冬という名の牢獄(下)

 ……さて、結局俺たちは、なんの成果も得られないまま冬の城に戻ってきた。

 帰りは魔女の転移魔法で一瞬だった。


 俺たちは冬の城のエントランスに放り出される。

 戻ってきた俺たちを仮面ゴーレムたちが出迎えた。彼らは用意したお湯で、泥にまみれた俺の足をぬぐってくれる。

 なんとも準備の良いことだ。

 だが、汚れた足の洗浄まで他人任せなのは抵抗がある。

 世話を焼いてくる仮面ゴーレムたちに対して、自分でするからと俺は抗議してみた。しかし彼らは頑なにその役目を譲らなかった。


「そうじゃ、ソフィーや。伝えておくことがある」

 魔女がソフィアに声をかけた。

「ディオン司祭のことは心配するでない、近いうちに解放されるじゃろ。今日はちょうど、その目処が立ったところじゃ」

「ド、ドロシー様、それは、本当ですか……?」

 その朗報に、ソフィアは期待と喜びに満ちた声を上げる。

 本当に嬉しそうな声だ。ソフィアの心も不安から解放されたのだろう。

「よかったじゃないか、ソフィア!」

 俺も彼女を祝福した。


 ――でもなぜか、俺の心には悔しさにも似た、忸怩じくじたる思いが残った。


「お主の恩人は儂がなんとかすると言ったじゃろ。そのためにあちこち飛びまわっとるわけじゃしの」

 魔女はソフィアに優しい笑顔を見せる。

「ああ、本当にありがとうございます」

「うむ、うむ。さて、体も冷えとることじゃろう。風呂にでも行って体を温めてきなさい――儂はこの魔獣と、ちょっと話がある」

 今度は俺を指して、魔女は言った。

 ソフィアは再びお礼を言うと、仮面ゴーレムに連れられてエントランスを離れて行った。


 ソフィアがいなくなると、先ほどまでの優しげな態度とは打って変わって、魔女の説教が始まる。

 俺に優しくしてくれるつもりは、どうやらないらしい。

「……まったく、こんなときばかり無駄に行動が早いんじゃから……まずは儂に一言相談せんか!」

 魔女はプリプリと怒った様子で言う……とは言っても、その口ぶりから察するに、本気で怒っているわけではなさそうだ。

 どちらかと言うと、一切の相談がなかったことに対してねているように見えた。

「今後はちゃんと儂に教えるんじゃぞ、よいな?」

「いや、そんなこと言われてもな……」

 相談しようにも、そもそも城に居なかったのは魔女のほうだ。

 彼女には彼女の事情があるのだろうが、その説教は少々理不尽に思える。

 それを指摘すると、今度はさらに理不尽なデコピンが俺の鼻先を襲った。

「……痛い、暴力反対!」

「嘘をくでない、そんなに痛くないじゃろうが」

「まあ、そうだけどさ……そんなことより、教えてくれよ。どうして俺は、外に出られないんだ?」

 俺は先ほどの現象について質問した。


 俺に尋ねられると、魔女は少しためらうように目を伏せる。

「さて、どこから話したものか……」

 魔女は言葉を選ぶように、考えながらゆっくりと口を開いた。

「……実はの、お主の魂は冬に囚われておるのじゃ。今のお主は冬以外の季節を――暖かい季節を生きることは許されん、そういった存在なのじゃよ」

「なんだよ、その後付け設定みたいな制約は……」

 初耳である。この世界に来てから、すでに二か月近く。俺は今さらになって自分がこの冬に呪われた地に囚われていた事実を知った。

「後付けではない! 今までお主が外の世界に興味がなかったがゆえ、気が付かなかっただけじゃろが!」

 魔女はピシャリと言った。


 魔女は俺にかけられた魔法の代償について、さらに詳しく語った。

「お主を魔獣に変えた魔法は、同時に三つの代償をお主に与えておる。冬に呪われた地から出られんのも、そのうちの一つじゃな」

 また初耳だ。衝撃の真実が怒涛どとうのように明かされる。

「三つ? じゃあ、もう一つはなんだ?」


 一つ目は不死であることのはずだ。


 二つ目は、俺が冬に呪われた地から出られないことだと今知った。


 しかし、三つ目の代償には心当たりがない。

 また情報の出し惜しみをするかとも思ったが、今日の魔女は意外と素直に答えてくれた。


「三つ目は……そうじゃな、お主が地球に帰れないことじゃよ――お主が人間に戻らん限り、故郷の地を踏むことは絶対にできないのじゃ」

「ああ、そう言えば、前にそんなことも言っていたな。なるほど……」

 ……ん? 冷静に考えたら、二つ目と三つ目の制約がかぶっているよな?

 それとも異世界同士は別扱いなのか? 地球でもここでもない別の異世界なら、俺は自由に行動できる?

