魔獣の血と乙女の涙

 日が沈むまで魔術の特訓に明け暮れたその夜。

 食事の後、俺は暖炉の前でソフィアにブラッシングされていた。


 唐突な申し出だったが、どうも以前からソフィアは、俺のボサボサのたてがみが気になって仕方がなかったらしい。

 ソフィアに強く言われた俺は、無抵抗で彼女のブラッシングを受けることにしたのだ。


 確かに言われてみれば、魔獣になってから毛づくろいなんて一切していないからな。

 自分では気が付かなかったが、結構絡まっていたり、毛玉ができていたりするようだ。


 ……まあ、そんなのは全部建て前で、本当は単にさびしいんだろうな。

 こんな魔獣と一緒に居たがるソフィアの心情を、俺はそう推察した。


 窓の外には月が輝いているが、まだ魔女は帰って来ていない。

 魔女が居なければ、ソフィアはこの冬の城の一室でひとりぼっちだ。


 仮面ゴーレムは喋れないから話し相手には向かないし……それに、これはあくまで俺の個人的な感想だが、やっぱりあいつらの外見は不気味だからな。

 そういった事情もあって、俺はソフィアを冷たくあしらうわけにもいかず、彼女の座る横で寝そべっていた。


「……すまないな、ソフィア。ブラッシングなんかしてもらって」

 ソフィアの寂しさを紛らわすため、なるべく優しく声をかける。

「いいんです、わたしが好きでやっていることですから。気持ちいいですか、魔獣さん?」

 そう俺に尋ねるソフィアは、心なしか上機嫌に見えた。


 一緒にいるだけで満足してくれるなら、こんなに楽なことは無い。

 これも一種のアニマルセラピーというやつであろうか。

「ああ、とても気持ちが良い。ありがとうな、ソフィア」

 ソフィアの繊細なブラシ使いに身をゆだねながら、俺はそう返した。


 さて、毛づくろいを受けている側の俺に、できることは何も無い。

 温かい部屋で何もせず寝そべっていると、ソフィアの手の心地よさも相まって眠たくなってきた。

 そして、ソフィアのほうも三十分ほど経てば、ブラッシングという大義名分も曖昧あいまいになったようである。

 うたた寝から覚めてみれば、彼女は俺の後ろ足の肉球をプニプニして遊んでいた。


 ……俺の正体を考えるとなかなかヤバい絵面だが、これからも俺は魔獣の姿なのだから、問題ないということにしておこう。

 特に不快ではなかったので、俺はされるがままになっていた。


「えいっ!」

 またしばらく暖炉の前でウトウトしていると、ソフィアが俺のたてがみに抱き着いてきた。

 その振る舞いの無邪気さよ。

 普段はしっかりしているように見えるが、本当はまだまだ甘えたい年頃なんだろうな。


 こんな姿を見せられると、女性というよりも、むすめみたいに意識してしまう。

 俺は可愛いソフィアの頭を、尻尾で優しく撫でてやった。

「ウフフ……魔獣さん、くすぐったいですよ……」

 尻尾で撫でられたソフィアは楽しそうに笑った。




 もしも、俺が人並みの人生を送っていたとしたら、今頃このくらいの子供がいたのだろうか……。

 ……いや、ないな。


 ソフィアの年齢は十七歳。

 十七年前だと、俺はまだギリギリ学生だ。

 恋愛的にも、経済的にもありえなかった。


 とはいえ、卒業後の人生を振り返っても、俺にこんな幸せを手に入れる機会が皆無であったのは間違いない。

 運命とは、つくづく皮肉なものだ。

 この暖炉の前の穏やかな幸福は、俺が獣に堕ちたからこそ手に入れられた時間だったのだから。




「ずいぶんと仲良さそうにしておるじゃないか」

 ふと気が付くと、魔女が寝そべる俺の前に立っていた。

「ドロシー様、お帰りなさい」

「ああ、やっと戻ってきたのか」

 ……あれ? 魔女はここに住んでいるわけじゃないのに、「戻ってきた」と表現するのはおかしいか?

