三つの代償の真実

 硝子ガラスのケースに閉ざされた、魔法の紅いバラ。

 その可憐かれんな花弁が、全て散ってしまった。


 それが意味することは何か。

 一つは、俺が完全なる不死を手に入れたこと。

 そして、もう一つは……魔獣となった俺が二度と人間に戻れないことを意味する。


 そう。俺はこの日、完全無欠な不死の魔獣となったのだ。

 これは初めからの予定通り。俺が望んでいたこと。


 それなのに……素直に喜べないのはどうしてだろうか?

 今の俺の胸の中にあるのは、何か大切なものを失ってしまった焦燥しょうそう感と、それをもう二度と取り戻せない絶望だけだった。


「とうとう……完全にちてしもうたか。この愚か者め……」

 かたくなに無表情をつらぬいていた魔女の目から、つうっと、一筋の涙が流れた。


「お主、今の自分がどんな姿をしているか分かるか?」

 放浪の魔女は俺に問う。

 もちろんだ。鏡を見なくたって、凍てつく俺の魔力が青い光となってあふれていることぐらい、自分でも把握できている。

 体表が凍りつくほどの冷たいチカラ。雪と氷の精霊を従える資格。

 俺はちからを手に入れた。

 俺の姿は出発前と大きく変わっていた。


 しかし、魔女が言っているのは、そういった話ではなかった。

「派手に全身を返り血で汚して……もはやお主は、血に飢えた、ただのけだものじゃ。もし違うと言うなら、言い訳を聞かせてもらおうかの」

 そう言われて俺は自分の手を見てみる。

 改めて見れば、毛糸の手袋にくっ付いた雪の塊のように、毛皮に凍った血液が付着していた。

 意識していなかったが、手だけではない。全身にもシャーベット状の血がこびり付いている。

 そして足元を見れば、白い大理石の床が、血塗れの足跡でべったりと汚れていた。


「お主はそれで満足か? 圧倒的な力を手に入れて、弱き者をしいたげて。この誰も居ない冬の城で、王様気取りか? え?」

 魔女は感情を抑えるような無表情から一転して、責め立てるような口調と視線でまくし立てた。


 俺はその言い草にカチンときた。

 そもそも悪いのは俺じゃない。先に好き勝手していたのはあいつらだ。しいたげていたのはあいつらだ。それどころか世界中で誰もが似たようなことをやっている。


 ――なぜ、俺だけが、責められなければいけないんだ?


 俺はチカラを得た自分を――弱者から抜け出した自分を否定されるのに耐え切れず、魔女に食って掛かった。

「……当たり前だ」

 気付けば俺は魔女に牙をき、うなり声を上げていた。

「これはもともと、俺が望んでいた結末だ。この世は“力こそ正義”。より強い者が、豊かさも、平安も、自由も、誇りも! 全てを奪い取り、享受きょうじゅする権利がある!! だから俺は、力を望んだんだ!!」

 これこそが、俺が散々遠回りして辿り着いた、この世界の真実だ。

 誰にもこの真理を否定できるわけがない。否定したいなら、そうじゃない世界を俺に見せてみやがれ!


「ほう? ではいてみるが、その結果……お主は何を得た?」

「そ、それは――……」

 その質問に、俺は一瞬言葉を詰まらせてしまう。そして魔女はその隙を逃さなかった。

「少なくとも、お主が一番欲しかったものは、絶対に手に入らなかったはずじゃ」

「なぜだ!? なぜ、そう断言できる!? 俺の気持ちを知ったように言うな! あんたは赤の他人だろうが!!」

 俺はなんとか魔女の言葉を否定したくて、とにかく思いつくままに俺が手に入れたものをべてみる。

 数にしてみれば大したことないかもしれないが、どれも俺にとっては、得難い宝物だ。

「俺は全てを手に入れた! 自分のための時間も! マイホームも! それから永遠の命も! これからの俺は好きに何だってできる! もう俺は、誰にも服従しない!! もちろんあんたにもな、魔女!!」

 ……こうして並べてみると、力を振るった結果として手に入れたものなんて、何一つとして存在しないな。しかし、俺はその事実から、都合よく目をらすことにした。


「――三つの代償じゃよ」


 おもむろに、魔女は口を開いた。

「あの魔法は、お主を魔獣に変えた時、お主にとって大切なものを三つ奪ったのじゃ。冷たい心の罰であると同時に、人間に戻ろうと思わせる理由付けとしてな」


 その小さなくちびるから、とうとう明かされる代償の真意。

 この誰も居ない冬の玉座の前で、残酷な真実が語られようとしていた。


「もし本気で人間に戻りたくないならば、お主はバラを暖炉にくべることもできた。じゃが、お主はそれをしなかった。バラを燃やしてしまわなかった理由は――たとえ自覚が無くとも、その心の奥底には、奪われたものに未練みれんが残っていたからじゃよ」


