第四章 不死身の魔獣と太陽の弓使い

あれから

 あれから、早くも一週間が過ぎた。

 俺の怪我はなんの問題もなく完全に回復し、むしろ以前より調子が良い。


 あの黒騎士が暴れまわった痕跡こんせきも、降り続けた雪がとっくに埋め尽くして、今は白一色に染め上げてられている。

 この城に再び訪れた、冬に閉ざされた静かな日々。

 しかし、ソフィアの心に打ち込まれたくさびがそう簡単に抜けるはずがなく……そしてなぜか、彼女は一日の大半を家事仕事に費やすようになっていた。


 ソフィアは今までも十分以上な働き者であったが、ここ数日は今まで以上に、明らかに過ぎた量の仕事をこなしている。

 なにせ朝早くから日が沈むまで、この無駄に広い冬の城を延々と掃除し続けているのだ。

 身を粉にするどころではない。

 その姿はまるで自ら苦行を課して、自身を責め立てるかのようだった。


 もしかするとそれは、俺の考え過ぎなのかもしれない。

 単に修道女シスターとして身についた習慣がそうさせるだけだったり、あるいは、単にじっとしているよりは気がまぎれるから……というだけの理由なのかもしれない。

 だが、いずれにせよ、見ているほうが心配になる。それほどの働きぶりだった。


 しかし、俺がソフィアに対してできることがほとんどないのも、また事実だ。

 たまに俺のほうから強引に屁理屈こねて小休止を取らせるが、休んでいる間もソフィアは心ここに在らずといった感じなのだ。


 ウサギを膝の上に載せて、趣味の編み物をしているときでさえも、ふと気が付くと、彼女は物憂げな表情で窓の外を眺めている。

 その姿は傍で見ていて、あまりにもいたたまれなかった。

 いっそ掃除でもなんでもいいから、なにか義務的に没頭させているほうが多少はましなのではないか……そんなふうに思えてしまう。


 彼女がうれいているのは間違いなくディオン司祭――ひいては、以前彼女が修道女として暮らしていた小さな町の人々のことだろう。

 だが、彼女にできるのは、祈ることだけだ。

 彼女に戦う力はない。

 だからこそ、彼女は逃げ出して――この冬の城に辿り着いたのだから。

 神殿騎士が自分以外には手を出さない。そんな都合の良い懇願こんがんを必死で信じるくらいしか、彼女にできることはなかったのだ。




 ある日、とうとう俺は我慢できず、魔法の鏡に命じてみた。

 なるべく深くは関わらない……最初にそう決めたスタンスも、今となってはどこへやら。

 でも、確かめもせず放置するわけにはいかないだろ?

