思い出されたが、今となってはなんの意味も無い。
他人を思いやることなんて
いや、そもそも初めから俺には……。
「
しかし、戸惑う俺を無視して、無慈悲に魔女はそう断言した。
全ての花弁を失った今さらになって、次々と明らかにされていく代償の正体。
俺が地球に戻れないのは、俺が『故郷』を失ったからだった。
俺が冬の世界に閉じ込められたのは、俺が『
そして俺は気付く。
ならば、俺が不死となったのも――。
「そして最後に、お主が先の二つと同じくらいに望んでおったもの。それは――『死』じゃった」
魔女はとうとう、その禁断の真実を告げた。
告げられたその真実は、俺の心の弱さを証明する情けないものだった。
「……お主にも理解できたようじゃな。そうじゃ。お主が不死となったのは、その身から『死』が奪われた結果に過ぎん」
魔女の声音は、必死で感情の震えを押さえつけたものだった。
しかし、だからどうした? 俺はずっと隠し続けてきた秘密が暴露されたような、そんな
「お主にとって、死とはなんじゃ? ただの結末か? それとも希望か? 救済か? なぜ『故郷』と『
魔女は無遠慮に、俺の心を踏み荒らす。
「……儂には、その事実が悲しくて仕方がない」
「なんだ、テメェ……じゃあ、最初から、全部知ってやがったのか……!」
俺の心はざわつき、見透かされた弱さを隠すため、怒りの感情を
怒りのあまり、俺は
それは、誰にも明かしたことが無いはずの、俺の心で一番深い闇だった。
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