「すまんの、思ってた以上に話が盛り上がってしもうて」

 魔女が懐から茶色の小瓶を取り出した。

「なんだ、それは?」

「これはソフィーのツノを治すための薬じゃよ」

 魔女は茶色の小瓶を俺たちに見せつけた。


 ――前々から思っていたことがある。

 ソフィアのツノについてだ。

 以前に魔女が言っていたバフォメット族の特徴。それは確か、「褐色の肌に白い体毛、横向きの瞳孔にヤギのヒヅメツノを持つ魔導の民」だったはず。

 しかし、俺の見る限りソフィアにはツノなんてなかった。


 それでも今日までは、女性には生えないものなのかな? と勝手に納得していた。

 だが、さっき尾で頭を撫でた時、俺は違和感に気が付いてしまったのだ。


 頭部の左右に二か所、頭髪もほどんど生えていない、ゴリゴリとの残る場所。

 まるで、家畜にされた除角のあと


 おそらく、彼女のツノは人為的に、根元から折られていたのだろう。

 どんな経緯かは知らないが……考えるだけで胸くそが悪い。

 だって、それがどんな理由であれ、あまり楽しい事情ではないのは間違いないのだから。


「まあ、そんな……!」

 ソフィアが茶色の小瓶を見て、悲鳴のような驚きの声を上げた。

「本当に、本当に、治るのですか……!」

 ソフィアの声は、感激に震えていた。

 彼女にとって、バフォメット族にとって、ツノはそれほど大切なものなのだろう。

「ああ、そうさ。儂は嘘なんて滅多めったに言わんよ」

 魔女はソフィアをそっと抱き寄せる。

「よし、よし。辛かったのう、ソフィー。もうすぐ、治るんじゃよ」

 そう言いながら、彼女はまるで母親のように優しくソフィアの頭を撫でた。


「……なあ、治せるのなら、早く治してしまったほうがいいんじゃないか。それをソフィアに飲ませれば、ツノが治るんだろ?」

 いつまでも抱き合ったままの二人に、俺はしびれを切らせる。

「まあ待て、慌てなさんな。こいつを飲んでも、ソフィーのツノは生えてこんよ」

「あ、もしかして塗り薬だったのか」

「落ち着け。こいつはまだ、ただの調律薬クリシセラムじゃ」

 魔女は茶色の小瓶を指して言った。


 耳慣れない言葉だ。こっちの世界固有の名詞ゆえか、翻訳魔法がうまく機能していないらしい。

「ク、クリシ……?」

「魔獣の血を、人間用に調整するための秘薬じゃよ。これを再生力の高い魔獣――例えば多頭竜ヒュドラの血に混ぜればエリクシル・アナスタシスが……お主にも分かるよう言えば、再生の秘薬が完成じゃ。飲めばどんな欠損でも、たちまち癒すことができるじゃろう」

「……なるほどな、話の流れは理解したぞ。つまり俺は、ヒュドラを狩ってこればいいんだな!」

 ヒュドラといえば、ギリシャ神話を代表する多頭竜。

 もし地球の伝説と同じ存在なら、かなりの強敵となるだろう。


 しかし俺だって不死の魔獣だ。何より、ヒュドラの対処法は知っている。

 どうせ首を切った切り口を焼けば蘇生できないとか、そんなオチだろう。

 新しく会得した魔術の試運転もかねて、少し本気でやってみるか……!


 ちょっとしたゲームのような展開。冒険の予感にワクワクした俺のやる気がたぎる。

 だが、そんな張り切る俺の出鼻はすぐに挫かれた。

「お主、今日は妙に威勢がいいのう……まあ待て、慌てるでない。そんなことせんでも、多頭竜ヒュドラ以上の再生力を持つ魔獣が、此処ここにおるじゃろ?」

 魔女は空間から大きな薬瓶と、銀のナイフを取り出した。


 一つ目のヒント、ヒュドラ以上の再生力を持つ魔獣……もしかして、俺のことじゃないか?

 二つ目のヒント、大きな薬瓶と、銀のナイフ。

 ――俺の中でその二つの点が一本の線となる。


「まさか……!」

「さて、ソフィーの目の前でやるわけにもいかんから、いったん廊下に出るかの」

「待てコラ、俺を部屋の外に連れ出して、何をするつもりだ!?」

 不吉な予感に俺は戦慄する。

「そりゃあ、もちろん。献血の時間じゃよ」

 献血の道具とされたナイフ。

 それは窓から差し込む月光を受けて銀色にきらめいた。


 冗談じゃない! せめて注射器使うとかさ! こっちの世界にあるか知らないけど!