 少なくとも、俺にはできなかった。


「町の様子……ソフィアが元いた町を映せ」

 すると鏡に波紋が広がり、西洋風な田舎町の様子が映し出される。

 そこ映し出されたのは――幸いにも、平和な日常だった。


「……どうやら、町の人間は無事なようだな」

 映し出されたのは焼き滅ぼされた瓦礫がれきの町――そんな悲劇にならないかと、内心では冷や汗をかいていたが、大丈夫だったようだ。

 例えば、異教徒を匿った町の住人ごと皆殺しにする。

 地球の歴史をかえりみれば、そんな可能性だって十分にありえた。

 あの黒騎士、クロード将軍は思っていたよりも、同胞に対してはまだ理性的であったらしい。

 しかし町の雰囲気も底抜けに明るいわけではなく、ソフィアや連れて行かれたディオン司祭の心配をする町人の姿も垣間見えた。


 さて、町の様子は問題なさそうだ。

 次が本命である。

 俺は覚悟を決めて、再度鏡に命令した。

「……ディオン司祭の、現在の姿を見せろ!」

 鏡に波紋が広がる。

 映し出されたのは牢屋だった。


 ……まずは、映し出されたのが墓標でなくて一安心だ。

 牢の中は薄暗く、窓が見当たらない。もしかしたら地下牢なのかもしれない。


《う、うう……》

 鏡の向こうで、牢に入れられた人物が苦しげにうめいた。


 鎖に繋がれているのは痩身の老人だ。おそらく、彼がディオン司祭なのだろう。

 見たところ、まだ息はあるようだった。


 とりあえず、ソフィアの育ての親の命は無事である。

 俺は安堵あんどのため息を吐く。


 しかし、全身に残る生々しい拷問の跡。これを見てしまうと、喜んでばかりもいられない。

「続けて質問だ。ディオン司祭が捕われているのは、どこの牢屋だ?」

 俺はさらに鏡に問いかける。

 すると鏡の映像がディオン司祭から離れていき、荘厳かつ壮大な建築物が映し出された。


 神聖な雰囲気の巨大建造物。立ち並ぶ歴代の英雄像。

 まるでサクラダファミリアのような――いや、もはや都市そのものが一つの神殿となっていると言っても過言ではない。


 そこはメアリス教国の中心、聖都ガイリアと呼称される都市だった。

「思っていたより、デカいな……」

 魔術なるものが存在する以上、単純な比較はできないが、こちらの世界の建築技術もなかなか進んでいるらしい。


 流石はメアリス教の総本山と言ったところか。

 位置は冬の城ここから直線距離にして三百キロメートルほど……だいたい東京から名古屋までくらいの距離だ。


 ――しかし、魔獣化した今の俺なら、丸二日あれば、駆け抜けられる程度の距離でもあった。


 * * *


 ソフィアの姿を探すと、彼女はいつもの暖炉の前で編み物をしていた。

 今日は何がなんでもソフィアを休ませるよう、しっかりと仮面ゴーレムたちに言い含めていたのだ。

 彼女の様子を見るに、どうやらその甲斐はあったようである。


 しかし、彼女の編み物の進捗しんちょくはあまり良くない。

 今この瞬間も彼女の手は止まっていて、物憂げな表情で窓の外を眺めている。

 俺はソフィアを驚かせないように、そっと歩み寄った。

「あ……魔獣さん……」

 窓の外を眺めていたソフィアが俺の接近に気が付いた。


 ハッとした表情で立ち上がるソフィア。

 膝の上で眠っていたクソウサギはバランスを崩し、慌てて飛び降りていた。

「す、すみません。わたし、ぼうっとしていました……」

「構わないさ。根を詰め過ぎると、体に毒だぞ?」

 過労とストレスで胃袋に穴が開いて、内出血で倒れた俺が言うんだから間違いない。

 流石はブラック企業のIT土方、言葉の重みが違うぜ。

「むしろ、ソフィアはもっとゆっくりと過ごすべきだ」

「そんな……いけません。わたしはこのお城に、泊めていただいている立場なのですから……」

 遠まわしに働き過ぎだと注意したが駄目だった。ソフィアは全然譲ろうとしない。


 ふと、生存者の罪悪感サバイバーズギルトという心のやまいを思い出す。

 もしかすると、彼女の献身的な奉仕もその一種なのではないだろうか?