 魔女は俺の反応を見ながら、ゆっくりと語る。


「しかし、全てが裏目に出てしもうた。もし、お主にとって最も大事なものが“チカラ”だったならば、お主は無力でみすぼらしい存在に変えられていたはずじゃ。

 もしお主にとって大事なものが“富”だったならば、お主は何も持てず、住家すみかは貧しく質素であったはずじゃ。

 もしお主にとって大事なのが“女をはべらせること”だったならば、お主は見るにえないみにくい姿に変えられたはずじゃ。

 お主にとって“欲望を満たすこと”が全てだったなら、決して満たされぬえとかわきに苦しんだはずじゃ。

 そして、それをいましめるのが、わしの本来の役目のはずじゃった……」


 魔女は代償の真実を口にしたが、その説明は矛盾していた。

 少なくとも俺はそう思った。

 なぜなら、俺は魔獣になったことで、魔女の言った何もかもが与えられていたからだ。

 圧倒的なチカラも、広くて立派な城も、見た目の格好良さも――少なくとも、今のオオカミフェイスは、人間だった頃よりずっとイケメンだった。

「……じゃあ俺は一体、何を奪われたんだ?」

 普通ならいましめとして、富や権力が失われるのだろうか。だが俺は、そんなもの、始めから何も持っていない。

 魔女は目を閉じ、静かに息を整えてから、そっと口を開いた。


「お主が最も望んでおったのは、自分の存在が認められるじゃった」

「居場所……?」

 それが俺にとって大切なものだったと聞いて、妙にしっくりきた……ただし、俺には守りたいと思えるほどのが、初めから無かったという最大の矛盾点に目をつぶればの話だが。

「どれほど報われなくとも、お主は元の世界に愛着があった。あの世界で、頑張りが認められたいと願っておった……ゆえに、お主はまず、『故郷』をうしなった」

 いつの間にか、俺ののどうなり声を収めていた。俺は沈黙したまま、魔女の話を聞き続ける。

「お主がこの世界にてられたのは、お主から『故郷』が奪われたからじゃ。魔法が解けぬ以上、お主はもう二度と故郷の地を踏む権利を――元の世界へ帰る権利を失った」


 魔女の語りは終わらない。

 続けて明かされるのは、俺が二つ目に失ったもの。

「次にお主が望んでおったのは『ぬくもり』じゃった……お主は誰かと共に歩む生にあこがれがあった。心のつながりを求めておった」

 ――ふと、ソフィアの顔が思い出されたが、今となってはなんの意味も無い。

 他人を思いやることなんてわずらわしい。地球に居たころはそう思い続けてきた俺にとって、それが本当に大切なものだったのか、もう分からない。

 いや、そもそも初めから俺には……。

ゆえにお主は、この孤独で冷たい冬の世界に閉じ込められたのじゃ」

 しかし、戸惑う俺を無視して、無慈悲に魔女はそう断言した。


 全ての花弁を失った今さらになって、次々と明らかにされていく代償の正体。


 俺が地球に戻れないのは、俺が『故郷』を失ったからだった。


 俺が冬の世界に閉じ込められたのは、俺が『ぬくもり』を失ったからだった。


 そして俺は気付く。

 ならば、俺が不死となったのも――。



「そして最後に、お主が先の二つと同じくらいに望んでおったもの。それは――『死』じゃった」



 魔女はとうとう、その禁断の真実を告げた。

 告げられたその真実は、俺の心の弱さを証明する情けないものだった。


「……お主にも理解できたようじゃな。そうじゃ。お主が不死となったのは、その身から『死』が奪われた結果に過ぎん」


 魔女の声音は、必死で感情の震えを押さえつけたものだった。

 しかし、だからどうした? 俺はずっと隠し続けてきた秘密が暴露されたような、そんないきどおりを覚える。


「お主にとって、死とはなんじゃ? ただの結末か? それとも希望か? 救済か? なぜ『故郷』と『ぬくもり』に並んで、『死』が大切なものに入るのじゃ?」

 魔女は無遠慮に、俺の心を踏み荒らす。

「……儂には、その事実が悲しくて仕方がない」


「なんだ、テメェ……じゃあ、最初から、全部知ってやがったのか……!」


 俺の心はざわつき、見透かされた弱さを隠すため、怒りの感情をあらわにした。

 怒りのあまり、俺はわざとらしく牙をくことも、うなり声を上げることも忘れていた。


 それは、誰にも明かしたことが無いはずの、俺の心で一番深い闇だった。



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