「ソフィーや、すぐに終わるからちょっと待っておれ」

「ま、待て、落ち着け。それは明らかに採血の道具じゃ……や、止めろぉぉーー!!」

 俺は魔力で作られたひもに拘束される。

 結局逃げることも能わず、俺はそのまま廊下に連れ出された。


 何度でも言わせてもらうが、死ななくても痛いものは痛いのである。

 肉体は痛みに耐えられるし再生だってするが、だからって傷付くのが好きなわけじゃない!


 蒼シカ狩りの中で会得した痛みを無視するすべは、ここでも遺憾いかんなく発揮される……と思ったが、意外にも、そんなことはなかった。




 銀のナイフを使った乱暴な献血方法は、意外にもあまり痛くなかった。

 むしろ、俺を取り押さえるための拘束魔術のほうが苦しかったぐらいだ。

 薬瓶の中に溜まっていく俺の血。

 赤黒いその液体は、蒼シカの血よりも濃密な魔力を含んでいた。

 これだけで、薬としての効果が見込めそうだと錯覚しそうな程だ。


「不死身の魔獣の血か。もうこのまま飲ませて効果あるんじゃないのか?」

 傷口を修復させながら俺は、気になったことを魔女にいてみた。

「なんじゃ? お主は自分の血をそのままソフィーに飲ませたいのか?」

「……そう表現されると、変態臭くて嫌だなあ。そんな意図はねえよ」

「じゃろうな。まあ、お主の血を飲めば、半日ぐらい不死身になれるかもしれん」

「おお、すげえ」

「じゃが、流石に欠損部位の再生はできんじゃろうな」

「ダメじゃん」

 それってもしかしなくても、ただ死なないだけじゃないか……。

 特に期待していたわけでもないが、期待外れだ。使い道が拷問ぐらいしか思いつかない。

 俺の血はそのままだと、万能薬になれないらしい。


「お主に限らず、調整していない魔獣の血なんてそんなもんじゃよ。多頭竜ヒュドラの血なんぞは、それこそ恐ろしい猛毒でもあるしの」

「再生の秘薬の材料なのに、猛毒なのか」

「しかも半日は絶対死ねないとうから、地獄の苦しみらしいぞ? ちゃんとそれなりの効果が期待できる分、お主の血のほうがましとも言えるの」


 魔女は薬瓶に溜まった俺の血に、ほんの少しの調律薬クリシセラムを垂らした。

 調律薬クリシセラムを混ぜられた俺の血はたちまち透き通っていき、黄金の輝きを放ち始めた。

 再生の秘薬の完成である。

「これぞまさしく、死すらをも否定する生命の輝き……成功じゃな。さて、さっそくこれをソフィーに飲ませてやるかの」

 魔女は薬瓶を撹拌かくはんしながら、ソフィアの待つ部屋に向かった。




 場所は戻って暖炉の部屋。

 仮面ゴーレムが用意したのは、ハーブティのティーカップ。

 魔女はその中に、再生の秘薬を一滴だけ滴下した。

「それだけか?」

 俺は尋ねた。

「一滴で十分じゃよ。さあ、ソフィー。飲んでみなさい」

 魔女はソフィアにうながした。

「はい。では、いただきます……」

 ソフィアはティーカップに口をつけ、そのまま全て飲み干した。


「……どうだ、ソフィア?」

 変化はすぐ訪れた。

「あ、う、ううっ……クッ……!」

 ソフィアが頭を抱え、椅子の上でうずくまる。


「ソフィア、大丈夫か!?」

 俺は呼びかけたが、しかし彼女に応える余裕はないようだ。

「あぁ、ぅ、ぁぁぁあああああああああああああああ!!」