 今のソフィアは自責の念にさいなまれて、自虐のためにだけ働いているよう思えた。


 このままでは良くない。

 俺はそう思った。

 きっとこれは、誰かがはっきりと言ってやらなければいけないことなんだ。

「……ソフィア、いい加減にしないか」

 本当ならこういうのは魔女の役目のはずだが、俺は意を決してソフィアと向き合った。

 たとえ拒絶されることになっても、現状維持よりはずっとましなはずだ。

「なんのためにそこまで自分を追い込むんだ? ソフィアが必要以上に自分を犠牲にして誰かに尽くしたところで、ディオン司祭が救われるわけではないのだぞ」

 俺は残酷な現実を伝える。

 ディオン司祭のことは、今日まで避け続けた話題であった。


 ソフィアにとって、無理に働くことは贖罪しょくざいの儀式なのかもしれない。あるいは、おまじないか願掛がんかけのつもりだったのかもしれない。

 だが実際には、それはなんの解決にもならないのだ。

 報われることのない、ただひたすらに無駄な行為である。


 辛い思いをすれば、後でその分幸せになるなんて、そんな法則はこの世に存在しない。現実とはもっとシビアにできているのだ。


「第一、そんな理由で優しくされても、俺は嬉しくない……ソフィアが自分を責めている姿は、見ている俺も辛くなる」

 ソフィアにも自覚があったのだろう。

 彼女は何も言い返してこず、黙り込んでしまった。




 暖炉の前で、俺とソフィアは静かに並んでいた。

 うつむくソフィアは何もしゃべらない。

 部屋の空気は重い。

 自業自得とはいえ、気まずい。

 二人の間に、微妙に空いた隙間。それは、そのまま俺とソフィアの距離感なのだろうか。


 一方でクソウサギはマイペースに、用意された専用のエサ皿に入った野菜や果物を食べていた。

 このウサギは魔獣化しているゆえに雑食性らしいが、ウサギの本能的には野菜が嬉しいのだろう。今は白リンゴとニンジンを交互に頬張っていた。

「……美味いか?」

 俺が尋ねると、言葉を理解しているのかいないのか、クソウサギはうなずいたように見えた。

 そのやり取りを見て、ソフィアが小さく笑った。

「……ペトラちゃんって、この白いリンゴ、大好きですよね」

 やっと、ソフィアが口をいてくれた。

 それは怖々と距離を測るように。

 必要だったとはいえ、だいぶきつい物言いをしてしまったからな。そんな他愛のない話でも、それは俺にとって救いだった。

「……そうだな。自分じゃ落ちてきたリンゴしか採れないくせに、贅沢なウサギだ」


 ちなみにペトラとはこのクソウサギの名前だ。

 俺がいつもピーター・クソウサギ呼ばわりしていたからか、ソフィアがその女性形を名付けたのである。


 なにはともあれ、このクソウサギのおかげで、少しだけこの場の空気がなごんだ。

 それについては、素直に感謝しておこう。

 俺が心の中で礼を言って撫でようとすると、ウサギはそれをかわし、ソフィアの膝の上に跳び乗った。

 クソウサギは俺に向かってクゥクゥと、小馬鹿にするような鳴き声を上げる。

 ……相変わらず、俺は小動物には懐かれないみたいだ。

 俺は観念して、やり場のない手を引っ込めた。

 その様子を見て、ソフィアはまたクスクスと笑った。




「……わたし、戦う覚悟ができているつもりでした」

 ソフィアはウサギを撫でながら、おもむろにぽつりぽつりと独白を始めた。

 俺は黙ったまま耳を傾ける。

「すべての準備が整ったあかつきには、わたしがレヴィオール王国解放の旗印はたじるしとして表舞台に……直接戦うことができなくても、時が来れば、皆のためにできることがあるって、そう思っていたのです」

 ソフィアのその考えは間違っていない、俺はそう思う。


 亡国のお姫様が……それも、十七歳の少女が自ら反乱軍を指揮して悪の教皇を討つ。

 そんな展開がありえるのはフィクションの世界だけだ。現実的ではない。


 実際のところ、ディオン司祭たちの庇護ひご下で聖女として振る舞うのは、彼女の立場や能力を考慮すれば最も現実的な計画プランだったはずだ。


「……でも、結局わたしには、何もできませんでした。あの黒騎士の力の前には、わたしの存在なんて無力で……いつだってもわたしは、守られてばかりで…………」

 段々と声は小さくなり、最終的にソフィアは顔を伏せてしまった。


 ソフィアはそっと俺の腕に触れる。

 あの日、黒騎士に切り飛ばされ、失ったほうの腕だ。

 俺が黒騎士と戦って傷付いたことを、まだ気に病んでいるのだろう。

 あんなの、俺が勝手に喧嘩を吹っかけて、返り討ちに会っただけの自業自得なのに。ソフィアにこんな思いをさせる結果となったのは本当に心苦しい。

「わたしだって……本当は理解しているんです。皆を見捨てたくせに、自分だけは、魔獣さんと一緒に、平穏な日々を……それが、浅ましいお願いだってことは……そんなことは、分かっているのです」