 まあ、それは考えたところで、異世界転移の魔法が使えない俺にとっては意味のない仮定だった。


 聞いたところ、一つ目と三つ目は大した代償ではない印象だ。

 問題は二つ目の、“冬に呪われた地から出られない”という制約である。

 この制約が重過ぎる。

 こいつのせいで俺は、レヴィオール王国奪還のために働きかけることはおろか、ディオン司祭を救出に行くことすらできない。

 せっかくの不死が、宝の持ち腐れだ。

 冬に呪われた地に引きこもって、何もできないなんて――それって本当に、ただ死んでいないだけじゃないか。

 俺がソフィアのためにできることは、本当に何もないのか……?


「戦うことばかりが、ソフィーを救う方法ではないぞ? お主にはお主にしかできんことがある」

 衝撃の事実に戸惑う俺をなぐさめるように、魔女が優しい声音で言った。


「例えば、それはなんだ?」

「……とりあえず、あの娘の傍に居てやることじゃ。お主はソフィーの、心の支えになってやるべきなんじゃよ」

 魔女は俺のたてがみを撫でながら答えた。

 しかし、俺は魔女のその言葉に納得はできなかった。

「何もできない俺が……どうやってソフィアの心の支えになるんだよ?」

 俺のやり場のない問いかけは、空虚なエントランスの中に消えて行った。


 * * *


 風呂から上がったソフィアが俺たちの前に現れたのは、それから約一時間後のことだった。

 暖炉のある部屋に入ってきたソフィアは、いつもの修道服に着替えていた。

「あ、魔獣さん。ここにいらしたのですね? お夕飯の準備、できているそうですよ?」

「ああ……」

 ソフィアに呼びかけられたものの、考え事をしていた俺は生返事を返してしまった。


「しかし、ソフィアの手料理も久々じゃのう……楽しみじゃ」

 今日は珍しく魔女が城に残っていた。彼女も夕食の席に同席するつもりようだ。

「いいえ、今日はわたし、あまり手を出していませんよ。ゴーレムさんたちが頑張ってくださったので」

 その事実を知った魔女は、ショックを受けた顔でソフィアに振り替える。

 まあ、仕方ない。残念ながら当然の反応だろう。あの失敗料理について、記憶はまだ新しい。

「……また、生焼けの料理じゃないよな?」

 俺が警戒混じりに尋ねると、ソフィアはクスクスと笑った。

「心配はご無用です。最近はあの子たちも、料理の腕が上達していますから」

「ううむ、これほど不安な気持ちで晩餐ばんさんに挑むのは初めてじゃ……」

 魔女は悩ましげな表情で先に部屋を出た。


 俺も魔女について部屋を出ようとすると、背後からそっとソフィアが引き止めた。

「ん、どうした?」

「……魔獣さん。今日は、ありがとうございます」

 背後からソフィアのささやくようなお礼が聞こえた。

 しかし、その優しい言葉は逆に俺を悲しい気分にさせた。なぜなら、結局俺には何もできなかったからである。

 俺が振り返ると、ソフィアは微笑んでいた。

「……実はわたし、少しだけ嬉しく思いました。魔獣さんが外に出られないって聞いて……ああ、これで、わたしのせいで魔獣さんが傷付くことはないんだって」

「ソフィア……」

 あの黒い炎にかれた痕を治療してくれたのは彼女だ。そう考えるのは自然なのかもしれない。

 だが、俺自身がそれで納得できるかはまた別だ。

「……余計な心配だったでしょうか? でもわたし、ディオン司祭と同じくらい、魔獣さんにも傷付いてほしくないと思っているんですよ?」

 不意にソフィアは俺の頭を抱き寄せ、ひたいに触れるようなキスをした。


 ――ひたいとはいえ、女の子からキスをされたのは、当然初めての経験だった。


 やわらかい唇の感触が離れると、ソフィアは言った。

「だから、ありがとうございます、魔獣さん。わたし、本当に嬉しかったです。でも、やっぱり、わたしたちの戦いは、わたしたちで終わらせますから……お気持ちだけで、十分です」

 ソフィアの感謝の言葉には、純粋な気持ちと決意が込められていることが分かった。


 ――しかしその言葉は俺にとって、突き放すような戦力外通告に聞こえた。

 さっきの口づけすらも、今の俺には別れの挨拶あいさつのように思えてしまった。


「さあ、魔獣さん。わたしたちも、行きましょう?」

 ソフィアは紺色のロングスカートを翻し、食堂へと向かった。


 ただ死なないだけの無力な魔獣である俺は、何事も成せないまま、去って行く少女を見送った。




 いくら覚悟を決めても、チカラが無ければ何もできない。

 力が無くても上手く立ち回れば、努力すれば何かを成し遂げられるなんて、やっぱりそんなものは幻想だった。


 現に、あの黒騎士にはやぶることができた壁を、俺は越えられなかった。

 きっと俺だって、あの黒い炎やそれを超えるチカラを持っていれば、あの壁を焼いて突き進むことができたはずなのだ。

 なのに、誰かが勝手に決めた制約ルールを愚直に守り続けるしかない俺は、この冬に呪われた地から出られない。


 なけなしの勇気も無駄だった。

 力が無ければ何もできないという現実を、ただ証明しただけだった。


 俺は彼女の英雄ヒーローには成れなかった。


 いつもの暖炉が燃える部屋に独り取り残された俺は、無力感に打ちひしがれていた。



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