 あまりの激痛にソフィアが叫ぶ。


 そして骨の軋むような音。

 まるで植物の成長を早送りで見ているみたいに、ソフィアの頭からヒツジのようなツノが丸く弧を描きながら生えてくる。

 そしてソフィアが落ち着いた頃には、見事に捻じれたツノが生えそろっていた。

「ハァ……ハァ……、おさまり、ました……?」

 再生の痛みを乗り越えたソフィアのドレスは汗ばんでいた。


 彼女が顔を上げると、綺麗な少女の顔には不釣り合いなほど、大きな捻じれツノがあった。

 俺が想像していた倍以上は大きいツノだ。

「うむ、見事。王族に相応しい立派なツノじゃな、ソフィー」

 魔女が祝福した。

「ほら、使え」

 自分の目でも見て確認したいだろう。

 そう思った俺は、ちょうど手元にあった魔法の鏡をソフィアに手渡した。


 ソフィアは鏡を見ながら、恐る恐るといった様子で、自分のツノをなぞるように触る。

「あ……ああっ…………!」

 喜びに打ち震えるソフィアの声。

 感情を抑えられなくなった彼女の目から、ポロポロと涙が零れ落ち始める。

「ありがとうございます、ドロシー様。ああ、本当に、こんなことって……もう、諦めていたのに……」

 後半の言葉は声にならず、ソフィアの口からは、ただただ嗚咽おえつが漏れた。

「ごめん、なさい……嬉しいのに……涙が、止まらなくて…………」

「ほれ、何をしとるんじゃ。男ならここで、優しく抱き寄せてやるもんじゃよ!」

「え、俺!?」

「お主以外に誰がおるんじゃ!」

 そんな色男専用スキル、俺に求められても困る!

 しかし俺が行動を起こすよりも先に、感極まったソフィアのほうが俺に抱き着いてきた。

「魔獣さんも、グスッ……ありがとう、ございます…………!」

「お? あ? え!?」

 いきなり女の子に抱き着かれて、どうすればいいのか分からない童貞の俺。


 なんなのだ、これは!? どうすればいいのだ!?

 当然その答えが得られることはなく、ソフィアが落ち着くまで俺は不器用にあやし続けるしかなかった。




 ソフィアは数十分の間、ずっと泣いていた。

 今まで気丈に振る舞っていた分、溜まっていたものがあったのだろう。

 泣き止んだ後は、少し照れくさそうにしていた。


「さて、儂はそろそろ行くかの」

 ソフィアの嬉し泣きが落ち着いたタイミングを見計らって魔女が言った。

 またローブを着こむ魔女は、外出するつもりのようだ。

「今からどこか出かけるのか?」

「ああ、今度はちいと厄介な魔女に会わねばならんくなっての……」

 魔女は心底嫌そうな顔をしていた。


 いったい、どんな魔女に会うつもりなのか。

「そうか……あんたも大変だな」

「お主も、面識のない魔女には注意するんじゃぞ? 魔女界屈指のド変態と狂人がお主を狙っておるかもしれんそうじゃ」

 そう言い残すと、魔女は転移魔法でその場から姿を消した。

 いや、ド変態と狂人て……その情報を教えられたところで、俺にどうしろと?


「ドロシー様、行ってしまわれましたね」

 二人きりとなった部屋の中、ソフィアがぽつりと口を開く。

「そうだな……」

「……魔獣さん、さっきは、ありがとうございます」

 唐突にソフィアが礼を言った。


 ……俺、何かしたっけ?