 目に見えて落ち込んだ様子のソフィア。ウサギは心配そうにクゥクゥと鳴いていた。


「……ソフィアは何も悪くないさ」

 彼女の独白が終わったタイミングを見計らって、俺は言った。

「故郷のレヴィオール王国を滅ぼしたのも、ディオン司祭を連れ去ったのも、全部悪いのはメアリス教国だ。ソフィアに責任はない。ソフィアの感じている罪悪感は……そう、ただのまやかしだよ」

「でも――でも、だからって、知らないふりはできません。魔獣さん……今、わたしにできることって、本当に何もないのでしょうか?」

 ソフィアは俺に問いかけた。


 難儀な娘だ。

 優しいがゆえに、不幸になる。

 自分より不幸な誰かを見て、自分が恵まれていることに罪悪感を覚える。

 自分より辛い思いをしている人がいるのだから、自分の不幸をなげいてはいけないと思っている。


 しょせん他人の痛みは他人の痛みでしかないのに、彼女はそれがまるで自分の痛みであるように感じてしまうのだろう。

 そして、誰かのために……他人の都合に合わせて生き続ける。

 他人の痛みが癒されたところで、同じように自分の痛みが癒してもらえるとは限らないのに。


 悲しみが蔓延まんえんしているこの世界で、まるで不幸になるために生まれてきたような少女。

 その救いを求めるような悲痛な魂の叫びに、俺の胸も痛くなった。


 ソフィアの問いかけで、俺の決意は固まった。

「……ならば、一緒に行こうか」

 その誘いの言葉は、自然と口から出ていた。

「行くって、どこへ……?」

「もちろん――ディオン司祭を、助けにさ」

 それは、以前から考えていたことだった。




 もし俺が、ディオン司祭を助けることができたなら、レヴィオール王国を取り戻すことができたなら、ソフィアは心の底からの笑顔を見せてくれるだろうか。

 今の悲しげな作り笑いではない、彼女の本物の笑顔を取り戻したい。

 たとえそれが、バラの花が散ってしまうまでの幻想だったとしても、この冬に閉ざされた世界での……あの燃える暖炉の前の心地よい時間を取り戻したかった。


 俺は知っていた。

 ソフィアが夜な夜な一人で泣いていたことを。

 憎らしいことに、この獣の聴覚がそれを聞き逃すことはなかった。


 俺はあまりにもソフィアと深く関わり過ぎた。

 もう、不干渉ではいられないし、いたくない。

 そして、奪われたソフィアの笑顔を取り戻すためには、戦うしかないと理解していた。

 だから俺は決意したのだ。


 ソフィアに悲しい顔をさせる全てを、敵に回してもよいという覚悟。

 俺はもう、自分が弱いことを理解している。

 本気を出したところで、大したことはできないだろう。

 ましてや、国一つを丸ごと相手取るなんて、不死身であってもできるはずがない。


 でも、たった一人の老人を――彼女の育ての親でもあるディオン司祭を助けるくらいなら……もしかしたら、上手く立ち回れば可能なのではないかと考えた。

 できることは何もない? 違う、それは始める前から諦めているだけ。

 弱くたって、できることはあるはずなのだ。


 あとは、彼女の意志と、願い次第だった。

 それがきっと、俺に勇気をくれるから。


「――さあ、どうする? ソフィア」

 俺はえてもう一度、彼女に問いかけた。



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