「そうは言われても、礼を言われる心当たりはないがな」

「いいえ、そんなことはないです。わたしのためにヒュドラを倒すって言ってくださったこと、とても嬉しく思いました」

 ああ、あれのことか。

「結局、言っただけで、何もしなかったけどな」

 そもそも冷静に考えれば必要なのは血だけなのだから、狩る必要すらなかった。

 空回からまわりも良い所である。

 だがそれでも、ソフィアは屈託のない笑顔を俺に見せた。

「でも、そのお気持ちだけでも、わたしは嬉しかったです」

「そうか。なら、そのお礼は素直に受け取っておこう」

 あのくらいで、この美少女の笑顔が拝めるのなら、安いものだ。


 ――しかし、どんな気の迷いだったのだろうか。俺はさらに一歩を踏み込んでしまった。

 ソフィアの優しい言葉が、俺に夢を見させてしまったのだろう。

 俺にも、彼女のためにできることがあるかもしれないと、そう思ってしまったのだ。

「……ソフィア。故郷やディオン司祭のことでも、もし俺にしてほしいことがあれば、遠慮なく言ってほしい」


 それは、俺にとっては膨大な勇気を必要とした、偉大な一歩だった……のかもしれない。

 俺は昼間の出来事を、無理して元気に振る舞うソフィアの表情を忘れていなかった。

「魔獣さん……」

「もちろん、俺にできることには限界があるが……」

 言葉にしたは良いものの、今さら少し日和ひよってしまう。


 俺にできるのは、具体的に何を倒せとか、何かを探せとか、そんな簡単なことだけだ。

 大したことはできないと、自分でも分かっていた。

 それでも、この気持ちを伝えずにはいられなかったのだ。


 辛い境遇にあるソフィア。

 決して不幸になるべきではない、心優しき少女。

 こんな俺でも、彼女の笑顔が守れるのなら、チカラを貸してやりたかった。


「……ありがとうございます。魔獣さん……そのお気持ちだけで、わたし、十分に救われました」

 ソフィアは再びお礼を言った。

「ドロシー様からも魔獣様からも、これほど親切にしてもらって。貰ってばかりで申し訳なくなります」

「そんなことはない。俺だって、ソフィアからは色々してもらっている」

 実際、食事に関してはソフィアに任せっきりだ。

 感謝しているのは俺のほうである。

「でも、レヴィオール王国のことも、ディオン司祭のことも、わたしの、わたしたち人間の問題です。これ以上魔獣さんのお手をわずらわせるつもりはありません」

「そうか……」

 しかし後から考えれば、こうなることは、なんとなく予想がついていたのだと思う。


 もしここでソフィアが助けを求めるような少女なら、初めから魔女や俺に泣きついていただろう。

 ソフィアが人間たちの力だけでその問題を解決しようとするのなら、俺はその覚悟に応えることしかできない。


 ならばせめて、ソフィアがこの冬の城に居る間だけでも、彼女が平穏に暮らせるように努めよう。

 俺はそう心に誓った。




「……もしも――」

 ソフィアが何かを口にしたが、その声は小さく、よく聞こえなかった。

「なんだ?」

「いいえ、なんでもありません……そうだ、わたしばかりずるいです。今度は魔獣さんのお話も、聞かせてください」

 唐突にソフィアが言った。

 しかし、そんなことを突然言われても、いったい何を話せばいいのやら……。

「い、いきなりだなあ」

「じゃあ……わたし、昼間のドラゴンさんのお話が聞きたいです!」

 チャンスとばかりに、ソフィアが目を輝かせる。

「オゥ、よりにもよって、アレか……」

 俺が昼間のソフィアを忘れていなかったように、昼間の黒歴史をソフィアも忘れていてはくれなかったようだ。


「アレは……流石に止めとこうか。あまり明るい物語ではない」

 なんせ伝説扱いされる程にうつなゲームのストーリーだからな。

 俺はプレイしたことないが、マルチ・バッドエンディング・システムって、なにそれ斬新すぎて怖い。

「別の話にしよう。そうだな、なにか真っ当な昔話を……竹取物語なんかどうだ?」

 我ながら無難なチョイスだ。

 少なくとも、登場人物が狂人と変態しかいない鬱ゲーよりはましなはずである。


「タケトリ……?」

 当然ながら、ソフィアは竹取物語を知らないようだ。いや、もしかしたら異世界の英雄が伝えている可能性もあるのか?

「“かぐや姫”とも呼ばれることがあるな。聞いたことないか?」

「いいえ。浅学ながら、聞いたこともないお話です」

 そうか、良かった。

 知らないなら、ソフィアも十分楽しめるだろう。

「なら、この話にしよう――そう、今となっては昔の話だが、竹取りのおきなと呼ばれている者が居た……なあ、ソフィア。竹って知っているか?」

 ソフィアは首を横に振った。

「だろうな。竹というのは……まあ、木みたいに大きく育つ、草の一種だ。

 細くて中が空洞で、丈夫じょうぶかつ、しなやかだから、カゴだとか釣竿だとか? まあ、いろんなものを作る材料になる。

 それで、昔あるところに、竹を専門に仕事している木こりのお爺さんが居たんだ――」


 こうして、俺とソフィアの夜は更けていった。

 今や二人きりのこの部屋は、孤独を埋めるためだけでなく、親愛の絆を深めあうための空間にもなっていた。


 ちなみにこの日から夜になると、暖炉の前でソフィアが話をせがんでくることが日課となった。

 最初のうちは日本昔話とかグリム童話やアンデルセンでぶん回していたが、早々にネタ切れとなって、アニメやゲームの話で繋いでいくこととなった。


 そしていつしかその時間は、俺にとっても掛け替えのない大切な日常となっていた。



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